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新作小説をどうするか、頭が回らないので易を立ててみたら、「火天大有」という卦が出た。まあ、スケールの大きい小説を書け、ということだろう。とするとSFか異世界物となる。もちろん、古代史ものでもいい。
前に考えたが、物理法則がたったひとつ現実のこの世界と異なるだけで、いくらでも細部が発展させられる気はする。特に、時間感覚。異世界の1秒がこの世界の10秒に相当するなら、たいていの闘争で勝てるのではないか。まあ、話すときのコミュニケーションは困難だろうが。

今思いついたのだが、自衛隊員を主人公にした小説はどうか。
日本が米国の属国であることに怒りを抱いている青年が、東大合格確実と言われながら自衛隊の一般兵士として入隊する。そして、身体と精神を鍛え、兵士としての技能を磨き、将来のクーデター(日本の米国からの独立)計画を着々と進めるという話である。まあ、GATEに似ているようで似ていない。まず、異世界は出ないし、主人公のキャラがまったく違う。GATEでは主人公は日本の政治状況に不満の意をまったく示していない。単に「(未開国家に比べれば)自衛隊スゲー」というアニメである。もっとも、面白いから私は3度ほど見ている。女性キャラのほとんどが可愛い。特にレレイは最高である。(このネーミングは秀逸である。愛嬌のある語感だ。「レレレのレ」を連想させる。)異世界王宮での陰謀の話になってから、話が陰惨なムードになるのが難点か。

自衛官の階級

自衛隊には階級があり、全部で16階級定められています。
「幹部」は、3尉以上の自衛官のことで、部隊の骨幹として、強い責任感と実行力で部隊を指揮する立場にあり、卓越したリーダーシップが必要とされます。
「曹」は、専門分野における技能を有するほか、士を直接指導し、幹部を補佐する立場にある者。「士」は、曹などの指揮下で各種の任務を直接遂行する立場にある者のこと。曹と士の人数を合計すると、自衛官の定員の約8割に及ぶ。
「准尉」とは、3尉以上の幹部自衛官と曹の間の階級で、曹士隊員をまとめて指導し、幹部の補佐を行います。

共通呼称陸上自衛隊海上自衛隊航空自衛隊
幹部将官
陸上幕僚長

海上幕僚長

航空幕僚長

陸将

海将

空将
将補
陸将補

海将補

空将補
佐官1佐
1等陸佐

1等海佐

1等空佐
2佐
2等陸佐

2等海佐

2等空佐
3佐
3等陸佐

3等海佐

3等空佐
尉官1尉
1等陸尉

1等海尉

1等空尉
2尉
2等陸尉

2等海尉

2等空尉
3尉
3等陸尉

3等海尉

3等空尉
准尉准尉
准陸尉

准海尉

准空尉
曹士曹長
陸曹長

海曹長

空曹長
1曹
1等陸曹

1等海曹

1等空曹
2曹
2等陸曹

2等海曹

2等空曹
3曹
3等陸曹

3等海曹

3等空曹
士長
陸士長

海士長

空士長
1士
1等陸士

1等海士

1等空士
2士
2等陸士

2等海士

2等空士

関連情報

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「悪魔が夜来る」は、アマゾンプライムにあったので、見てみたが、詩情のある作品で、話が面白いという類の映画ではない。ただ、アルレッティは、「悪魔の手下の美女」という役柄がぴったりで、男装が魅力的だった。
で、ウィキペディアには載っていないと思うが、この映画はホフマンの短編のそのまた小さないちエピソードを膨らませたものだと思う。昨晩読んだばかりで、「あ、これは『悪魔が夜来る』の元ネタだ」と思ったものである。「クライスレリアーナ」という短編集だか断片集の中のほんの一節だ。映画では石にされた恋人たちの心臓が動き続けるが、原作では、悪魔に殺された姫君の死体の上に乗せた石のベンチから血が流れる。
映画というのは、こういうふうにして作るのだな、ということがよく分かる。

(以下引用)



  • 勇敢
  •  
  • かっこいい
  •  
  • ファンタジー
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悪魔が夜来る (1942)

LES VISITEURS DU SOIR

監督
 
マルセル・カルネ

 3.55  / 評価:11件

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「ここが私を強くした」

www.osaka-ohtani.ac.jp

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作品情報

タイトル 悪魔が夜来る
原題 LES VISITEURS DU SOIR
製作年度 1942年
上映時間 123分
製作国
  • フランス
ジャンル
監督
脚本
音楽
長い間記事が停止していると、変な広告が載ったりするので、最近思っていることなどを書いておく。
それは、「何が今の生活を一番充実させるか」という問題だ。
もちろん、不満は何ひとつ無いが、何か物足りないのである。
考えると、何かを創作していた時期には、こういう「空虚さ」は無かったようだ。
では、小説を書くか、絵を描くか、論説を書くか、作曲でもするか。
この中で、「やったことが無い(に等しい)ので、やれば新体験ができる可能性がある」のは作曲であるが、残念ながら私は記譜法を知らない。まあ、ルソーのように一生に一曲でも後世に残る曲が作れないとも限らないが、望み薄だろう。
一番書きたいのは小説だが、書きたいというより、やっていて一番面白かったのが、小説を書くことだったという感じか。しかし、昔は「RPG的な騎士小説を書きたい」という情熱があったが、それを書いた以上は、もはや書きたいテーマは無い。まあ、異世界転生物や「リライフ」的な話を書いてみたい気は少しある。
小説を書くということは、自分自身がその小説世界で別の人間として別の人生を送るということでもある。思い切って、暴力要素や性的要素の強いテーマ、あるいはそういう世界の描写にチャレンジするのもいいかもしれない。そして、細部を考察すること自体を創作の喜びにできたらいい。
現実世界ではなく、暴力の支配する異世界の話がいいと思う。つまり、「ゲーム・オブ・スローン」的な話だ。ただし、中世的世界ではなく、異星の話、あるいは異次元世界の話がいいか、考察したい。何か、現実の物理法則をひとつ変えるだけで生じる世界。たとえば時間の性質など。
ずっと前から気になっていたが調べるほどのものでもないと放置していた疑問である、「レールガンとは何か」である。書かれているように、電車などの「レール」とは無関係で、要するに火薬ではなく電気(電磁気)で弾丸を射出する兵器のようで、まだ完全な実用化はされていないようだ。つまり軍事的メリットが少ないのではないか。
いずれにしても、「発電装置」が必要なわけで、携帯できるような兵器は作るのが困難なのではないか。普通に火薬を使用することの簡便さには遠く及ばないと思う。

(以下引用)

概要[編集]

この装置は並行に置かれた2本のレールとなる電極棒の上に弾体となる金属片を乗せて電流を流し、電磁力により金属片を駆動し射出するというものである。

磁場を与えるために磁石やコイルが追加されることがある。入力される電力が増え弾体が高速になるにつれ

といったデメリットが生じる。なお以下に詳しく述べるが発射に足る電力(主に電流の量的な問題)の供給も大きな課題となっており、また大電流によってレールや弾体の一部が蒸発プラズマ化するといった問題が生じる。

既に実用化に向けた取り組みが盛んであるが、概念上のもの、または架空のものと「誤解」して扱われる場面が多い。一例として、後述するように米軍により2016年に電磁加速砲を洋上実験する計画がある。ほかにも2019年現在、米国、ロシア、中国、トルコ、日本などがレールガンの軍事研究を進めていると発表、また開発中の発射映像を公開している。技術的には米軍が兵器分野でリードしており、陸上と艦船で何度もテストを実施している。また、トルコ軍は多種の兵器応用能力を備える電磁砲を開発し、国際防衛見本市で販売している[3]

 

小説家や漫画家の作家生命というのは創作活動を始めてから10年程度、長くて20年くらいがおおまかな目安になるのではないだろうか。それ以上に「現役生活」の長い創作家はもちろんいるが、その大半は「名ばかり」現役で、あるいは若手に交じって活動はしていても、その創作内容の質的レベルは絶頂期の半分以下のレベルに落ちていると思う。これは「時代に合わなくなる」という類の話ではなく、創作家の「容量」はある程度限度がある、という仮説だ。
まず、世間の事象に興味や関心を持てるのは、それらに対して無知な若者の特権である。若者の鋭敏な感受性と、世間の物事を知った感動がぶつかるところに創作衝動は生まれるわけで、つまり創作とは基本的には若者の土俵だと言えるだろう。
年を取ってから創作活動に入った人は、そのジャンルの事柄に若者の特権である「無知さ」はあるから、その人の個性が「ジャンル自体の面白さ」とぶつかることで新しい作家個性を生み出すことはある。しかし、その人の「作家容量」が尽きたら、それで創作物の個性も終わりである。後は「自己模倣」を繰り返すだけだ。
それに、長い間作家活動をしていると、どうしても自分の作品個性に飽きてくるだろう。ほとんどの老大家は、過去の作品の「縮小再生産」になるものだ。たまに新しいチャレンジをしたら、「年寄りの若作り」の無残さになる。つまり、「自分が本心から興味を持っていないもの」を相手にするからそうなるのである。
つまり、創作家というのは、ある程度の創作活動をして「自分の表現したいものはほぼ言い尽くした(描き尽くした)」と思えば、引退するのが正しい生き方だろう。先日他界した白土三平の早すぎる「創作家引退」(宣言はしないが、創作をやめていた)は、正解だったと思う。

ただし、以上は自分の身を削って創作活動をする商業創作家の話で、アマチュア創作家の場合はこの限りではない。100歳を過ぎてから画家になってもいいのである。


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