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「私を野球に連れていって」(シナトラとジーン・ケリー)を半分見たが、シチュエーションだけは面白い。(歌と踊りは非常に退屈)
そのシチュエーションだけを使って、野球漫画の原作にできそうである。
つまり、野球の好きな女の子が、金持ちの父親(祖父)が所有していた球団を遺産で相続して球団改革に乗り出し、選手たちとのトラブルなど紆余曲折の後、成功するという話。
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特に目的の無い、思考メモ

・古いジャズメンの名前をキャラクターの名前に使うこと
(例)マイルス&デイビス兄弟、剛腕ルイ(サッチモ)、サッチモのコンビのニッチモ、コルトレーン教授、etc

・鳳凰が「回復薬」と同じ効果の歌を歌うRPG 、その住む近くにはホウオウボクがある。

・月の出は地球の自転によるものとしたら、月の公転(?)は地球から見てどのような回り方なのか。東西方向か南北方向か、それとも、どちらでもない? 仮に東西方向だとしたら、月の出は地球の自転と月の公転(?)の複合現象か。(月の公転は、月の満ち欠けに関するもので、約1か月周期だから、毎日の月の出にはあまり関係しない、関係しても、月の出が毎日少しづつ遅くなる、という現象としてのみ関係する、そして公転軌道は地球の東西方向というのが正解かと思われるが、小学生レベルの頭ではなかなか理解が難しい。)

・「ステンカラージン」の「うつつにはなやぐ笑みこそあわれ」の「うつつに」は「夢うつつに」の意味であって、このような用法の「うつつに」の使い方も多いのではないか。

・「あはれ(あわれ)」は感動を大雑把に表すもので、喜び悲しみいずれにも使い、もともと「ああ、はれ」だったとされている。その「はれ」とは、「何かが突出する」意味だと思われる。「ああ、はれ」とは「ああ、思いが胸から溢れ出る」意味かと思う。「晴れる」とは「雲に閉ざされた中から光と青空が突出拡大してきた」意味、「腫れる」は、「皮膚の下から皮膚を持ち上げる何かが突出してきた」意味、「春」は、「寒さと暗さの季節から、暖かさと明るさが突出してきた」意味。「はる」は突出だけでなく拡張や膨張の意味もあり、「張る」がそれ。腹が張る、弓に弦を張る、など拡張や膨張やそれらを引き締めることに伴う強い緊張状態をも表わす。
高校時代にちゃんと西洋史(世界史)の勉強をしていたら、こんなのは常識なのだろうが、「ヴィシー政権(政府)」のヴィシーが人名なのか地名なのか分からなくなって、ネットで調べてみた。まあ、「ペタン将軍」とかいうのが政権の座にいたような記憶がうっすらあるからたぶん地名かな、とは思ったが、自信がなかったのだ。フランス語の「レジーム・ド・ヴィシー」は「ヴィシー政権」ではなく「ヴィシー体制」と訳するべきだろう。



ヴィシー政権ヴィシーせいけん、フランス語: Régime de Vichy)は、第二次世界大戦中における、フランスの政権(1940年 - 1944年)。 フランス中部の町、ヴィシーに首都を置いたことからそう呼ばれた。「 ヴィシー政府」、「ヴィシー・フランス」ともいい、この政権下の体制を「ヴィシー体制」と呼ぶ。







私が基本的に推理小説をあまり好まないのは、「登場人物が、単にストーリーを進ませるための道具である」のが理由だと思う。(SF小説もそれに近い。)もちろん、キャラ作りに力を入れている、たとえば森博嗣のような作家(彼の場合は青年時代に漫画を描いていたからだろう。)もいるが、それはそれで、話の筋とキャラ作りが無理に接合した感じである。推理小説は短編に限る、というのはそのためだ。
推理小説のキャラで、生きているのはシャーロック・ホームズだけではないか。まあ、ルパンもそうかもしれない。つまり、「冒険小説」的推理小説の場合は必然的にキャラと話が密接性を持ってくる、ということだろう。





最近、具体例で『お話しと設定を、台詞で並べるだけ』と『登場人物の個性が、直面した状況で行う行動と発言が物語になる』間の、埋められない落差に気付き始めた人が増えて重畳。
自分も小中生頃には、過去の創作物の表層をなぞった前者側に居たのだが、それは単なる創作ごっこ。
抜け出せて良かった。




複数の漫画家のツィッターで話題になっていたので、その元になったと思しきブログを転載しておく。「物語の『トンネル』」ということの意味はそれらのツィートでは明記されていなかったが、だいたいこのようなものだろう、と理解できる書き方になっていて、下のブログを見た結果、その予想は正しかったようだ。つまり、結末に至るまでに主人公の身の上に起こる、さまざまな不幸や災厄などだ。これはドラマ作りの鉄則に近いもので、そういうものが無くても面白いドラマは作れる、ということを多くの人に意識させたのが、あずまきよひこの「あずまんが大王」であり、それに続く「よつばと!」だろう。まあ、不幸や災厄はあるが、それが軽く笑い飛ばせるようなものである、というのが大方のコメディである。
下の筆者が言っている、「物語の『トンネル』を通りたくない人は意外と多いのかもしれない」という推測は当たっていると思う。そもそも、そういう人々は物語が好きではないということだろう。フィクションにおいても、自分の自我が揺らぐことを、現実と同様の不快感を感じる、ということで、それはある意味では非常に繊細で正常な精神だとも言える。


(以下引用)



物語の「トンネル」を通りたくない人は意外と多いのかもしれない

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『王様ランキング』というWeb漫画が、待望の単行本となって発売された。半年ほど前だろうか、友人から「これ面白いぞ!」とLINEで勧められ、ちょっと読んでみたらこれがもうグイグイ読ませる読ませる。なんとも味わい深い、独特の温度がある漫画なんですよ。紙で読めるのが嬉しいです。

 

王様ランキング 1 (ビームコミックス)

王様ランキング 1 (ビームコミックス)

王様ランキング 1 (ビームコミックス)

 

 

せっかくなので、そんな『王様ランキング』を、漫画をあまり積極的には読まない嫁さんに勧めてみた。「これ、面白いよ。よかったら読んでみたら?」。絵柄が絵本チックで、コマ割りも大きいので、比較的「読みやすい」んじゃないかと思ったのだ。Twitter等では幾度となく書いてきたが、嫁さんは私と趣味が全く異なり、彼女は漫画や映画をあまり自分からは観ない。専門は韓ドラ。HDDは彼女が録画したBSの韓ドラでパンパンである。

 

そんな嫁さんに、実際に『王様ランキング』を読んでもらったところ、1巻の3割ほどを読んだ頃だろうか、「私これ以上は無理かも」と本を閉じてしまったのだ。

 

当然、こっちは「え?」となる。「あんまり面白くない」ならまだ分かる。それは好みの問題だ。しかし、「無理」とは何だろう。そこを詳しく聞いてみると、彼女の感想はこうだ。「ほんわかした絵柄なのにストーリーが辛い。胃が痛くなる感じがするから、あんまり読みたくないかも」。

 

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『王様ランキング』のストーリーを知らない人に説明すると、主人公は口がきけず耳も聞こえないひ弱な王子で、しかしそんな王子こそが誰よりも純粋かつ健やかな人間であり、彼を中心とした王位継承にまつわる様々な人間の悪意や邪推が話を転がしていく、ざっくりと説明するとそんな物語である。ファンタジー風味の世界観で、王子は、カゲというその名の通り影のような生命体と友達になる。共に悲しい運命を背負った彼らは、様々な困難を共に乗り越えようと奮闘し、そこに「美しいなにか」が見える、そんな群像劇として、遅効性の読み応えがあるのだ。

 

つまりは、嫁さんの言うところの「胃の痛い感じ」は、王位継承にまつわるあれこれなのである。主人公に冷たく当たる王の後妻や(これについては読み進めればフォローが入るのだが)、口がきけない王子をからかう町の人々など、確かに心にザワザワしたものがのし掛かるような展開が序盤にいくつか用意されている。しかし、だからこそ、そんな運命に翻弄されながらもひたむきさを忘れない王子の美しさが光る訳で、その「胃の痛い」展開は、物語にとって必要なものなのだ。

 

しかし、嫁さんはその全体としては必要な「胃の痛さ」こそが辛い、と。なるほど、自分はフィクションにそういう見方をしたことがなかったので、新鮮であった。つまりは、出口が用意されている「トンネル」があっても、「トンネル」そのものが暗いから通りたくない、という話だ。究極、彼女にとって、出口の存在やその先の景色は関係ないのかもしれない。「トンネル」そのものが自分に合わないのだ。

 

私は御多分に洩れず手塚治虫が大好きなのだが、以前嫁さんに『ブラック・ジャック』を勧めたところ、これもまたやんわりと断られてしまった。彼女も過去に何度かパラパラと読んだことがあるそうだが、だからこそ正直あまり読みたくない、と。その時はよく意味が分からなかったのだが、今回の『王様ランキング』の件と合わせて考えると、なるほど理解に届いたのかもしれない。

 

ブラック・ジャック 1

ブラック・ジャック 1

 

 

『ブラック・ジャック』も、確かに「トンネル」型の物語が多い。患者が難病に苦しんだり、酷な運命に翻弄されたり、命を失いかけたり、大切な仲が引き離されたり。そんな窮地に登場する我らが無免許医は、法外な報酬をふっかけながらも、命を想う信念でもって患者を救おうとする。彼のメスが、「トンネル」に出口を示す。そこに、爽快感や満足感、痛快さがあって、だからこそ『ブラック・ジャック』は面白いのだ。もちろん、出口の先の景色が必ずしも美しいとは限らないのが、流石の手塚治虫なのだけど。

 

私は、漫画や映画に限らず、「先の展開が予測できない」ことを好んで楽しむタイプだ。だから、本当に楽しみにしている映画は予告もほとんど見ずに臨むし、何ならネットも断つ。事前に情報を仕入れず、その物語がどう転ぶかに一喜一憂したいと思っている。だから、終わってみれば、「あそこ辺りまでが『トンネル』だったな」、となることが多い。もちろん、「トンネル」への誘導が拙い作品もあれば、最後まで出口が無い場合もある。それはそれで一興だ。

 

しかし嫁さんのようなタイプは、「トンネル」を通るのがそもそも苦手であり、どうせ通るのであればせめて、明るい出口を保証してもらって、事前に安心したいのだろう。だから、例えば一緒に映画を観ていると(私が事前に映画館で観て面白かった作品を一緒に観ることが多い)、彼女はよく「これ大丈夫だよね?」「主人公死なないよね?」「この人たち助かるよね?」と途中で聞いてくるのだ。

 

私にとってみれば、「そこ」が分からないこその、翻弄される心の動きが面白さなのに、彼女は「そこ」を先に知りたがる。今通っている「トンネル」、それだけでも苦手なんだけど、まさか出口が無いとかないよね? 大丈夫だよね? と、おそらくこういうことなのだ。

 

もしかしたら、嫁さんのような人は存外多いのかもしれない。というのも、多少飛躍があるかもしれないが、昨今は「内容見せすぎだろ!」な映画の予告をよく目にする。それほとんどエンディング手前まで推察できちゃうじゃん、とか、もうその展開になったらああいうオチに向かっていきそうなのが明白では、とか。

 

私のような楽しみ方をする人間にはそういう理解になるが、おそらく嫁さんのような人にとっては、こういう予告編こそがありがたいのかもしれない。「この作品に『トンネル』はあるけど、ちゃんと出口を用意してますから」、と、こういう訳だ。出口の存在を前もって確認して、それならばと安心した上で映画館に向かう。予告編で、トンネルの先の安心感を先に提示してしまう。そういう人って、実は結構多いのかもしれないね、と。

 

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ちなみに、嫁さんは韓ドラが好きと言っても、ドロドロ系のものは好んで観ない。それこそ「トンネル」作品だ。彼女が好むのは、ハチャメチャな雰囲気のライトなコメディか、純愛モノである。「トンネル」が少ない(短い)、もしくは、ある程度「トンネル」の先の景色が保証された物語。加えて、先にネットでネタバレを見てから鑑賞を始めたりもしている。私からすればその行為は全くもって理解不能だったのだが、『王様ランキング』に端を発した意見交換を経て、その狙いが分かったような気がする。彼女にとっては、物語のネタよりも、「トンネル」の有無や出口の保証の方が優先度が高いのだろう。安心が欲しいのだ。

 

嫁さんとはつくづく趣味が合わないのだが、だからこそ、結婚して良かったと思っている。こういう、新しい価値観と出会えることが多いのだ。そして嫁さんも、同じようなことを言ってくれる時がある。今はまだ小さい娘が大きくなれば、彼女もまた、私に新しい「気づき」をくれるのかもしれない。

 

私は私で、今日もまた気づけば「トンネル」に迷い込んでいるような、そんな作品と出会いたいものである。




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