「映像研」の浅草氏ではないが、「設定」を考えるのは、男の子のほとんどが好きだろう。浅草氏ほか電撃三人娘は女の子だが、「冒険」や「探検」など、やっていることは男の子の遊びである。金森氏は大人目線ではあるが、いわば遊びの「参謀」ポジションか。
で、私も昔の男の子として、この年になっても棒切れなどを持つと嬉しくなる。つまり、「武器」が手に入った喜びだ。これは女の子にはあまり見られない感情なのではないか。女の戦いは「言葉による戦い」つまり頭脳戦であり、「武器を持って戦う」ことにあまり関心は無さそうである。肉体的闘争でも、噛みついたり頭髪を引っ張ったり、爪で引っ掻いたり、むしろ原始的と言うか、動物的だ。男は、まず手近な武器を探しそうな気がする。
で、小雨などが降っている時に傘を持って外に出ると、その「武器を手にした喜びと安心感」を私は持つのだが、これは私だけだろうか。それとも多くの男に共通の感情なのか。
もちろん、傘ではたいした武器にはならないから、そこで「設定」を考える。
この傘が、いかにして武器に変貌するか。もちろん、空想だから、非現実的設定でいい。
たとえば、銃身の細い(口径の小さい)ライフルになるとか、先端部分に尖ったキャップを被せて手槍(あるいはフェンシングの剣みたいなもの)にするとか、などだ。
傘の骨も、弓の矢になるとか(弓の本体部分は傘の軸の一部を取り出して組み立てる)、いろいろである。傘自体、広げれば、銃弾を跳ね返す盾にもなる、くらい非現実的設定でいい。未来にはそれくらい丈夫な布が生まれている、というわけだ。
で、私も昔の男の子として、この年になっても棒切れなどを持つと嬉しくなる。つまり、「武器」が手に入った喜びだ。これは女の子にはあまり見られない感情なのではないか。女の戦いは「言葉による戦い」つまり頭脳戦であり、「武器を持って戦う」ことにあまり関心は無さそうである。肉体的闘争でも、噛みついたり頭髪を引っ張ったり、爪で引っ掻いたり、むしろ原始的と言うか、動物的だ。男は、まず手近な武器を探しそうな気がする。
で、小雨などが降っている時に傘を持って外に出ると、その「武器を手にした喜びと安心感」を私は持つのだが、これは私だけだろうか。それとも多くの男に共通の感情なのか。
もちろん、傘ではたいした武器にはならないから、そこで「設定」を考える。
この傘が、いかにして武器に変貌するか。もちろん、空想だから、非現実的設定でいい。
たとえば、銃身の細い(口径の小さい)ライフルになるとか、先端部分に尖ったキャップを被せて手槍(あるいはフェンシングの剣みたいなもの)にするとか、などだ。
傘の骨も、弓の矢になるとか(弓の本体部分は傘の軸の一部を取り出して組み立てる)、いろいろである。傘自体、広げれば、銃弾を跳ね返す盾にもなる、くらい非現実的設定でいい。未来にはそれくらい丈夫な布が生まれている、というわけだ。
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私は、「けっして」とは、「決して」つまり、決定的に、の意味だと考えているから、それを「けして」と書く人間に不快感を持っているのだが、三省堂の辞書(下のweblio辞書はその引用らしい。)では「けして」を許容しているようだ。他の辞書もそうなのだろうか。
けっし て [0] 【決して】
( 副 )
けし て [0] 【決▽して】
( 副 )
「 けっして(決)① 」に同じ。
漫画家近藤ようこの随筆集の中に、
「ヤクザと売春婦はどんな大根役者でも上手くできるという。現実のヤクザや売春婦が、自分自身を演じている役者そのものだからだろう。」
という文があり、これは卓見だ、と感心した。もちろん、後半(赤字部分)にである。
我々は日常生活の中でいつも演技をしている、というのは私の持論(まあ、べつにオリジナルな考えだと主張はしない)だが、特に「ヤクザと売春婦」がそうである、というのは彼女のほかには言った人はいないのではないか。たとえば、教師など、演じているように見えながら、「個性を出しているだけ」という人も多いだろう。あるいは、その演技が無意識的であったりする。それは既に「役者」ではない。
しかし、ヤクザは「演じないと務まらない」商売の最たるものではないか。つまり、「凄む、脅す」という演技の達人であるわけだ。実際の「暴力の能力」以上に、この演技が優れている人間がヤクザ界のエリートだと思う。
売春婦もまた役者である、というのも、何となく理解できる。つまり、「自分自身(の肉体)を相手に買わせる」には、演技が必要であるわけで、それはオーディションを受ける新人女優と変わりはない。
「ヤクザと売春婦はどんな大根役者でも上手くできるという。現実のヤクザや売春婦が、自分自身を演じている役者そのものだからだろう。」
という文があり、これは卓見だ、と感心した。もちろん、後半(赤字部分)にである。
我々は日常生活の中でいつも演技をしている、というのは私の持論(まあ、べつにオリジナルな考えだと主張はしない)だが、特に「ヤクザと売春婦」がそうである、というのは彼女のほかには言った人はいないのではないか。たとえば、教師など、演じているように見えながら、「個性を出しているだけ」という人も多いだろう。あるいは、その演技が無意識的であったりする。それは既に「役者」ではない。
しかし、ヤクザは「演じないと務まらない」商売の最たるものではないか。つまり、「凄む、脅す」という演技の達人であるわけだ。実際の「暴力の能力」以上に、この演技が優れている人間がヤクザ界のエリートだと思う。
売春婦もまた役者である、というのも、何となく理解できる。つまり、「自分自身(の肉体)を相手に買わせる」には、演技が必要であるわけで、それはオーディションを受ける新人女優と変わりはない。
「hugkum」という育児ネットマガジンの吉田戦車インタビューの一部で、彼が子供(娘さん)にどんな漫画を読ませているか、という部分だ。
昔、萩尾望都に抱っこされたことがある、というのは、皇后陛下に抱っこされたくらいの貴重な体験だろうが、子供本人は覚えていないだろう。
男親は藤子不二雄を子供に勧めても、女の子はどんなに小さくても恋愛ものを好みそうな気がする。「ちはやふる」は、かるた取りという競技(バトル)でオブラートにくるんだ恋愛漫画だと思う。少女漫画は基本的にすべて恋愛漫画だろう。
(以下引用)
昔、萩尾望都に抱っこされたことがある、というのは、皇后陛下に抱っこされたくらいの貴重な体験だろうが、子供本人は覚えていないだろう。
男親は藤子不二雄を子供に勧めても、女の子はどんなに小さくても恋愛ものを好みそうな気がする。「ちはやふる」は、かるた取りという競技(バトル)でオブラートにくるんだ恋愛漫画だと思う。少女漫画は基本的にすべて恋愛漫画だろう。
(以下引用)
娘には、「色鉛筆が欲しい」と言えば多色を買ってあげたり、お絵かきをして一瞬で消せるようなデジタルのものを与えたりはしています。また、本には糸目をつけないとう妻の方針があって、図鑑も揃えてあります。
ただ、僕らの蔵書から「これを読んでもいいよ」って貸しているものもあります。伊藤はね『キャンディキャンディ』。新刊がでていないので超ボロボロなんですが(笑)娘は、それを読んでいます
僕は、藤子・F・不二雄先生の漫画を、読ませています。あとは、僕が持っていた『エースをねらえ!』(山本鈴美香)と、『ストップ! ひばりくん』(江口寿史)。これは、男女の複雑さを学ぶのにいいんじゃないかな(笑)娘は、『ちはやふる』(末次由紀)に夢中ですかね。
昔からギャグ作家の漫画家は仲が良かったんです。僕は、『伝染るんです。』描いていた頃に、漫画家さんの知り合いも増えて良く集まったり飲んだりしていました。今も漫画家さん同士飲んだりしますね。
二ノ宮(二ノ宮 和子)や、安野(安野モヨコ)が妻の親友で、子どもが生まれた時に、監督(庵野 秀明)まで来ちゃったりして、楽しかったですよ。もっと中学高校になっても漫画が好きだったら、(自分の環境に)気づくんじゃないですか。凄い人に会っていたんだなって。萩尾望都先生に抱っこされたことがあるんだとか。後で思い知るがいいって(笑)
「神戸だいすき」の中に出ていた豆知識だが、私は知らなかった。(私は「神戸大好き」さんは情報通だとは思うが、新興宗教信者らしいので、あまり知性や人格は信じていない)
さすがに、民間芸能に関係しているだけに、古い習俗の知識に接することも多いのだろう。
「着て、さらに着る」から「き・さら・ぎ」というのは筋が通っているように聞こえるが、こうした語源説というのは、案外、新しい時代に誰かがでっち上げたものも多いのではないか。
「弥生」などは、漢字も読みも分かりやすい。「植物がいよいよ生い茂り始める季節」ということだろう。だが、「睦月」などは分からない。雪に閉じ込められて「家族や親しい者たちが睦まじくすごす」意味か。
2月の古い名称を知っていますか?
「きさらぎ」と言うのよ。「重ね着しないとおられない寒さ」の意味。
さすがに、民間芸能に関係しているだけに、古い習俗の知識に接することも多いのだろう。
「着て、さらに着る」から「き・さら・ぎ」というのは筋が通っているように聞こえるが、こうした語源説というのは、案外、新しい時代に誰かがでっち上げたものも多いのではないか。
「弥生」などは、漢字も読みも分かりやすい。「植物がいよいよ生い茂り始める季節」ということだろう。だが、「睦月」などは分からない。雪に閉じ込められて「家族や親しい者たちが睦まじくすごす」意味か。
2月の古い名称を知っていますか?
「きさらぎ」と言うのよ。「重ね着しないとおられない寒さ」の意味。
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冬山想南
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