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「青天白日記」の構想を少しずつ考えてみたい。
まず、舞台を清朝末期にしたのは、「国が滅びる時」のアナーキズムと表面的秩序の相剋が事件を作る可能性が高いからだ。そして、西洋諸国、特にイギリスという明白な敵と、庶民にとっては政府そのものも敵である、ということから「対立関係」が作りやすい。
主人公が医者である、というのは、その技能が自分自身のサバイバルの武器になり、人々から依頼を受け信頼される、というメリットからだ。そして、当時は医者になるのは簡単で、医者だと自称すればそれだけで医者扱いされた時代である。高位高官の家にでも庶民の家にでも入れ、歓迎されるというのも、話の進展に都合がいい。主人公は漢方と西洋医学の両方に通じている、とする。


登場人物、特に何度も出てくる人物の名前を、中国風だが覚えやすい名前にすること。
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年を取ると、小説や映画などへの興味が低下するという事実があると思う。
そもそも、人間のすることすべてへの興味が低下し、宗教や哲学など、「形而上的」なものにしか心が惹かれなくなるのではないか。これは、死が近づくことによるもののような気がする。つまり、人間世界への関心が薄れることによって、死の受容が容易になるという、天のプレゼントのようなものかもしれない。
で、私は、「小説を読む」ことへの関心はかなり薄れているのだが、その反面、「自分で小説を書いてみたい」という気持ちだけはまだ残っている。具体的に何を書きたいとか、小説家になりたいというわけではない。幾つかいい加減な小説創作はしたが、「娯楽としての小説創作」を自分はあまり味わっていないので、そこには何か大きな快感がある気がするのである。
まあ、「現実では満たされることがない」大きな可能性や力の感覚をフィクションの世界で味わってみたい、ということだろうか。たとえば、巨大な善にも巨大な悪にも、普通の人間は現実では出逢わない。そして、そのほうが幸福なのだ。しかし、小説の中でそうしたものに出逢うことは、やはり凄い体験である。「それに比べたら、現実の人生などどうでもいい」という体験が小説の中にはある。
私自身が書きたい小説がそういう小説だというわけではなく、どんな内容であれ、「書きながら人生を、違った形で再体験してみたい」ということだろう。
萩原朔太郎が創作の動機を「復讐」と言ったのは、「現実人生の卑小さ」への復讐、ということだと思う。

自分で書くかどうかはともかく、私にとって理想的な小説は、松本清張の時代小説の世界に、フィールディング(「トム・ジョウンズの冒険」)のキャラを入れたような、まあ、山手樹一郎をもう少し上等にしたような小説だろうか。田中芳樹の作品にもそれに近いものがある。中国古典で言えば、「三侠五義」の世界に「児女英雄伝」のキャラ、と言ってもいい。武田泰淳の「十三妹」が、まさにそれであるが、男主人公があまりに情けないのが欠点だ。
トルストイとドストエフスキーの能力でデュマ的世界を描いた小説が理想、と言ってもいい。










少し前に書いた、「武器としての傘」の関連で、「道具」や「機械」について考えてみる。
実は、道具や機械も、「男の子」の心(大人の男の心の奥底にもある)をワクワクさせるものだと思う。
それはなぜかと言うと、道具も機械も、「自分の力を拡大する物」だからである。素手ではできないことが道具や機械を使うと可能になる。その「力が拡大した喜び」が、道具や機械を好む男の子には特に強い気がする。自動車やオートバイに乗ることで、ジャガーやチーターに劣らない速さで疾走できる。重機を使うことでとてつもない重さの物を自由に扱える。
些細な、あるいはごく身近な物で言えば、線引きを使うことで「自然界には存在しない」真っ直ぐな線を書くことができ、コンパスを使うことで、素手では描けない精密な円が描ける。それ以前に、ペンを使えば、一定の幅の線が描ける。これは筆の時代には無かったものだ。
で、道具や機械のいいところは、それがあくまで「自分の力の拡大」であることだ。
これは組織などを利用し、他人の力を利用する形の力の拡大、つまり「権力」とはまったく別の、ある意味では「身体性」から離れていない種類の力の拡大であり、だからこそ「気持ちがいい」のだろう。
私は、若いころ、異常に健康で、道を歩いているだけで「歩く喜び」「地面を踏み、地面から返ってくる反発力の感覚の喜び」を感じたものである。身体性を伴う喜びとはそういうものだ。これは、権力で人を動かしてその果実を得るだけの人間とは異なる、「自然に根差した」喜びだと思う。
まあ、ステマだと思うが、それなら、下手なステマである。
この設定のどこが「設定だけで勝利」なのか。
いや、それ以前に「街を襲うホホジロザメの群れ」というのが意味不明である。サメというのは陸に上がれるのか。それとも海の中に街があるのか。
サメとシャチのプロレスを見たいのは小学生くらいまでだろう。今さら「ジョーズ」の十番煎じ百番煎じがヒットするとはとても思えない。それに、なぜシャチがサメの群れに立ち向かうのか。人間に頼まれたのか。
どうでもいい話ではあるが、私はステマが大嫌いなので批判しただけである。馬鹿な人間は嫌いではない。私も多くの点で同類の馬鹿だろう。しかし、オタクによくいる、自分の幼児性や特殊な好みへの羞恥心の無い、恥知らずの馬鹿は大嫌いだ。



人間食べ食べカエル
@TABECHAUYO
「街を襲うホホジロザメの群れに立ち向かえるのは、かつて調教師を襲って隔離された手負いのシャチだけだった」っていう設定を考えた時点で既に勝利している海洋パニックスリラー『Alphas』のポスターが遂に来ましたよ!!!!!!














ツィッター世界にブルパップ型の銃はカッコいいと宣伝する伝道師がいるのだが、私には(見慣れない物への抵抗感のためか)不細工だな、としか思えないので、ブルパップの長所短所をウィキペディアから転載する。従来型の銃と並べた写真を見ても、「芸術性」という点では比較にならないほど不細工だと思う。まあ、目が三つ、鼻が二つの顔を美しいと思うような人間なら話は別だ。



ブルパップ方式

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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Stgw 90.jpgAUG A2 407mm klein 03.jpg
SIG SG550(上)とステアーAUGA2(下)
双方の銃口から弾倉までの長さに注目すると、ブルパップ式であるAUGが、銃身長を通常の小銃とほぼ同じ長さに保ちつつ、全長を短縮している事が分かる

ブルパップ方式(ブルパップほうしき、Bullpup style)とは、銃器の設計において、グリップと引き金より後方に弾倉や機関部を配置する方式である。尚、カタカナ表記の『ブルバップ』は誤りである。

概要[編集]

СВУ-АС.jpgSniper rifle SWD.jpg
ブルパップ式のSVU(上)と非ブルパップ式のSVD(下)の比較。

ブルパップ方式を使った銃の始まりは1901年、イギリスで開発されたソニークロフト・カービンだという記録がある。ソニークロフト・カービンは当時のイギリス軍制式小銃リー・エンフィールドとの比較試験が行われ、全長と重量を抑えたものの、強すぎる反動や、特異な形状による構えづらさで不採用に終わっている。

第二次世界大戦以前から、軽便さを重視する騎兵などの間で銃器の小型化には需要があり、銃身を短縮するという方法が採られていた。銃身の短縮は加工や設計変更が容易な代わりに、命中率や射程が犠牲になるという欠点があるが、持ち運びやすさを重視する兵科に特化したカービン(Carbine 騎兵銃)として使われていた。

第二次世界大戦中、小型でも連射による火力を発揮できるアサルトライフルが登場し、歩兵の自動車化、特に装甲兵員輸送車などで移動する機械化歩兵の増加で長距離・長時間の移動が可能になると、車内に持ち込みやすい小型の銃器が必要と考えられた。命中率や射程に関わる銃身長を保ちつつ銃全体を小型する手法として、折り畳み式銃床や2分割可能にする設計などが考案されたが、折り畳み式銃床は射撃時に展開すれば元の長さに戻り、分割設計ではコスト高や強度、信頼性の低下につながる。折り畳み銃床や銃身短縮は、欠点をある程度容認した上で小型化の手法として使われ続けているが、これらの欠点を解決できるものとしてブルパップ方式が採用されるようになった。

ブルパップ方式では、従来は木材や樹脂の塊で、整備用の小物入れ程度にしか利用されていなかった銃床部分のデッドスペースに機関部を内蔵、一体化させることで、銃身長を保ちながら全長を短縮できる。 銃の全長が従来型と同じなら、機関部の位置が後退している分だけ銃身は長くできるため、長銃身を必要とする分隊支援火器狙撃銃として、L85小銃の発展型であるL86軽機関銃や、狙撃銃WA2000なども開発されている。

欠点と対処法[編集]

Kel-Tec KSG散弾銃

ブルパップ方式の銃器の欠点としては、全長が短く銃把が中央に位置する形状のため伏射や弾倉交換がやりにくいこと、重量バランスの最適化が難しいこと、アドオン方式のグレネードランチャーを追加しにくいことや、銃床の長さ調節機能を持たないモデルが多い点も挙げられるが、ランチャーの追加を前提としたFN F2000や、6ポジション可変ストックを装備するクロアチアのHSプロダクトVHS-2など、設計段階で対処している物も登場している。尚、銃剣格闘に適さないとよく言われるが、L85が湾岸戦争、対テロ戦争で2回、イラク戦争の合わせて4回、FAMASがサラエボの国連派遣で銃剣戦闘を行い、カラシニコフ小銃を持った相手に勝っている。戦後での銃剣戦闘はこれ以外だと朝鮮戦争とフォークランド紛争だけであり、7回の銃剣戦闘の内5回がブルパップ式小銃で全て勝っているため、銃剣格闘に適さないというのは俗説である。

銃を構えた際に頬を着ける銃床部分に機関部が内蔵され、顔のそばで発生する作動音と硝煙が聴力や視力に悪影響を及ぼすと考えられたことから、FN F2000はレシーバー周辺の密閉性を高め、硝煙や作動音を銃前方の排莢口から逃がす構造として対策している。SAR21では、レシーバー左側面の射手が頬付けする位置にケブラー繊維が貼られ、万一薬室の破裂事故が起きても射手への被害を抑える設計となっている。

また、従来の小銃のように排莢口を右側面に配置した場合、利き手や障害物への対処などで銃を身体の左に構えた姿勢になると頬の位置に排莢口がきてしまい、空薬莢が射手の顔にぶつかる危険がある[1]。利き手に関しては、初期の教練で全員を右構えに統一する使用者側での対処のほか、ステアーAUGタボールなどのように整備時に機関部パーツを差し替えて排莢方向を切り替え可能としたものなどが見られるが、いずれもとっさに左右を持ち替えての使用には対応していない。FN P90Kel-Tec KSGでは銃本体下部から下に排莢する方式を、FN F2000Kel-Tec 7.62mm RFBは銃口付近の前方へ排莢するフォワード・イジェクション方式を採用することで、射手の利き手を選ばない設計をしている。

全長の短縮によって照門と照星の間隔が短くなるため[2]、遠距離での照準精度を確保できるよう、ステアーAUGFN P90のように低倍率のスコープやダットサイト等の光学照準器を装備する機種もあるが、大型の光学照準器を使用する場合、銃本体の軽量化が相殺されてしまう場合もある。

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