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年を取ると、小説や映画などへの興味が低下するという事実があると思う。
そもそも、人間のすることすべてへの興味が低下し、宗教や哲学など、「形而上的」なものにしか心が惹かれなくなるのではないか。これは、死が近づくことによるもののような気がする。つまり、人間世界への関心が薄れることによって、死の受容が容易になるという、天のプレゼントのようなものかもしれない。
で、私は、「小説を読む」ことへの関心はかなり薄れているのだが、その反面、「自分で小説を書いてみたい」という気持ちだけはまだ残っている。具体的に何を書きたいとか、小説家になりたいというわけではない。幾つかいい加減な小説創作はしたが、「娯楽としての小説創作」を自分はあまり味わっていないので、そこには何か大きな快感がある気がするのである。
まあ、「現実では満たされることがない」大きな可能性や力の感覚をフィクションの世界で味わってみたい、ということだろうか。たとえば、巨大な善にも巨大な悪にも、普通の人間は現実では出逢わない。そして、そのほうが幸福なのだ。しかし、小説の中でそうしたものに出逢うことは、やはり凄い体験である。「それに比べたら、現実の人生などどうでもいい」という体験が小説の中にはある。
私自身が書きたい小説がそういう小説だというわけではなく、どんな内容であれ、「書きながら人生を、違った形で再体験してみたい」ということだろう。
萩原朔太郎が創作の動機を「復讐」と言ったのは、「現実人生の卑小さ」への復讐、ということだと思う。

自分で書くかどうかはともかく、私にとって理想的な小説は、松本清張の時代小説の世界に、フィールディング(「トム・ジョウンズの冒険」)のキャラを入れたような、まあ、山手樹一郎をもう少し上等にしたような小説だろうか。田中芳樹の作品にもそれに近いものがある。中国古典で言えば、「三侠五義」の世界に「児女英雄伝」のキャラ、と言ってもいい。武田泰淳の「十三妹」が、まさにそれであるが、男主人公があまりに情けないのが欠点だ。
トルストイとドストエフスキーの能力でデュマ的世界を描いた小説が理想、と言ってもいい。










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