忍者ブログ
[9]  [10]  [11]  [12]  [13]  [14]  [15]  [16]  [17]  [18]  [19
司馬遼太郎の小説は、キャラに魅力が無いのではないか、という気がする。一番マシなのは「竜馬がゆく」の坂本龍馬くらいだろうか。後は、事績は興味深いが、本人には魅力はない、という人物が多いような気がする。そもそも、何でそういうキャラを主人公にしたのか、と不思議である。作者自身が主人公に思い入れがないというか、距離が遠い印象だ。あるいは、そこが作者の得意なところだったのではないか。つまり「科学者的姿勢で歴史上の人物を描く」わけだ。
源義経などは、興味深い一生を送っている代表的人物だが、司馬の「義経」は、義経自身を描く前に、つまらない人物をあれこれ出してきて、読む興味を失わせる。義経と頼朝の相克というのは日本史上でも稀有な興味深い出来事だのに、義経の生まれる前から話を始めて、頼朝との行き違い、あるいは頼朝のキャラの掘り下げなどできないだろう。海音寺潮五郎あたりなら、そうはならなかったと思う。
まあ、要するに司馬は玄人受けを狙った「小刀細工」が過ぎるという印象である。個人を描くより、源平の闘争と北条氏の独り勝ちという、「大きな政治」自体を描けば、「日本の三国志」が書けたと思う。既に「平家物語」と「吾妻鏡」というネタがあったのだから。
PR
ベントリーの「トレント最後の事件」を3分の1くらいまで読んだのだが、何が謎なのかが今ひとつ分かりにくい。
容疑者は3人に絞られるかと思う。つまり、被害者の死で利益を得るのが未亡人で、その未亡人と恋愛関係にありそうなのが、被害者の二人の秘書である。使用人は除外していいかと思う。もちろん、無害そうな執事と未亡人が実は恋愛関係にあったという可能性はある。
で、問題は「何が謎なのか」である。誰でも被害者を殺害できる可能性はあったのではないか。
謎としては、
1:目に拳銃の弾を射こんで殺すという方法が珍しいこと。
2:夜中にきちんと身なりを整えて外に出て殺害された被害者が、義歯をはめていなかったこと。

の2点くらいか。後は、描写が無いので、何が謎なのかは分からない。
とりあえず、ここまでの記述をざっと読み直して、何が問題なのか、確認する。



タイトル:ジャニスを聴きながら

歌手:荒木一郎 作詞:荒木一郎 作曲:荒木一郎 編曲:荒木一郎 畠山明博

街は コカコーラ  
ふるさとは 売られていた


俺は プレイボーイ  
墨で消され 売られていく


さみしさに あの娘を抱きながら ひと寝入り それだけの事なのさ

海はモービロイル  
引き潮は 汚れていた


君は ロングピース  
俺の胸は けがれていく


さみしさに ジャニスを聴きながら ひと寝入り それだけの事なのさ  

人生はつかのまのゲーム
 
まぼろしの賭けに 負けた時は
 
さみしさに 涙をふきながら
 ひと寝入り  それだけの事なのさ
 

人生はつかのまのゲーム
 
まぼろしの賭けに 負けた時は
 
さみしさに 涙をふきながら
 ひと寝入り  それだけの事なのさ


注:モービロイル=モービルオイル




空に星があるように

歌詞
歌:荒木一郎 作詞:荒木一郎 作曲:荒木一郎


空に星があるように

浜辺に砂があるように


僕の心にたった一つの

小さな夢がありました

風が東に吹くように

川が流れて行くように


時の流れにたった一つの

小さな夢は消えました

さみしく さみしく星を見つめ

一人で 一人で涙に濡れる

何もかもすべては 終わってしまったけれど

何もかもまわりは 消えてしまったけれど


春に小雨が降るように

秋に枯葉が散るように


それは誰にもあるような

ただの季節の変わりめの頃

何もかもすべては 終わってしまったけれど

何もかもまわりは 消えてしまったけれど


空に星があるように

浜辺に砂があるように


僕の心にたった一つの

小さな夢がありました



次の英文はスコット・フィッツジェラルドの「The great Gatsby」の冒頭に書かれた引用文(こういうのを何と言うのかは分からないが、昔の欧米の小説にはよく書かれたもので、ポーの短編などには必ず書かれていたと思う。作品と関係があるような無いような、不即不離の引用文である。)で、訳は、気が向いたら後で試みる。
ついでに言うと、その前に「Once again to Zelda」という献辞が書かれている。ゼルダは、フィッツジェラルドの妻で、この妻のために彼は散々な苦しみを味わったらしいが、どこまでも愛していたようだ。

Then wear the gold hat,if that will move her;
  if you can bounce high,bounce for her too,
Till she cry" Lover gold hatted,high-bouncing lover,
  I must have you"

      --THOMAS PARKE D'INVILLIERS--

そして、彼女がそれで心を動かすなら、金の帽子をかぶりなさい
 あなたが高く跳ねることができるなら、彼女のためにそうしなさい
彼女が叫ぶまで「金の帽子をかぶった恋人よ、高く跳ねる恋人よ
  あなたを私は選びます」

      トーマス・パーク・ディンヴィリエ

私は、「偉大なるギャッツビー」を実はほとんど読んでいないし、映画もきちんと見たことがない。しかし、この冒頭の詩を読み、ギャッツビーの物語の大筋を知って、フィッツジェラルドとゼルダの話を知っているだけで、私にはここに最高の詩情というものを感じるのであり、小説全体を読む必要を感じない。ついでに言えば、映画「華麗なるギャッツビー」のシーンの一部や、その音楽(74年版、つまりレッドフォード版の「デイジーのテーマ」または「What'll I do」)を思い出すと、なお詩情を感じる。つまり、さまざまな断片が、詩情の交響曲を作るわけだ。これは、単独の詩作品では起こらない稀有な例だろう。
<<< 前のページ 次のページ >>>
プロフィール
HN:
冬山想南
性別:
非公開
P R
忍者ブログ [PR]

photo byAnghel. 
◎ Template by hanamaru.