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読者投稿欄の写真はコピーしていないが、それを見ると、後にプロになった二人が掲載者の中では模写(似顔絵)が一番下手であるところが面白い。つまり、(年齢的なこともあるだろうが)個性が強くて、模写には向かないのだろう。ついつい、自分好みの顔にするのだと思う。
或る種の長所は短所でもあり、短所は長所でもある、という人生訓になりそうだ。
ツィッターでよく見るが、異常に精密な絵(まあ、写真を下敷きに描いたのだろうが)を描ける人の数はかなり多いのだが、そうした人が画家になっても「魅力的な絵」は描けないだろうな、と思う。

(以下引用)

松苗あけみ先生の話題の新刊「松苗あけみの少女まんが道」に“1970年頃の少年サンデーに似顔絵投稿が載った”という件があり、家にあるかもと思って探してみたら… 1970年10月4日号に、当時14歳になる前の松苗先生の投稿が そして左下は、当時13歳の魚戸おさむ先生?(出身も北海道で合ってるし)
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今読みかけの横溝正史の時代物(捕り物)小説の中に「千姫と吉田御殿」の話が少し出たので興味を持って調べたが、もちろんフィクションであるようで、いわば、マリー・アントワネットが侍従や貴族たちと浮気ばかりしていた、という話のようなものだろう。だが江戸時代の口さがない町人の間の卑猥なネタとして人口に膾炙してはいたかと思う。

(以下引用)

人物[編集]

『魁題百撰相 秀頼公北之方』による千姫の錦絵(月岡芳年画)
  • 従兄にあたる初めの夫・豊臣秀頼とは夫婦仲睦まじく、千姫が16歳のとき、秀頼が女性の黒髪を揃える儀式「鬢削」を千姫にしていたのを侍女が見ている。
  • 穏和な性格の持ち主と伝えられる一方で、秀頼と側室の間に生まれた娘・天秀尼が処刑されそうになった際に体を張って必死の助命嘆願を行い、その結果、天秀尼は助けられたとされる。天秀尼は後に「縁切り寺」として有名な東慶寺の住職となった。
  • 曾祖父・織田信秀と祖母・の聡明さと美貌を受け継いだ、美しい姫君であったという。2人目の夫・本多忠刻(母・熊姫は徳川家康と織田信長の孫で、千姫の従姉である)も眉目秀麗であったといわれ、美男美女夫婦で仲睦まじかった。
  • 亡くなった際、娘・勝姫の長女である奈阿姫(本多忠平室)は祖母の菩提を弔うために「浄土三部経」を書き写し、弘経寺に納めた。奈阿姫の書いた「浄土三部経(紺紙金泥阿弥陀経)」は現在、茨城県常総市指定文化財となっている。
  • 祖父・家康や父・秀忠から可愛がられ、また、弟・家光とも姉弟仲は良好だったらしい。歴代の幕府もその経歴から処遇に関しては細心の注意を払った。
  • 江戸時代に『吉田御殿』(あるいは『千姫御殿』)[3]の伝承があり、夜な夜な美男を招き入れては殺す千姫像は、錦絵浪曲にもなった。昭和時代においてもその伝承を基にした映画[4]やテレビドラマ[5]が制作され、広く知られていたが、史実ではない。豊臣家や「千姫事件」の坂崎直盛への同情が生んだ民間伝承である。
これは、すべての小説に当てはまる言葉ではないだろう。確かに、内面描写の多い小説はつまらなくなりがちだとは思うが、小説の最大の長所は「心理描写ができること」と、「現実では不可能な空想が書けること」だと私は思っている。後者に関しては、映像より優れていると思う。簡単な話、確か、三島由紀夫が言っていたと思うが、ある人物を「美女(美男)である」と書けば、何も特別に描写しなくても、読み手それぞれが勝手に自分の好きな美男美女を想像してくれるが、映画だとどんな俳優が演じても、「これは私の想像とは違う」と思う人が大半だろう。
なお、漫画の創作法で、「キャラが一番大事」という考え方にかなりな支持者がいると思うが、話がつまらないとどんなキャラを出してもやはりつまらない漫画にしかならないと思う。よくある「日常もの」の漫画でも、実はそこに高度な物語(あるいはギャグや着想)が高度な技法で描かれている場合に名作や傑作になるはずだ。
そもそも、面白いキャラ(読み手に愛されるキャラ)を「作る」ほうが、面白い話を考えるより困難なのではないだろうか。低レベルな漫画の「面白いキャラ」と作者が思っているのは、単に非常識なだけの変人であり、高レベルな漫画になると、そこに「愛される要素」が入ってくる。たとえば、漫画だと「見かけ」だけでも愛される要素になる。これは小説ではできない、漫画だけの利点だろう。最近のライトノベルの表紙や挿絵が萌えキャラばかりになった理由はそこにある。安易と言えば、実に安易だが効果的なのだろう。

(以下引用)

ストーリーの書き方
@kakuniha
「登場人物の気持ち」は言わなくていい、ずばり「事の成り行き」を書けばいいんだ。人物が何を考えてるかということを、作者が言わなくても読者はわかる、というように書かなくちゃだめだ。(レイ・ブラッドベリ)出典:
まったく調べないままで書くのだが、思いついたことを書いておく。

日本では昔キリスト教徒やその教父、あるいは外国人全般を「伴天連(バテレン)」と言ったのだが、これは「パードレ」から来ていて、その「パードレ」とは「ファーザー(師父)(教父)」のことではなかったか、というのが私の思い付きである。

とある時代劇小説(横溝正史の少年向け小説)を読んでいて、その中に「パードレ」という言葉が出てきた時に、ふと「バテレン」の語源はこれではないかと思いついたのだ。
内田樹による「いい加減な書評」に対する、その書の編集者による批判だが、問題の書評は内田樹の「うっかりミス」と言うべきか、内田樹という人物の本質的な「底の浅さ」を示すものかは、私は彼の著作をロクに読んでいないので分からない。ただ、SNSでの発言にはしばしば他の人からは出て来ない鋭い指摘があるので、有益な知識人だとは思っている。
まあ、社会批判の内容が、常に「自分は安全圏にいる」ことを意図しているように見えるのは、マスコミ言論人としては仕方が無いのではないか。つまり、内田の発言はそう割り引いて受容するべきかと思う。逆に言えば、そういう言い方であってもちゃんと権威や権力への批判も一応しているから偉いと言うべきかもしれない。
下の記事も、内田が天皇制擁護者であることへの反感が、あるいは内田の書いた書評への反発の動機の一部かもしれないが、まあ、書評について書かれた内容が事実なら、内田による反論は難しいだろう。有名人や大家でも、雑な仕事をすると、こうなるという例である。

なお、私が「弘法も筆の誤り」ではなく「猿も木から落ちる」を記事タイトルにしたのは内田樹を猿扱いしたのではなく(私の数倍頭が良く、数十倍知識があるだろう。)、弘法にたとえるほどの「名人・達人」ではないだろう、ということである。




ASANOT BLOG / アサノタカオの日誌

編集者。本、旅、考える時間。

内田樹氏によるホ・ヨンソン詩集『海女たち』の書評に異議を表明します

 


2020年5月2日の西日本新聞に、内田樹氏によるホ・ヨンソン詩集『海女たち』(姜信子・趙倫子訳)の書評が掲載されました。その内容に異議を表明します。以下は出版元にて本書の編集を担当した立場にある、しかしながらあくまで一個人としての見解です。

個人や組織を非難・批判する内容ではありません。また、コロナ禍の大変な時期に書評掲載にご尽力いただいたすべての皆様への感謝の気持ちを片時も忘れたことはありません。今日の言論やメディアのあり方に対する問題提起として、投稿します。

 

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内田樹氏による、韓国済州島の詩人であるホ・ヨンソンの詩集『海女たち』の書評は、率直に言って一語たりとも読むべきところのない内容で、この情報を共有すべきかどうか悩みました。私がなぜ、ここまで強い言葉遣いで語りはじめるのか、自身の考えを少し丁寧に述べさせていただきます。本書の内容に関してはこちらを参照してください。

そもそも、800字という限られた文章量の半分以上、控えめに計算して全57行中42行を、対象となる本ではなく《自分語り》に費やす文章を《書評》とは呼べない、と私は考えます。冒頭から「私は韓国文学についてほとんど何も知らない」「どうしてそんな人間に書評を依頼してきたのか、よく理由がわからない」「訳者の姜信子さんとのご縁だろう」などという裏話や憶測を16行以上、書いているのですが、訳者によるとこうした書評依頼の経緯説明は誤解を招く不正確な記述です。

「思想家」を名乗り、マスメディアという公的な場で書評という枠組みで語るなら、好意的であれ批判的であれ、なによりもまず《他者の書物の内容を評する》という最低限の作法を守り、議論の責任を果たすことが必要です(当たり前のことを書いています)。また「武道家」でもある氏ですが、このたびの書評は道場破りの奇襲攻撃のようなものであり、書物の内容との真剣勝負を避け、不意打ちのようなやり方で斜め後ろから対象を斬りつける言論にほかならず、そうしたものを私は、言論に関わる編集者として、また一読者として容認できません。

内田氏は「さいわい私は(韓国)済州島には二度行ったことがある」と文中で証言しています。うち一回は「その地の痛ましい歴史にも詳しい…伊知地紀子さん引率の「修学旅行」」をしたという、誰もができるわけではない特別な学びの体験をもっているのであれば、「知らない」「理由がわからない」などと言い訳をすべきではないと個人的には思います。韓国「文学」の専門家ではなくとも、フランス「文学」を専攻したプロフェッショナルな人文学者であれば、また『街場の日韓論』という共著の編者であれば、なおさらです。

にもかかわらず書評の終盤まで、「私の主宰する凱風館」と「(済州島の)大衆食堂で食べた「さばの味噌煮」」という、氏の周囲にいる一部の仲間以外の読者とは共有しがたい、また書物の内容とは関係のない《自分語り》に居座りつづける文章を読み、私はその無責任な言動にひたすら情けないと思いました。あえて、思想家・専門家のような顔をせず、一般的「国民」である「おじさん」の顔で「日本人」およびその周辺の諸問題を語る、という氏独特のパフォーマンスである可能性を考慮しても、私的なブログではない新聞書評という場においては明らかにやりすぎです。

唯一、やや冷静な気持で受け取ることができたのは最終段落にみられる「生活者の顔を」以降の指摘ですが、詩集が体現する「見知らぬ老女(=生活者)」の顔を前にして「ひるむ」とだけ評して論を閉じるのは、常識的に失礼なことです。詳述は控えますが、植民地主義の歴史への反省を踏まえた近年の人文学の諸成果を振り返ると、文中の「俺は(済州島の老女である)この人と血縁だったのに」という「ひるむ」を受けての「血縁」発言は不用意なのもであり、大きな疑問を感じました。

責任ある言論人として内田氏に必要だったのは、「何も知らない」ゆえに書けないないのであれば書評の依頼を断ることでした。しかし人間関係であれその他の理由であれ仕事として引き受けたのであれば、対象について「何も知らない」としても、「何も知らない」他者のまなざしを借りて自分自身のひるむ顔をみつめ、自分自身の無知を問い直し、さらに氏が著述でおこなう表現を借りれば、「では、この老女の顔は私ではない誰に向けて語りかけているのか」と省察を深める「成熟」の態度であったと思います。書評の最後に見られる漱石夢十夜』への言及も、文学者である評者による苦し紛れの衒学的仕掛けに見えて、後味の悪いものです。

内田氏はリベラル的な思想をもつ人文学者でありながら天皇主義・保守主義を掲げています。そして国民国家などの社会制度が抱える諸問題を所与のものとして追認したうえで現状分析と未来予測の言説を次々と繰り出し、「市民」や「知性」などの用語によって代弁されるあるポジションに安住したいと願う一定数の大衆=ファンの関心を集める、権威主義的ポピュリスト・エリートです。

したがって、たとえばホ・ヨンソンの詩集がそうであるように、社会制度が抱える諸問題を所与のものとして追認することなく、「市民」や「知性」などの用語に長いあいだ安住できなかった女性たち、母たち、肉体労働者たち、反乱者たち、在日コリアンを含む離散民たち、歴史のなかで居場所をもたなかったものたちの声を現在において探求するような批判的な営みにはきわめて冷淡なのだと思われます。

私は、内田氏のメディアでの発言、ブログやSNSの投稿を追いかけるほどの熱心な読者ではありません。しかし、2001年の『ためらいの倫理学』から2014年の『日本の身体』まで、氏の主要な著作を敬意を持って読んでおり、時事問題に関して目の覚めるような知見を得たと感じることもありましたが、しばしば上記で見立てたような疑問も抱いてきました。が、それ以降の近年の著作は読んでおらず、また私自身の内田氏の思想理解も浅いものだと自覚していますので、それらを含めて氏のこれまで言論を再検証することは今後の課題とさせてください。

さて、西日本新聞の文化部は《書評》を依頼した以上、《特定のファンではなく不特定多数の読者を対象にした書評なので、ご自身のことではなく本のことを書いてください》と穏当な修正を求めるべきではなかったでしょうか。また冒頭で記したような、氏が憶測する書評依頼の経緯説明は誤解を招く記述なので当然、事前に関係者に確認すべきでした。が、著名人に忖度するあまり、当たり前の原稿チェック機能すら果たすことができないのは、私自身もその一員であるマスコミ・出版産業の根深い問題です。

左から右に自動的に流すような形で、内田氏ご本人がホ・ヨンソン詩集について「しかたがないので適当なことを書いてしまった」(2020年3月29日、Twitterでの発言)と予告した通り、あのような《ひとり言》に近い書評としては異常なテキストが新聞に堂々と掲載され、またそれが許されるのは、著者がほかならぬ《内田樹》という権威だからであると私は考えます。しかし内田氏に書評を書いてほしいと希望する気持ちは私自身にもありましたし、上記すべての批判の刃はそのまま自分自身に向けて、しばらく言論界の末席にいるものとして反省の時間をもちます。





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