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in deep」の一番新しい記事の冒頭に引用されていたものだが、私が長い間「人生のモットー」としていた聖書の言葉が、聖書のどこにあるのかがこの引用で分かったのでメモしておく。
まあ、「in deep」の記事自体は例によって「地球の滅亡が迫って筆者は大はしゃぎ」という内容で、引用されている中国とインドの衝突に関する記事もイスラエルという怪しげな国のマスコミ記事のようだ。

(以下引用)

新約聖書『マタイによる福音書』 24章 06-14節

戦争と戦争のうわさとを聞くであろう。注意していなさい、あわててはいけない。それは起らねばならないが、まだ終りではない。

民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。またあちこちに、飢饉が起り、また地震があるであろう。

しかし、すべてこれらは産みの苦しみの初めである。

そのとき人々は、あなたがたを苦しみにあわせ、また殺すであろう。またあなたがたは、わたしの名のゆえにすべての民に憎まれるであろう。

そのとき、多くの人がつまずき、また互に裏切り、憎み合うであろう。
また多くのにせ預言者が起って、多くの人を惑わすであろう。

また不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えるであろう。

しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。

そしてこの御国の福音は、すべての民に対してあかしをするために、全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである。

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私もクリスチャン・ラッセンの絵は嫌いなのだが、彼の絵を好む人間(女性より男が多そうな気がする。)もいるわけで、人はなぜ彼の絵が嫌いなのか、あるいは好きなのか、分析してみたくなる。
まず、私自身の「嫌悪感」の理由を自分の心に尋ねてみると、

(1)「絵」ではなく「デザイン」であるものを「絵」として売っている。
(2)その絵があまりに「キラキラ」していて、聖画の「後光」を意図的に連想させている。
(3)描かれた内容にまとまりがまったく無い。幾種類かの要素(波、光、イルカなど)を配置しただけであり、CGを使えば即座に幾つでも作れる。
(4)「波、光、イルカ」という「選択」に、「お前ら、どうせこんなモンが好きなんだろ」という軽薄な人間観が出ている。
(5)以上を総合すると、絵など好きでも何でもない、多少器用なだけの人間が「絵」を売り物にして商売しているだけだ、ということが何となく分かる。

彼の絵が好きな人間の「好きな理由」は、分からない。
で、問題の「彼の絵を好きな男に女性がうんざりする理由」だが、要するに芸術(絵画はそのひとつ)鑑賞のセンスが無いということは、「物事を判定し判断する能力」に何か大きな欠陥があるということを示すものだからではないだろうか。いや、高度な芸術ならともかく、ラッセンのような「分かりやすい偽物芸術」に騙されるようでは、その判断のすべてが怪しい、ということだ。実際、ラッセンの絵はキャッチセールスで売られており、その絵を買って部屋に飾るのは「詐欺に引っかかる(頭の悪い)人間」である証明であり、成り金が応接間に赤富士の絵を飾ったり黄金の招き猫を置くようなものである。
つまり「ラッセン判定」は正しい、と私は見る。

(以下引用)

ラッセン元から興味なかったけど、そこまで言われていたとは…
イルカ
汗マーク
それにしても進化系キラキラッセンは、本当に帰りたくなるw
引用ツイート
シャオリエル
@xiaoli888
·
若い頃「すんごいタイプの男性にお家に誘われてお泊まりする気マンマンで行ってもコレがあったら帰るよね」と友達と語り合ってたラッセン。久しぶりに見てみたら帰りたくなる度がアップしてる
汗マーク
これはセザンヌ評として一番なのではないだろうか。
セザンヌの絵は素人が見て少しも上手いと思わないのだが、セザンヌ自身が「絵を描きたい」という気持ちがそのまま絵の中に籠っている感じがする。それに近いのはゴッホやゴーギャンか。他の絵描きは、上手いのだが、義務で描いている感じが漂う。上手い(破綻がない)からこそそう感じるのかもしれない。荒々しい筆勢の絵には、生命感もあるようだ。

(以下引用)

大童 澄瞳 SumitoOwara【公式】
@dennou319
セザンヌの絵を見ると無性に油描きたくなってくる
フィクションの創作というのが苦行であるというのが石黒発言から分かる。もちろん、エロ漫画やバイオレンス漫画というのは描いている当人もそれが楽しいから描くのだろうが、石黒作品のように緻密な思考で精密に作り上げられた作品は、描いている本人は楽しいだけではないだろうな、と思っていたので、当人の口から創作が苦行であることを聞けたのは重要だ。もちろん、そうした苦行の果てに優れた作品を作れた時の達成感や満足感はのんべんだらりと生きている人間には得られない巨大なものがあるのだろう。まあ、それを自分は何もしないで楽しませてもらえる受容者が一番幸福かもしれない。優れた創作者への報酬が日本は安すぎる。
ただ、問題は、作品の質の判定を誰がするのか、ということで、結局売れている漫画(アニメ)が価値がある、という判断になってしまう。そのため、優れた作家が報われないことになる。

(以下引用)

石黒正数
@masakazuishi
まったくです。
なんでこんなに頭をややこしく回し細かい絵を描き続けているのか…。
俺の結論は前世の罪を償っている説。
引用ツイート
内藤泰弘/YasuhiroNightow
@nightow
·
頼まれてる訳でもなく生活がかかってる訳でもないのに漫画描くって凄い事だなと近頃改めて思う。何つーか純度高い。














町山智浩の映画評論や政治評論には「映画界の人間」としてのポジショントーク(たとえばトランプ批判もそれ。ハリウッドは反トランプである。)があるから時々妙なのもあるが、だいたいはまともである。下のツィートはフィクション全般に通じるもので、視聴者の「中二病精神をくすぐる」というのは通俗フィクションの骨法のひとつだ。悪役をカッコよく描くのもそれ。
つまり、視聴者の「俺はリアルに物事を見ているハードボイルドな男だぜ」という中二病心理をくすぐる台詞が悪役に与えられるわけだ。と同時に、若いころは自分が全能であることを夢見るものだから、悪役という「善も悪も実行できる存在」のほうが、「善しか実行できない」善人よりカッコよく見えるのである。(常に悪しか実行できない悪人は存在不可能である。公には善、つまり偽善を行えるのが悪人の必要条件。)
松本清張の時代物長編の凄みと魅力は、敵役の悪人の異常なまでの強さにある。

(以下引用)

町山智浩
@TomoMachi
主人公の乗り越えるべき間違った価値観を語る敵役は、中二の頃の作者だから、人々の心の中の中二をゾクゾクさせるんでしょう。たいていは大衆蔑視の選民思想なので、思春期にハマりがち。
引用ツイート
前Q(前田久)
@maeQ
·
「主人公の乗り越えるべき間違った価値観を悪役にセリフで語らせると、なぜかそれが名言扱いされて読者に支持されてしまう」という問題は、どーしたらいいんでしょうな。しばしば嘆いている作家さんを見かけるけど。
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