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・同じ日、札幌の場末の一画。蕪雑な家々が狭苦しく並んでいる。
・曇り空の下、その通りを歩く佐藤富士夫と桐井六郎。

佐藤「何で田端なんかを訪ねるんだ? 俺はあいつが大嫌いなんだが」
桐井「それは俺も同じさ。会いたいのは妹のほうだ」
佐藤「妹? あの、ビッコのキチガイ女か?」
桐井「まあ、頭は少し狂っているがな。天使のように善良な女だ」
佐藤「あの兄の妹だぞ」
桐井「だから気が狂ったのだろう。まともでは、この世の中で生きていけない。それに、田端がなぜ突然この町に来たのか、知りたい。銀三郎の帰国と関係がありそうだ」
佐藤「いつでも死ぬ気でいるわりには好奇心もあるんだな」
桐井「俺は、田端ではなくその妹に興味があるのさ。キチガイから見たこの世界がどんなものか知りたい。銀三郎のような男から見てこの世界で生きることがどんなかも知りたい。好奇心の有無と、生死への執着は別の話だ」

・みすぼらしい木賃宿の前でふたりは立ち止まる。
桐井「ここだな」(ふたり、中に入る。)

・田端兄妹の泊まっている部屋。桐井がノックする。返事は無い。構わず、ドアを開ける。
・部屋の奥の窓の張り出しに田端の妹が腰かけている。貧しい服を着ていて、化粧が調子はずれだが、眼が非常に無邪気で美しい。微笑をたたえてふたりを見るが、この微笑はほとんどいつも彼女の顔に浮かんでいる。
桐井「お邪魔するよ」
麻里江、無言で微笑のままうなずく。
桐井「お兄さんはいないのか」
麻里江「外をうろついているわ」
桐井「久しぶりだね。変わりはないか」
麻里江「何かあったかしら。あ、そうそう、私、結婚したみたい」
桐井「結婚?」
麻里江「あら、あれは夢だったのかしら。夢でもいいわ。とても素敵な人。赤ちゃんも生んだような気がするわ。とても可愛い赤ちゃんよ。でも、その赤ちゃん、どこへ行ったのかしら」
佐藤「このことかな?」(足元に落ちていた人形を拾い上げる)
麻里江「その子も可愛いけど、私の赤ちゃんはもっと可愛いの。でも、夢でしか会えない。旦那様とも一度しか会っていない。どんな顔だったかも忘れたけど、とても素敵な人だった」
佐藤と桐井、顔を見合わせる。或る疑念が心に浮かぶが、それが本当とはとても思えない様子。
桐井「何か困っていることは無いかい。お金とか」
麻里江「何も困っていないわ」
桐井「お兄さんからぶたれたりしないか」
麻里江「あんな奴、何でもないわ。私をぶてるもんですか。臆病者の癖にいつも威張っているだけよ。あの人の前では揉み手をしてペコペコするだけよ」
佐藤「あの人って?」
麻里江「さあ、誰かしら。誰か、夢の中で見た人よ」
桐井「君の旦那さん?」
麻里江「そうかもしれない。でも、どうせ夢だと思うわ。私、いろんな夢を見るの。赤ちゃんの夢が一番好き。でも、その赤ちゃんはどこにいるのだろう」
麻里江、ふたりの客を忘れたように窓の外の空を眺め、白昼夢に戻った様子。曇り空から一筋の光が落ちて、彼女を浮かび上がらせる。
ふたりはその彼女を無言で眺めているが、その女の姿は絵のようにも見える。


(インサートショット:夜、安酒場で見苦しく酔いどれる田端兄の姿。「カネならいくらでもあるぞ。俺を馬鹿にすんなよ」それを離れた席から眺める兵頭と富士谷、栗谷の姿。席から立ち上がって、田端の席に行く。「お兄さん、ご機嫌だねえ。一緒に飲まないか」)

(このシーン終わり)



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