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ここには思想的な問題の記事はあまり書かないで、フィクション関係の記事を中心にしているが、井沢元彦の「逆説の日本史」を最近読んでいて、いつも「そいつは違うんじゃないか」という漠然とした気持ちになる記述が多く、もちろん、それ以外の部分は非常に面白く、歴史的な話をこれだけ「思想的に分析し」「自説を構築できる」のは凄いな、と思う。しかし、それだけに、「おいおい、その部分は違うんじゃないか」という記述も時々出てくるのだが、読書の途中でいちいち深く考えるのも面倒なので、その疑問は棚に上げて先を読むことになる。

とりあえず、11巻の「戦国乱世編」の中で私が疑問視した部分を考察してみる。

井沢はよくやるのだが、日本の古代史や中世史の話をしながら、その途中で近現代史や世界史の話を出して、そこに「歴史的鉄則」がある、と強調する書き方をする。しかし、歴史書に記述された内容は(ほとんどが「勝者によって書かれた歴史」であり)もともと疑わしい事柄が無数にある、ということは井沢自身が常に強調していることだ。とすれば、それらの「疑わしい事実」に井沢が自分自身の「合理的思考」で異論や反論を述べたところで、それらに「法則性がある」と言うのは無理なのではないか。要するに、法則というのは(数学も含め)「科学」の場合にしか妥当しない言葉であり、歴史に関してはせいぜいが「傾向性」としか言えないだろう。そこに、「法則」や「鉄則」という言葉を使ったら、読者に悪い誤解を与えることになるわけだ。「法則」だから俺の言っていることはすべて正しい、俺の言葉はすべて正しいから信じろ、と洗脳していることになる。

それはさておき、井沢が「歴史の法則」のような言葉を使う場合に、それは古代から現代まで一貫するものだ、という前提であるわけだが、問題なのは、それが彼の「右翼性」を強調する内容であることだ。彼がフィクションを書く分にはいくら右翼志向の人間だろうが、面白ければそれでいい。しかし、「逆説の日本史」で彼が扱っているのは「事実」である。そこに、恣意的な自分の思想を「法則」である、として紛れ込ませるのは犯罪的ではないか、ということだ。

戦争や戦闘はフィクションの好材料であり、飯の種だ。だが、だからと言って、戦争や戦闘は人間の本能であり、戦争を軽視し、まともな軍隊を持たない国は亡びる、という自分の思想を歴史的法則だ、としてはマズいだろう。現実に、日本は第二次大戦後に世界の歴史上ほとんど存在しない70年余りにわたる「戦争の無い国」であったわけだ。
もちろん、安保条約で軍事力を米軍に依存し、そのために周辺諸国から侵略されなかったのだ、という「安保タダ乗り論」を信じるならそれでもいい。では、日本が自前の軍隊を持てば、安全になるのか、というのは大いに議論をすべきところであり、強力な軍隊を持った国家はむしろ戦争に自ら飛び込む危険性が高い、というのはそれこそ歴史的法則と言えそうなほどだ。井沢自身、秀吉の朝鮮出兵を、同書の351Pから352Pで、こう説明している。(以下赤字部分)

軍隊の仕事は「戦争」である。それが侵略であれ防衛であれ、戦争あってこその軍隊である。特に前近代においてはそうだ。
ところが、平和になったということは、平たく言えばそうした軍隊あるいは優秀な兵士の働く場所も仕事も一切無くなってしまったということだ。
当然、その軍隊は次の「獲物」を求める。
アレクサンドロスが、チンギス・ハーンが、あるいはヌルハチがしたのは、そういうことで、これは必然の結果なのである。
仮に、軍隊の長が「もうやめておこう」と言っても、部下が承知しない。それでもやめろ、つまり「お前たちの仕事はもう無い」などと言ったら、いかなる大権力者でも生きてはいけない。その権力自体が軍事力、すなわち兵士の集合体によって支えられているからだ。


まさしく、これこそが歴史の鉄則と言うなら鉄則だろう。実際、アメリカが数百年も戦争ばかりしているのは戦争が「軍隊の飯の種」だからだ。その背後には軍事産業があるのは誰でも知って、それを軍産複合体と言うのも常識だろう。
ならば、ここで井沢が主張すべきことは、「自衛隊のような『戦争をしないと憲法で定めている』軍隊こそが理想の軍隊であり、さらに理想を言えば、自衛隊すら持たないことだ」となるのが理の当然だろう。
実際、「諸国民の信義に依存し」戦争放棄をした平和憲法の宣言を諸国が信任したから日本は70年あまりの平和を享受できた、と見るのが理屈で言えば正しいことになるのではないか。
いや、日米安保に守られたからだ、という意見に対しては、安保条約には日本が侵略されたらアメリカは必ず日本を守る、という条項など無い、と言っておこう。書かれているのは、日本国内どこでも好き勝手に米国は米軍基地を置くことができる、というだけの話だ。つまり、日本を軍事的支配下に置くことだけが日米安保条約の本質だと言っていい。

まだ書くべきことはあるが、長くなったので、ここまでにしておく。








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