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確か、萩原(荻原だったか?)朔太郎が、「なぜ詩(小説なども含むか?)を書くのか」という質問に、簡潔に「復讐」と答えたという話があるようだが、下の北村薫の言葉も同じことだろう。つまり、ままにならない自分の実人生や、それをそういうようにさせた存在(神、創造主)への「復讐」であり、「抗議」であるわけだ。
私は、好きなゲームは何周もする人間だが、2周目や3周目のほうが、気楽に楽しめるのである。1周目は、「何がどうなっていくのか分からない」という不安感と共にプレーしているので、スリリングで面白い反面、「楽しさ」にはむしろ欠けるわけだ。

こういう、「2周目」的な感じは、「実人生から降りて小説世界を楽しむ」感じに似ている。実人生の苦痛や恐怖は、小説世界では単なる刺激物になり、成功感や高揚感は実人生同様に味わえるわけだ。いや、むしろ、現実人生よりも「高度な人生」が味わえるのである。我々の日常に、トルストイやドストエフスキーやバルザックやデュマの登場人物のような存在が有り得るだろうか。

最近のゲームは2周目以降に、1周目で得た経験値や道具などを持ちこして、「強くてニューゲーム」というシステムがあるらしいが、「なろう小説」の大半は、「強くてニューゲーム」精神で書かれているのではないだろうか。




(以下引用)


「小説が書かれ読まれるのは、人生がただ一度であることへの抗議からだと思います」という北村薫の言葉が、とても好きです。選ばなかった、選べなかった、与えられなかった、たくさんの「もしもの世界」に、小説を読み、また書くことで、私たちはいきられるのだと思う。








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