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山本弘(作品はひとつも読んだことがない。世界のSFがニューウェーブとかサイバーパンクとか言い出して以降はまったく読んでいないのである。)のブログ記事だが、小説創作についてのいいアドバイスをしているように思う。
「僕の妹は漢字が読める」というタイトルはなかなかいいと思うし、山本氏も言うように設定が面白い。だが、この作品が失敗しているとしたら、小説あるいは漫画というのは無数のエピソードをいかに効果的につなげるかが生命だからだろう。そのひとつひとつのエピソードが面白く、読者の心をわしづかみにするのが巨匠なのである。そういうエピソードを考えるのも面倒くさいという私のような人間は長編小説など書く資質がゼロなのだが、書いてみたいという欲望だけは若いころから今まである。まあ、アイドルに憧れるブス・不細工な若者と同じだ。

(以下引用)

『僕の妹は漢字が読める』の感想がひどい件

 かじいたかし僕の妹は漢字が読める』(HJ文庫)というライトノベルが話題になっている。

 日本人の国語力が衰退し、漢字を読める者がほとんどいなくなっている23世紀の日本。そこで生まれ育った少年が主人公のコメディだ。

 まず最初に言っておくと、僕はこの作品を評価しない。

 5点満点で2点ぐらい。

 なぜかというと、せっかくの面白い設定をぜんぜん使いこなしていないからである。

 まず、主人公の生きている23世紀の日本の描写。アニメやラノベ的な感性が当たり前になっているという設定なんだけど、そこの描写が甘い。「二次元総理」というネタには笑ったけど、笑えるのはそこぐらい。

 こういうのは、もっといろんなディテールをぶちこんで、この世界のおかしさをたっぷり見せれば、はるかに笑える作品になっていたはずだ。だが、作者はそこまで深く考えなかったようだ。そのへんがSFを読みなれた人間には、ものすごく歯がゆい。

 たとえば主人公が「童貞」という昔の言葉を知らないというシーンがある。じゃあ、この世界では「童貞」はどう呼ばれているのだろうか。いや、そもそもこの世界では、童貞という概念は現在の我々のそれとはまったく異質なものになっているのではないか。たとえば、2次元の方が3次元より重視されている世界では、むしろ肉体を持った女性との性交渉が異端とされているのではないか。そのせいで人口は減少に向かっているのでは……と、いくらでも想像は広がるはず。

 また、妹が「童貞」という言葉の意味を質問されて恥ずかしがるというのも、よく分からない。この世界でも童貞は恥ずかしいことなのか? 彼女は漢字が読めるというだけで、この世界で生まれ育ったんだから、感性は基本的に23世紀人のそれのはずなんだが。

 あと、主人公が精巧なロボットを見て「これは凄い」と感心したりするのも変。2世紀経ったらそんなものは当たり前だろう。

 しかも、この時代になってもまだ本は紙でできていて、主人公が尊敬する作家に見せてもらう原稿も、紙にプリントアウトしたものなのである。ないない、それはない。「30世紀にちゃぶ台」並みにありえない。

 主人公が21世紀のエロゲのポスターを見て「宗教画だ」、美少女フィギュアを見て「マリア像だ」と勘違いするというのも、明らかに作品の世界観に反している。むしろ宗教画を見てエロゲのポスターだと勘違いするべきではないのか。

 まあ、ギャグ作品で細かいところまでつじつまを合わせろとは言わないが、主人公の考え方が作品の設定と矛盾しているのは、さすがにいただけない。

 この作品を「ラノベ批判だ」と早とちりしている者もいる。そんなことはない。僕の目には、むしろ作者はラノベの定石に忠実すぎて、そこから飛躍できていないと感じる。

 後半、21世紀にタイムスリップしてきた主人公が高校に通うようになるのだが、その展開に無理がありすぎるうえ、必然性がまったくない。漢字の読み書きができないので苦労するのを見せたいなら、学校でなくても、日常生活で十分だろう。どうも「ラノベの主人公は学校に通うもの」という定石に縛られているだけのように見えるのだ。

 主人公と妹の関係も、さすがに見飽きた。新味がない。

 つーか、この設定だけくれ! 僕に書かせろ!

 頭からすべて書き直して、面白い作品にしてやるから!

 ……とまあ、いろいろ書いてきたけど、僕はべつにこの作品に腹は立たない。シオドア・スタージョンが言うように、どんなジャンルでも90%はクズなのだ。ハズレに当たるたびに、いちいち腹立ててなんかいられない。

 僕が腹が立ったのは、むしろこの作品を批判している連中の方である。

http://blog.livedoor.jp/goldennews/archives/51641055.html

>地の文が酷いw

>ラノベってこんなレベルばっかりなの?

>設定以上に文章がひどい

>これでプロの作家を名乗れるんだから、ラノベはマジキチ

 ……あのさあ。

 君ら、一ページ目に書かれている設定、ちゃんと読んだ?

 これは漢字の読み書きができない主人公が書いたハチャメチャな文章を、現代の読者に向けて「意訳」したっていう設定なんだよ。それで文章が上手かったら、逆におかしいだろう。

「我輩」の一人称のパートを読めば分かるように、作者はちゃんとした日本語を書ける人なのだ。わざと下手な文章にしているのである。

>このものがたりちゅうにつかわれている『じゅうこうだ』のひとことをとりあげてもいみがとくていできない。

>ぜんごぶんのつながりで、そのいみをはんだんするしかなく、にじゅうさんせいきせかいではあるいみどくしょのちからはこうじょうしているのだろう。

 もちろん「重厚だ」というのも原文では「ずっしりん」とか書いてあったのを意訳したということなんだろう。それぐらい分からんのか。

>隙のない美貌の妹を持つ兄が何でこんなB級顔なんだよ

 義理の妹だって、ちゃんと説明されてるだろ!?

> こんなのが許せられる時代って・・・・

 うん、確かに「許される」という言葉もまともに書けない奴がいる時代って悲しいよね(笑)。

>それとも俺が知らないだけで、こういう良い意味で阿保なラノベって多いの?

 無理して慣れない漢字使うことないぞ。阿呆はカタカナで書け。

 もしかしたらスラングのつもりで使ったのかもしれないが、阿保(あぼ)という姓の人は実在するので、こういう使い方をしてはいかんと思う。

>ラノベケータイ小説なんかが面白いとか言ってる馬鹿が増えれば、いずれ日本はこんなアホみたいな世界になるぞって、警笛を鳴らしてるわけだ

 鳴らすのは「警鐘」な。警笛鳴らしてどうする。

>発想は良かった、のだと思う。過去形。

>「現代文学」とやらが、日常会話とかけ離れている時点でもはや「韻文」なのだろうか、これはまさに「読めません」だ。文学ならばそれでいいのだろう。読めないが。

 お前の文章の方が読めません(笑)。日本語が崩壊している。そもそも「韻文」の意味を分かってるのかも疑問。

>なんかブラッドベリの「華氏411」思い出した。

 有名なタイトルを間違えるな。

>この程度のやつと筒井康孝を比べるなよ

 筒井康隆氏を引き合いに出すなら、名前ぐらいちゃんと書け。失礼だ。

>何がどうすごいかすげえ気になるけど長すぎて読む気分になれない・・・

 ギャグだよな!? ギャグだと言ってくれ!

 かと思えば、変な深読みしている連中もいる。

>もしかしてこれって漢字教育廃止した某半島国家を揶揄してるんじゃないのか・・・?

>というより、どう考えても元ネタはハングルと漢字が読めない韓国人をネタをしているとしか思えん。

 いや、そんな意図、ないない(笑)。

>「自分は文筆業である。

> 漢字を繰り、

> 言葉を紡ぐ者である。」

>という自負に溢れた文章書きが放つ、

>独特の自己(と同類)への陶酔を伴った

>自慰作品であると感じた。

>ケータイ小説とかラノベを皮肉ってるように思わせて、実は村上春樹を始めとした現在の純文学を皮肉ってるんじゃないか

 だからそんな高尚な意図ねえって!

 君ら、赤いパンツが「重税に苦しむ日本国民の心情を表現している」と言った、作中のオオダイラ先生と同じ間違い犯してるよ!

>これラノベを暗に否定(危惧?)してるわけだよね。

>普段からラノベ通読してる人達はこれ読んでどう思うんだろう…

 どうも思いません。ジャンルの定石を皮肉った自虐ネタなんて、ラノベには珍しくないよ。

 これで「すごい」と騒ぐのは、ラノベにどんな作品があるかを知らない人間ではなかろうか。

>ラノベは文学じゃない

>絵の書けない漫画家の逃げ道

 はいはい、ラノベを読んだことのない奴の典型的な偏見ね(笑)。

 ついでに言うと、絵は「書けない」じゃなくて「描けない」って書くんだよ。「描」は小学校で習う漢字だと思うけど?

>こんな引き込まれない導入は始めてだが、ラノベってみんなこうなのか?

>普通の小説は最初の半ページでガッツリ掴んでくれるぞ?

 普通の小説でも半ページでがっつりつかんでくるものなんて、そうそうないんだが。お前はいったい何冊ぐらい小説を読んだうえで言ってるのかと、小一時間ほど(以下略)。

>イラストが致命的にダメだ。もうその時点で読む気せぇへん

 イラストで否定!

>内容に主義・主張があればこんなどこかで見たようなタイトルにはなるまい。

 タイトルすら否定!

「僕の妹」というフレーズが入っているだけで、便乗作品だと思いこんでいるらしい。

>他人の作ったものを踏み台にするような作品はちょっと

 パロディとかオマージュとか全否定!?

 いや、参った。あきれた。

 頭の悪いラノベを笑っているつもりかもしれないが、実はそのラノベの設定や作者の意図を理解する読解力さえない(難解な文学作品ならともかく、ラノベだよ?)。

 作者の文章を笑っているつもりかもしれないが、実は自分もまともな日本語が書けない。

 さらには、中身すら読まず、タイトルやイラストの印象で評価する。

「普通の小説」と比べてラノベをバカにしてるけど、実は決定的に読書量が少ないことが露呈しているではないか。おそらく普段、ラノベすら読まず、マンガばっかり読んでるんじゃないかしらん。

 これでは2世紀ぐらい経ったら、本当にこの作品のような世界になってしまうんじゃないだろうか。心配だ。

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最近、ドストエフスキーの小説を読み直しているが、その「語り方」に共通した特徴があるようだ。それは、「神の視点」、つまり作者自身が神であるかのように作品世界全体を「客観的に」描くのではなく、作中の誰か(脇役ですらないが、出来事の全体を熟知する人間)が語る形式で語る手法である。これは、その「語り手」がなぜ事件の詳細を知っているのかという疑問を読者に抱かせる危険性はあるが、単なる一人称(主人公自身が語り手)手法に比べて、より客観性が生じる利点がある。また、作中の異常なキャラの異常性が迫真的になる。だが、「語り手」が存在するはずの無い場面までリアルに描くと、完全に「嘘くさくなる」はずなので、そこが筆力の問題になるわけだ。少なくとも、作者の思想を「地の文」で表明するのと、作中人物の発言として描くのでは、読者は後者のほうにより「聞く気になる」と思われる。それは、その人物が本気か嘘かが不明なだけ、読者の判断力が問われ、真剣に読むからだろう。
なお、ドストエフスキーの長編では、たいてい「誰が語っているのか」ということはかなり曖昧にされるのが常である。とにかく「事件の目撃者」あるいは「事件の事情を詳しく知る人物」であることしか読者には分からないのである。仮にこの手法を現代で使ったら、評論家には「作劇上の欠点」としか見做されないだろう。現代の我々は「一人称」でなければ「三人称」(非常に稀に「二人称」)という作劇法に頭が固定されているからだ。
なお、各章の終わりが「その場面への誰かの乱入」という形になっていることが多い。これは週刊漫画などでの「次回への『引き』」の手法であり、ドストエフスキーの作品の「刺激の強さ」「迫力」「ドラマ性」の一因になっている。
小説や脚本の小ネタとして。

男女デュオの名前が「我恋流」で、読みは「ガーゴイル」。女性ボーカルは「ガーコ(ガー子、鴉子、我子など表記は自由)」で、ギタリストの男が「イル(ill、 IL)」。作詞作曲はガーコとイルのどちらも可能。編曲は主にイル。福島と宮城出身。政治や社会や常識へのニヒルさと、「至高の存在への憧れと絶望」が歌詞の大半。コンサートで歌う「私はイエスが分からない」が絶品で、客のほとんどはこの曲を聞くと泣き出す。ガーコは、普段は顔の上半分が奇抜なメイクで、下半分は「口裂け女」の口を描いたマスクをしているので素顔は不明だが、かなり美女の模様。イルはサングラスに普通の手術マスク、長髪、やせ型。
我恋流のライバルのロックグループが、沖縄出身の「ワンカラ(one colourと表記することもある)」で、名前は沖縄方言で「出しゃばり(自分から、俺から)」の意味。

農業高校の生徒3人(あるいは5人)が異世界に飛ばされる。そこで、高校で習得した知識を利用して重宝される人材になる。
最後は、5人の教えた野球で隣国との友好関係を結び、大団円となる。



普通科の高校とは何が違う?
農業高校で学べること

「ある農業高校(都市園芸科)1年生の時間割」の表を見てもわかるように、農業高校でも普通科高校と同様に国語、数学、外国語などの教科を学びます。そのうえで、専攻分野に応じた専門科目を1年次から学ぶことができます。

ある農業高校(都市園芸科)1年生の時間割

曜日 時間
1 2 3 4 5 6 7
化学基礎 体育 現代社会 数学I 保健 コミュニケーション英語I
農業情報処理 農業情報処理 家庭基礎 家庭基礎 国語総合 体育
農業と環境 農業と環境 現代社会 数学I 国語総合 ホームルーム
国語総合 コミュニケーション英語I 農業と環境 農業と環境 化学基礎 数学I 人間と社会
化学基礎 コミュニケーション英語I 音楽/美術 音楽/美術 総合実習 総合実習
 は農業科の専門科目。1年生は1週間に8時間実施。

農業高校の専門科目では、植物(野菜、草花など)や動物(家畜など)、食品や地域環境などについて、基礎的な知識や技術、その活用方法を学んでいます。学校によって違いはありますが、地域に根差した学科やコースが充実しているのが特長です。ここでは主な学科を「生産技術・経営系」「資源活用・ヒューマンサービス系」「環境技術・創造系」の3つに分けて、学習内容などを紹介します。

1.生産技術・経営系

生産技術・経営系には、「農業」、「園芸」、「畜産・動物」、「バイオ」、「農業経営」などを専門に学ぶ学科が分類されます。都市部の農業高校では都市型農業など、地域に根差した農業の形を学ぶ科目があったり、動物科でも小動物を専門とする科目を学ぶ高校もあります。そのほか、バイオ技術や流通などを学ぶコースなどを設置している学校もあり、幅広い知識を吸収できるようになっています。

写真:牛舎の様子

2.資源活用・ヒューマンサービス系

資源活用・ヒューマンサービス系には、「食品」「生活」を専門に学ぶ学科が分類されます。「食品」系の学科では食品製造や加工、食品の栄養成分や分析、食品を扱う際の衛生管理などを専門的に学びます。一方、「生活」系の学科では、食生活を含む家庭生活全般や保育、福祉などに関する基礎的な知識を学びます。被服やファッション、フラワーデザイン、フードデザイン、家庭介護などの科目があるのが生活系の学科です。

写真:饅頭作成の様子

3.環境技術・創造系

環境技術・創造系には、「農業土木」「森林・林業」「造園」などを専門に学ぶ学科が分類されます。これらの学科では測量、土木、環境、森林、林産加工、公園や庭園などのデザイン、環境デザインの知識や技術を学びます。森林・林業などの専門学科がある農業高校は全国的に多くありませんが、国土の約7割を森林が占める日本では、森林・林業など環境技術系の知識を修得したスペシャリストの育成が期待されています。

写真:測量の様子

在校生が取得を目指す主な資格・免許

農業高校の魅力のひとつにあげられているのが、さまざまな資格や免許取得に挑戦できる点です。在学中に取得可能な資格や免許・検定を一覧にしてみました。

取得可能な資格・免許の例

生産技術・経営系 農業簿記検定、初級バイオ技術者認定試験、一般毒物劇物取扱責任者、3級フラワー装飾技能士(国家資格)、3級室内園芸装飾技能士(国家資格)、アーク溶接、ガス溶接、動物愛護社会化検定など
資源活用・ヒューマンサービス系 食品衛生責任者、食生活アドバイザー3級、3級販売士、家庭科技術検定(被服、食物調理、保育)、調理師免許、全商簿記実務検定など
環境技術・創造系 測量士・測量士補(国家資格)、2級土木施工管理技士(国家資格)、造園技能士(国家資格)、小型車両系建設機械運転、高所作業車、フォークリフト、刈払機取扱いなど
学科共通 日本農業技術検定、アグリマイスター、FFJ検定、土壌医検定、危険物取扱者、2級ボイラー技士など
その他 日本情報処理検定、実用英語技能検定、実用数学技能検定、日本漢字能力検定など

卒業生の声

新作というか、次の作品の案として「タイガー! タイガー!」の続きを書くのもいいかな、とも思っている。舞台はだいたいできているし、キャラクターも結構いるし、それぞれわりと気に入っている。ただ、中断時点からの「話」がまるで考えられていないのである。まあ、

1:タイラスでの闘争と逃走
2:サントネージュでの権力闘争
3:フロス・フェリの一味の話
4:副主人公の赤毛の青年の話

などになるかと思う。それに加えて、大魔導士やその一味の話もある。
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