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崇神天皇は第十代天皇とされているが、日本書紀では「ハツクニシラススメラミコト」と書かれており、大和朝廷を確立した天皇と思われる。その和風諡号は「ミマイリビコイニエノスメラミコト」で、「イリビコ」は「入彦」の字が当てられている。つまり、「他所から来た男」である。あるいは、沖縄では東を「アガリ」、西を「イリ」と言うが、「西から来た男」とも解釈できるのではないか。(「アガリ」は日が上がる、「イリ」は日が地下に入る意味だと思われる)
つまり、神武東征が、後に大和王朝と呼ばれた王朝の西から東への移動の始まりで、崇神が、大和地方で大和朝廷を確立した、と思われる。当然、この朝廷は大陸あるいは朝鮮からの移入者が中心を占めていただろう。余所者だからこそ、各地に盤踞する原日本人を「征服」する必要があったのだ。それは、稲の栽培に適した場所を求めての東征でもあっただろう。この人々が、弥生人である。
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