電話の音で刑士郎は目を覚ました。いつの間にかソファでうたた寝をしていたのである。
「はい、竹田です」
自分の偽名を思い出しながら電話に出る。
「井上さんという方からお電話です」
フロントの声の後、電話がつながる。
「竹田さんですか。私、池島のところの者ですが、今、お会いできるでしょうか。……はい、ロビーにいます」
池島とは誰だったか、急には思い出せなかったが、それが北**署の署長の名であることを思い出し、すぐに下りて行く、と返事をした。
ロビーのソファにかけていた井上という男は、三十前後のハンサムな男だった。私服を着ていて、ぱっと見には警察官らしい雰囲気は少ないが、目つきや姿勢にやはりそれらしいところはある。
「井上です。池島さんからこれを預かってきました。それから、何かあったら竹田さんに便宜を図るようにと言われています」
そう言いながら彼が手渡したのはジュラルミン製の中型トランクである。持つとずっしりと重い。
武器だな、と刑士郎は察した。
「井上さんへの連絡は?」
「はい、こちらへお願いします」
井上は名刺を渡した。内線電話番号と、「北**署交通課 井上明史」とある。
「交通課ねえ。駐車違反をしたときはお願いします」
井上は顔を赧らめた。
「交通課勤務は私の本意ではないのですが、署長がどうしても捜査二課への配属を許さないのです」
「井上さんはご結婚は?」
「まだです」
「母一人子一人でしょう」
井上はびっくりした顔をした。
「は、その通りです。どうして分かりましたか」
「もしかしたら、あんたのお母さんと署長さんとは昔の同級生か何かでは?」
「その通りです。どうしてそんなことが分かるんですか」
「勘ですよ。母一人子一人の人間を組織暴力団相手の部署にやりたくないということです。察するに、あんたのお母さんは、今はどうかしらないが、昔はかなり美人だったに違いない。あんたを見れば、それは一目瞭然だ。池島署長の憧れの人だったんじゃないかな」
「そうだったのか。ちっとも知らなかった。あの池島署長が……」
「あくまで推測ですよ。それより、私がこれから何をするのか聞いていますか」
「この町のヤクザどもの抗争と何か関係があると聞いてますが」
井上は声を潜めて言った。
「そう。旭組と明治会と、二つともぶっ潰すんです」
井上はギョッと驚いた。
「で、池島署長や井上さんにして貰いたいことは、私に何かあった時に、私を法的に守ってくれることです。特に、警察官に邪魔をして貰いたくない。ヤクザに捕まるのは仕方がないが、警察に捕まるのは御免だ」
「それは……たぶん大丈夫です」
「どうだか。私はこれまで警察が一般市民ではなくヤクザを守る場面もずい分見てきましたからね。ここではそんな目に遭いたくない。もっとも、私も一般市民とは言えないが」
「全力で竹田さんを守ります。ご安心ください」
刑士郎はそれから井上を部屋に招いて、二時間ほど彼からこの町の状況を聞いた。それぞれの組の幹部の名、組員のたむろする場所、行きつけの酒場や麻雀屋、覚醒剤取引によく使われる場所、幹部の家、それぞれの情婦の名や勤め場所。
ジュラルミンのカバンとは別に彼が持っていた書類鞄には、顔写真の貼られた組員リストがあった。
それから一週間、刑士郎は飲み屋を歩き回り、時々出遭う組員の名と顔を一致させることに努めた。もともと人物の特徴を即座に覚えることは警察官の必須技能の一つである。一週間のうちに、両組織の構成員のおよそ八割くらいは認識できるようになった。ただ、最高幹部とは、滅多に顔を合わせることは無かった。
「はい、竹田です」
自分の偽名を思い出しながら電話に出る。
「井上さんという方からお電話です」
フロントの声の後、電話がつながる。
「竹田さんですか。私、池島のところの者ですが、今、お会いできるでしょうか。……はい、ロビーにいます」
池島とは誰だったか、急には思い出せなかったが、それが北**署の署長の名であることを思い出し、すぐに下りて行く、と返事をした。
ロビーのソファにかけていた井上という男は、三十前後のハンサムな男だった。私服を着ていて、ぱっと見には警察官らしい雰囲気は少ないが、目つきや姿勢にやはりそれらしいところはある。
「井上です。池島さんからこれを預かってきました。それから、何かあったら竹田さんに便宜を図るようにと言われています」
そう言いながら彼が手渡したのはジュラルミン製の中型トランクである。持つとずっしりと重い。
武器だな、と刑士郎は察した。
「井上さんへの連絡は?」
「はい、こちらへお願いします」
井上は名刺を渡した。内線電話番号と、「北**署交通課 井上明史」とある。
「交通課ねえ。駐車違反をしたときはお願いします」
井上は顔を赧らめた。
「交通課勤務は私の本意ではないのですが、署長がどうしても捜査二課への配属を許さないのです」
「井上さんはご結婚は?」
「まだです」
「母一人子一人でしょう」
井上はびっくりした顔をした。
「は、その通りです。どうして分かりましたか」
「もしかしたら、あんたのお母さんと署長さんとは昔の同級生か何かでは?」
「その通りです。どうしてそんなことが分かるんですか」
「勘ですよ。母一人子一人の人間を組織暴力団相手の部署にやりたくないということです。察するに、あんたのお母さんは、今はどうかしらないが、昔はかなり美人だったに違いない。あんたを見れば、それは一目瞭然だ。池島署長の憧れの人だったんじゃないかな」
「そうだったのか。ちっとも知らなかった。あの池島署長が……」
「あくまで推測ですよ。それより、私がこれから何をするのか聞いていますか」
「この町のヤクザどもの抗争と何か関係があると聞いてますが」
井上は声を潜めて言った。
「そう。旭組と明治会と、二つともぶっ潰すんです」
井上はギョッと驚いた。
「で、池島署長や井上さんにして貰いたいことは、私に何かあった時に、私を法的に守ってくれることです。特に、警察官に邪魔をして貰いたくない。ヤクザに捕まるのは仕方がないが、警察に捕まるのは御免だ」
「それは……たぶん大丈夫です」
「どうだか。私はこれまで警察が一般市民ではなくヤクザを守る場面もずい分見てきましたからね。ここではそんな目に遭いたくない。もっとも、私も一般市民とは言えないが」
「全力で竹田さんを守ります。ご安心ください」
刑士郎はそれから井上を部屋に招いて、二時間ほど彼からこの町の状況を聞いた。それぞれの組の幹部の名、組員のたむろする場所、行きつけの酒場や麻雀屋、覚醒剤取引によく使われる場所、幹部の家、それぞれの情婦の名や勤め場所。
ジュラルミンのカバンとは別に彼が持っていた書類鞄には、顔写真の貼られた組員リストがあった。
それから一週間、刑士郎は飲み屋を歩き回り、時々出遭う組員の名と顔を一致させることに努めた。もともと人物の特徴を即座に覚えることは警察官の必須技能の一つである。一週間のうちに、両組織の構成員のおよそ八割くらいは認識できるようになった。ただ、最高幹部とは、滅多に顔を合わせることは無かった。
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