そして、それ以外に祖父が教えたことは、「構えなど気にするな」「飛んだり跳ねたりするな」という2点であった。これは、それまでに見たことのある忍者アニメや忍者漫画と正反対の教えで、侍同士の戦いは、最初に恰好よく構えて、相手が攻撃してきたら派手に飛んだり跳ねたりして攻撃を避けるのがほとんどだったからだ。「足元が定まっていないと、打ちこみがいい加減になる」「飛んだり跳ねたりしている間、空中にあるお前の動きは次の体の位置が決まっているということだ。つまり、相手がそこを狙えば、簡単に打たれることになる。普通に歩くように動き、相手の動きを予測して、そこを打てばいいのだ」
確かに、祖父が道場破りを相手にした時を思い出すと、祖父はほとんど構えらしい構えをせず、相手にスタスタと近づいて、ポンと打って終わり、ということが多かった。相手がなぜそんなに簡単に打たれるのか、見ている私には不思議でならなかったものだ。
名人というものは、相手の視線の動き、足の位置、体の構えなどから、相手が次にどういう行動に出るか、「読める」ものらしい。幕末の寺田何とかいう名人の試合がそれだったらしい。
まあ、そうは言っても、祖父は幼い私を剣道の道に進ませる気はほとんんど無かったようで、最初の教え以外は、「自分で工夫しろ」と言うだけだった。それに、剣道よりも、学校でやる運動競技の練習をしたほうが当座の役に立つと思っていたのだろう。つまり、私自身の生活の質という奴をちゃんと配慮していたわけだ。
低学年の間私が学校での運動が苦手で劣等感を持っていたことは前に書いたが、3年になった時から祖父は私の運動能力向上の手助けをしたわけである。その効果は半年くらい経ってからメキメキ現れてきた。まず、4年になると走力がクラスでも上位になった。もちろん、私より速い子は何人かいたが、クラスのベスト5くらいまでは上がってきたのである。何も走る訓練をしていない子供が普通なのだから、これは当然の結果だろう。クラスの上位の子は、家庭の方針で何かのスポーツをやっている子供ばかりだった。ある意味では、こういう「不平等な競争」というのが学校体育や学校教育の本質かもしれない。
まあ、この文章は私の一生の一区切りの記念に書いているので、実は読者を想定していない。どういう一区切りかというと、私にとって生きる上で大きな存在であった祖父が先日亡くなったのである。その法事が終わり、やっと周囲が静かになったので、私自身に関する祖父の思い出を回顧しているうちに、それを文章にしたほうが良さそうな気がしてきたわけである。
かと言って、私自身が祖父を最初に見た時の思い出など、あるはずがない。気が付いた時は、祖父がいつも近くにいたわけだ。で、祖父のほかに私の母である明里(あかり)がいつもそばにいた。父は私が物心ついた時には既に亡くなっていたのである。
祖父の名前は正木龍三と言う。剣道界の一部では多少知られた存在だったらしいが、何かの流派に所属することはなく、自分で小さな個人道場をやっていて、その息子の和也(私の父)が道場に所属していた美人の娘さんと相思相愛になって私が生まれたらしい。まあ、実際、母は37歳の今も、なかなかの美人で、学校の参観日などではいつも人目を惹いたものである。
なお、祖父の道場には門下生はほんの数名しかいない。看板には「二天一流」と書いてあるが、これは言うまでもなく宮本武蔵が自分の剣法の名とした名前だ。祖父はその宮本武蔵の「五輪の書」と「兵法三十五箇条」を自分で読解してそれを考究し、自分なりの「二天一流」を工夫したわけである。
たまに物好きな「道場破り」が現れるが、だいたいは大学の剣道部レベルで、ほんの一合か二合も竹刀を合わせないうちに祖父に打たれていた。祖父の着物(道着を付けないで普通の着物の時もある。)に相手の竹刀が触れたことすらなかったのだが、まあ、これは相手が弱かっただけだろう。全日本剣道大会に出るレベルの道場破りは私は見たことが無いが、祖父の門下生の梶原武治という人は、警視庁の警部だが、全日本剣道大会で上位になったことがあるらしい。ただ、二刀流ではなく、ふつうに一本の竹刀で試合したようだ。この人は巨漢なので、体格に圧倒されて負けた相手も多かったのだろう。
で、道場破りに来る者の中には私の母が目当てでくる馬鹿もかなりいて、祖父に負けた後で入門を申し込むこともあったが、「では、この明里と試合して勝ったら入門を許そう」と祖父に言われ、母と対戦するのだが、これも母が負けたためしがない。
ということで、我が道場の経営はまったく謝礼とかが取れないのだが、どこかの誰かの援助で、家も道場も潰れないで済んでいたようだ。一説には或る右翼の大物が援助していたという話もあるが、祖父は政治嫌いなので、おそらくデマだろう。
そういう家系だから、この文章を読む人がもしいたら、「この『主人公』はきっと、その祖父とやらから英才教育を受けて、剣道の天才になるという話だろう」と既に推測していると思うが、けっしてそんなことはない。私が竹刀を持ったのは、やっと10歳になってからである。祖父の持論として「筋肉や骨格の出来上がらないうちに激しい運動をさせてはならない」という考えからである。
祖父から教えられたのは、むしろ学問である。と言うより「勉強の仕方」だ。
私は物心ついた時から既に個室を与えられていたが、その壁には「五十音表」と「教育漢字表」が貼られていた。母が、その五十音表を指して「あ、い、う、え、お」と何回か読み上げながら文字を指したが、私が受けた家庭教育はほとんどそれだけである。後は、振り仮名付きのわずかな漢字の入った幼児向けの童話を数冊与えられた。当然、好奇心に駆られ、私はそれらの童話を何度も読み返し、小学校に上がる前にひらがなとカタカナ、そして簡単な漢字をかなり覚えていた。
祖父が教えたのは「字の書き方」である。とにかく、印刷された活字に似せて、ゆっくり丁寧に書くことを毎日30分ほど命じられた。使った筆記具は2Bの鉛筆である。
書いたノートは祖父に提出し、点検を受ける。雑に書いた部分は祖父が赤ペンを入れる。そして何も言わないで返すだけだが、祖父を畏怖している私は、二度と雑な字を書かなかった。
小学校に上がる前に一年生の教科書が販売され、それがすべて居間の机の上に置かれた。祖父と母は、それを最初から最後まで丁寧に読んでいた。
祖父は難しい顔をしていた。教科書内容があまり気に入らなかったのだろう。
「まあ、自分で読んで、意味の分からないところに付箋を貼って、授業の時に先生に聞きなさい」というのが祖父の言葉だ。
母も言った。「分からないことを分かるようにするのが授業だから、授業が終わってまだ分からなかったら、先生に聞くのよ。先生がいなければ、職員室に行きなさい。とにかく、分からないことをそのままにしておいてはダメ。」
「まあ、小学校の範囲くらいで分からないことがあるようではやはり良くないだろう」と祖父が続ける。
「次の授業でやる部分は必ず先に目を通しておくのよ」と母。
まあ、そういうことで、私は小学校では常にトップの成績だったらしいのだが、全校共通テストをした記憶は無いから、毎回のテストの総合的な得点でトップだったということだろう。もちろん、祖父や母の言うように、小学校の勉強くらいで分からないことがあるのは恥ずかしいと思っていたから、学校でトップだろうが誇る気持ちはまったく無かった。
その代わり、体育は苦手だった。
これは私が早生まれだったためもあり、他の生徒より成長が遅く筋肉もついていなかったためだと今は分かるが、それと同時に、やはり祖父の方針のために、重い運動をしてこなかったためだと思う。
祖父は、私が運動で劣等感を持ち始めたらしいことに気がついて、やり方を変えることにした。軽い運動だが、それを日常的にやらせることにしたのである。まず、学校まで走って通うこと。ランドセルは祖父が自転車で運び、学校の近くで私に渡した。ランドセルを背負って走れるものではないからだ。
そして、庭を使って、物を投げる練習である。ボールの類だけでなく、重い石でも刃物でも大きな枝切れでも何でも投げるのである。それで、体全体を使って投げるということを覚えた。しかも利き手の右手だけでなく左手でも同じ練習をした。
同じく庭を使っての幅跳び、高跳び。
まあ、要するに、体を健康に頑丈に発育させるのが主眼で、運動能力は付録である。
祖父は剣道だけでなく空手の知識もあったから、ラジオ体操代わりに、空手の型も教えてくれた。つまり、基本的な「突き」「受け払い」「蹴り」などだ。
「突き」は、相手に当たったところで止めるのではなく、相手を「打ちぬく」つもりで打ちなさい。「蹴り」は外れたら、即座に別の蹴りを別の足で続けなさい。とにかく「居つく」のが勝負では危険を招くのだと覚えなさい。
というのが祖父の教えだが、剣道より先に、武道全般の心構えを教えたわけだ。「観と見」という心構えもかなり早い時期に教えられた記憶がある。
「観は、広く全体を見ること、見は集中して見ること。常に、このふたつの見方をしなさい。たとえば、集中して絵を描いていても、心の一部は周囲の状況を観の目で見るわけだ。地震などがあったら、どう行動するか、普段から考えておくわけだ。」
魅力のある人物(男性)の魅力の要素を並べてみる。数字は別に魅力の順位ではない。
1:善良である。
2:頭がいい。
3:勇気と根性がある。
4:騎士道精神がある。
5:ユーモア精神がある。
6:人を観る目がある。
7:寛大である。優しい。
8:他愛ない弱点がある。(当人の可愛さがある)
9:度量が大きい。
10:誠実である。人を裏切らない。
たとえば漱石の「坊ちゃん」などは、上記のうちで(1,3,4、8,10)などの美点があるが、その美点が「そそっかしい」「考えが浅い」「考えずに行動する」などの欠点があるために、逆に事件を自ら引き起こす。
つまり、上記のすべてを備えていると、話そのものが起こらないわけだ。
そこで、上記の美点を数人に分配すると、話に都合がいいわけだ。
あだち充の作品の主人公は、たとえば「タッチ」の達也にしても、美点が多いのだが、その美点が周囲に理解されないことから、話は転がるわけである。もちろん、達也以上に「周囲に高く評価されている」和也の存在によって、達也は実力よりはるか下に評価されており、それを読む読者の共感と同情を得る仕組みになっている。巧妙な仕掛けである。だが、これは小説でも可能な方法だろうか。
私がまったく理解できないのは、女性から見ての男の魅力とは何かということである。これは本当に理解できない。ひとつ言えることは、バルザックの小説で或る貴族の夫人が言った「女は、他の女が評価しない男にはまったく興味を持たないのよ」という言葉である。
とりあえず、有名文学作品の男主人公の中で女性読者から見て魅力的だと思える人物の人気投票をしたらどうなるだろうか。私の予想だと「嵐が丘」のヒースクリフあたりが人気上位になりそうな気がする。で、男からの人気投票だと、おそらくかなり下位だろう。つまり、「恋愛の相手になる男」「誰か(女主人公、つまり読者のアバター)のためにすべてを犠牲にする、恋愛のためだけに生きる男」が人気を得るのではないか。で、そういう男は男から見ると糞なのである。いくら愛した女でも、既に結婚した相手の家庭を壊す行為は唾棄すべきものだと感じる男のほうが多数派なのではないか。つまり、人生における恋愛の価値が男と女ではかなり違うだろう。いや、これは私が日本人だからそう思うので、西洋の小説には、男が書いた作品でも、恋愛のために身を滅ぼす男は無数に描かれている。
これは不思議な現象だと思う。たとえAという相手に失恋しても、Bという相手と恋愛して幸福な人生を送ることは無数にあることだし、Aを得られなければ相手を殺して自分も死ぬということの何が偉いのか、素晴らしいことなのか、私にはまったく理解不能なのである。
ただし、バルザックのウジェニー・グランデのように、恋愛妄想だけのために一生を費やすという行為もまた「凄い人生」だとは思う。だが、やはりそれは女性の生き方の特殊例であって、恋愛機会の少なかった時代の話であり、社会の中で生きる男の生き方としてはかなり奇形だろう。
銃[編集]
銃における口径は、銃身の内径(≒発射される弾丸の直径)を示す。単位としては、ヨーロッパで主用されるメートル法と米国で用いられるヤード・ポンド法の二つが用いられている。このほか重量単位が用いられることがある。銃身長は3インチや77ミリメートルといった実測値がそのまま表記される。
軍用弾においては、弾種は7.62x54mmR弾に見られるように口径×薬莢長の表記が用いられている。米国で開発された.50 BMG弾と.223レミントン弾がNATOの標準弾に指定された際には、12.7x99mm NATO弾と5.56x45mm NATO弾としてヤード・ポンド法表記から口径×薬莢長のメートル法表記に改められた。
拳銃などにおいて、n口径とは、銃口の内径が「100分のn」インチであることを意味し、独立の単位として存在する。1インチは25.4ミリ(=2.54センチメートル)であるので、たとえば40口径は約10ミリである。また、50口径は別名「半インチ」(12.7mm)となる。表記においては小数点(.)を数字の前に書き記すことも多い。口径の後ろに固有の名前をつけて弾種が表される。たとえば、日本の警察用拳銃、ニューナンブM60(現在はS&W M37だが同じ)の口径は38口径で弾薬は.38スペシャル弾が用いられている。まれに、弾丸の直径ではなく薬莢の直径を表している場合がある。一般に38口径≒9mmとされているが、薬莢の直径が0.38インチ(9.65mm)であり、弾丸の直径が9mmである。.357マグナム弾(0.357インチ=9mm)用の銃は、.38スペシャル弾を発射することが可能であるが、この場合は数値は異なっているが、実際に発射される弾丸のサイズは同じである。
「わかりやすい表現はマンガ家の寿命を縮める」というほど、他の漫画家の漫画歴を彼は熟知しているのだろうか。短命に終わった漫画家は、「わかりやすい」から短命だったのか。「分かりやすい」のではなく、絵や話が小学生レベルだっただけではないのか。そして、その中には幼児時代の郷愁から年月が経っても一定の支持を得る「キン肉マン」のような作品もある。
確かに、つげ義春のように「わかりやすい」とは言えない漫画家が高い評価を得ることはあるが、それは分かりにくさのための高評価ではなく、その芸術的達成度の高さのためだろう。逆に、表現は一見「分かりやすい」が、その漫画技術の高さ(たとえばコマ運びの上手さや細部の描写の的確さ)ではなく、話やキャラや「分かりやすいギャグ」が大衆の自然な好みにあって好感を得ている「スパイ×ファミリー」など、「分かりやすさ」云々を越えた生命力を持っているのではないか。ネットで一部の偏屈なファンから「面白い」と評判された「素人には分かりにくい」ギャグマンガの大半は実に人気が短かったではないか。
ついでに言えば、紙屋氏の文末での発言は「ミステリー性」や「サスペンス性」と「分かりにくさ」を混同するという、初歩的な勘違いをしている。高等数学の問題は分かりにくいが、ほとんどの人間にはまったく興味を引かないのである。人間関係の葛藤とはまったく別の話だ。
(以下「紙屋研究所」から引用)
さて、この川崎の本の中に、売れないマンガ家を続けるコツとして「『わかりやすさ』と距離を置くこと」というテーゼが示されている。
わかりやすさはある方向への偏り(偏向)かもしれないし、もっと深く考えられる主題を浅くしてしまっている危険をはらんでいるのかもしれない、と川崎は警戒するのだ。
わかりやすい表現はマンガ家の寿命を縮める
とまで言う。
『ブルーピリオド』12で主人公が興味を抱いたアートコレクティブのリーダーのアジテーションが「わかりやすく」、主人公が「シンプルな存在になれる」と感じてしまうその危険な魅力を描いていたことをぼくは紹介した。
わかりやすくしたい、というのはぼくの基本的欲求であるので、このテーゼはむしろぼくと対立する。しかし、言いたいことはわかる。物事はそれほど単純ではないのである。しかし、その単純でなさが多くの人を問題から遠ざけてしまっているのであればやはりわかりやすくすることには大義がある。
だが、ここではあえてこの川崎のテーゼを考えてみたい。
最近そのことを感じたのは、木村イマ『シュガーレス・シュガー』1を読んだ時であった。
昔は小説に応募して入選したこともあり作家にもなりたかった平凡な主婦・柴田業(しばた・ごう)は新進気鋭のSF作家・弦巻融(つるまき・とおる)と喫茶店で知り合う。弦巻との交流に刺激を受けてモノを書くことに目覚めるが、そこにのめり込む様子を見て柴田の夫は不安を感じる。夫のいる妻の行動としておかしくないか? 昼間の主婦に行動として逸脱してはいないか? と疑問をぶつけるのである。
結婚している女性が家族でもない男と会っていたらおかしいでしょ
柴田はキレる。夫は自分の書いた小説をロクに読みもしない、つまり自分そのものに何の興味も示さなくなっているくせに、妻や母や主婦としての役割だけを形式的に求めようとするからである。
結婚して子供がいても私だよ!!
母親やって妻やってもも私は私だよ
役割のために生きてるんじゃない
泣きながら飛び出して、しかしすぐに柴田は反省をする。
女性の一生を乗りこなすのは容易い
女性というパッケージに妻というパッケージ 親というパッケージ それさえ用意できれば主体性などなくても乗りこなしていける
とSNSに以前投稿した小賢しい自分の一文を読み直しつつ
何をのぼせているんだろうか
今までパッケージに頼って生きてきたのは私じゃないか
と自己批判をするのだ。
帰りたくない…
このまま全部やり直したい
しかしこのような「役割」を破壊したくなる衝動は、そんなに単純に「役割」という檻を壊せるものではない。
柴田は結局「役割」に戻っていこうとする。
だが、それを壊そうとする衝動は常に自分の中に蓄積していく。
「役割」を壊そうとする「私」たらんとする衝動と矛盾は解決していない。一体この矛盾とどう折り合いをつけるのか、と不安に満ちた展開を示して1巻は閉じられる。
一体どうする気なんだ、と思う。
その「わかりにくさ」がこの作品の矛盾に満ちた推進力になっている。