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まあ、私も「表現無罪」「現実とフィクションの区別のつかない奴が悪い」派だが、フィクションから間違った知識を得て、それを本当だと思ったことは誰でもある可能性はある。まあ、それも含めて、フィクションは現実世界の教科書のひとつだろう。その中に間違いがあるのは学校教科書と同じことだ。
私は学校教科書の中にはかなりな割合で間違いや意図的な洗脳があると思っている。「物事にはすべて嘘が含まれる可能性がある。そう考えて物事に接すること」を教育で教えるのはどうかと思うが、「私の言っていることは嘘である可能性もあるけど、信じなさい」と教える教師を子供は信じないだろうな。つまり、教育効果がゼロになるわけである。




体にガソリン被って火の着いたライター持っている絵があるドラマや映画も見たことあります(その時点で爆発炎上するって)そういうのって大体爆破シーンがあるので、知識のあるスタッフがいるでしょうが、多分無知な脚本に動かされているような気がします。




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これは、数学の命題として、あるいは論理学としてどうなのだろう。
私は、「100%ないとは言い切れない」の対語は「100%ない(と言い切れる)」だと思うのだが。






さんがリツイート

「100%ないとは言い切れない」
の対語は
「100%あるとは言い切れない」
なので、
この手の意見をおっしゃる方とは議論が成立しない。






この事件(京アニ放火大量殺人事件)は、無差別殺人という理不尽さと、貴重な文化資産の破壊という、二重の凶悪さを持つ犯罪である。
たつき氏の下のツィートは、娯楽産業の意味や価値というものを端的に指摘した言葉でもある。
私自身はべつに京アニのファンでも何でもないが、アニメというジャンルによって「豊かな時間」を送り、「人生の幸せの総量」を増やしてきた人間だ。



亡くなられた方がどれだけの、膨大で地道な時間を人知れずアニメに使ってきたか、のべ何万人何億人のひとの時間を豊かにしたか、ヒトの幸せの総量を増やしたか。そんな方々がなぜこんな苦しいつらい終わり方をしないといけないのか。









その手の「汚いもの」を誇張的に描く作品というのは、描いてる本人は何が楽しくて描いているのだろうか。もちろん、その手の「暗いリアリズム」を、「人間の真実を描いている」素晴らしい芸術だ、と思い込んでいる文学青年や文芸批評家というのが昔は多かったわけだが、今でも各ジャンルにその手の人間はいるようだ。逆に、白樺派的な理想主義や人道主義やロマンチシズムは「甘い」とされて軽蔑されたりする。幸い、その手の「人間の真実を描いた」作品は、大衆的人気を得ることはない。




わかる。映画でも漫画でもときどき、人間のいやな面、暗黒面みたいなのを描いて、これが人間だ見ろ!みたいな感じで「人間を描いた」つもりになってるケースあるけど「そんなこたあみんな知ってるんだよ」感しかないことが多い。おっさんの底にエロじじいがとか子どもでも知ってる。>RT



性犯罪というのは強姦か和姦かの判別が難しい犯罪であり、したがって冤罪可能性もかなり高いとは思うが、はっきりと強姦であると証明できるなら、この処置が一番いいと思う。
まあ、本当にその薬で効果があると証明できないなら、ペニスとキンタマを切り捨てて去勢するのが一番だろう。
これからは、LGBTに加えてもうひとつ、「去勢者」というカテゴリーが必要になりそうだ。


さんがリツイート

ウクライナ、性犯罪者の睾丸を機能不全にする法律を可決。未成年者への性犯罪やレイプで有罪となった男性に抗アンドロゲン剤を強制投与することになる。この制度、全世界で導入してほしい。

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