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狂歌師の名前で、「文反古継剥(ふみほうごつぎはぎ)」を、別の漢字表記で表す。「つぎはぎ」は「月萩」など。「ふみほうご」は考慮中。





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現代でも十二分に通用する絵だと思う。
だが、御厨さと美は、話を作る才能はまったく無かったと思う。それを自分でも分かっていたのか、わずか数作で漫画家を廃業したと記憶している。
原作付きで漫画を描くという手もあっただろうが、彼の絵のキャラに合う原作を書けた人は当時はいなかったのではないか。辛うじて、手塚治虫か石森章太郎くらいか。だが、そういう大御所は、よほどの事情が無いと自分以外の絵柄で原作だけ書くということを承知したとは思えない。



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日本のマンガのキャラクターが鼻が描かれない、もしくはかんたんな点か線になっているという件。私は子供の頃見た御厨さと美キャラの女性の鼻と口の描き方がカッコよくて衝撃を受けたなあ。当時、けっこうマネしたものです。 (=´ω`)





この指摘は、アニメや漫画の脚本を書く時の重要なポイントだと思う。かえって、説明が無いことによって、見ているうちに謎が解けていく(世界が分かっていく)快感も加わるわけだ。
つまり、観客の知性を信頼することが大事だ、ということだろう。観客を幼稚園児扱いした「親切な説明」は観客への侮辱だとすら言える。
ただし、クリエイターご自慢の「作品の世界観」が、愚劣な、平凡なものだったら、説明があろうが無かろうが問題外だ。
小説にしても、「説明するより描写しろ」というのは鉄則だろう。説明するくらいなら小説より論文を書け、ということだ。





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ナウシカやラピュタをみてるとあらためて、(また、人気のアニメやコミック全般にも言えるけど)
物語に出てくるキャラクタや国家等々の細かい設定なんて、冒頭にこまごま語られたりしなくても、作品観てたら全部体感できる、こうでなくてはいけないのだなあ、とおもう




中国人がなぜ現代日本のカウンターカルチャー(死語か? ポップカルチャーと言うべきか。)が好きになるのかと言うと、ほぼ同じ文化的ルーツを持ちながら、中国は革命によって過去の文化と断絶したためだろう。中国の文化の最良の部分が日本に伝わり、それがアレンジされて大衆化したのが日本のポップカルチャーである。
つまり、現代の日本というのは「かくあり得た別の世界線の中国」であり、中国人には一種の郷愁を伴っているのではないか。たとえば、現実の日本の学校など、日本人にとっては空気の支配する束縛された場所だが、アニメや漫画では、現実の肉体の醜さや体臭の無い萌え絵が象徴するように現実の苦痛が消された理想世界であり、面白い男女が恋愛をしたり遊んだりする世界だ。
まあ、コリン・ウィルソンが言う、「遠くにある美しい砂漠と、今そこにある、靴の中に絶えず砂が入り込む砂漠」の違いである。




中国に来て4ヶ月目の感想、中国人のインテリ層は本当に日本が大好き。日本に詳しいし知識も豊富。
みんなこぞって日本旅行するし、日本文化のアニメやゲームにも造詣が深い。
日本の知中派よりも中国の知日派の方がずっと多い。日本人は自分たちの中国への理解のなさを危惧した方が良いくらい。







災難は災難だろうが、床に溢れた水と油が作った模様は素晴らしい抽象絵画なのではないか。
下手に人間の手や拙劣な知恵が入らないほうが素晴らしい造形を自然は見せる。





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大町町の野口さんから投稿された写真です。水と一緒に家の中まで油が入ってきてます。








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