幼稚園にあった紙芝居がすごく怖かったのを思い出した。
タイトルは忘れた。
ある山に爺が2人住んでいた。山の真反対側なので1度も会った事は無い。
吹雪の夜、爺Aの家に狐や兎や栗鼠が「寒いので入れてください」とやってきた。爺Aは片っ端から撃ち殺して毛皮を剥いでしまった。
MLは、Movable Launcher 移動発射台の略。
親に言われるままに、政略的事情から愛のない結婚をして、資産的には恵まれたが不幸な結婚生活をしてきた初老の女性が夫の死後の一人暮らしに刺激を求めて自宅で下宿を始めるが、その下宿人(複数いることにして「めぞん一刻」風のドタバタを入れてもよし。)の若い学生に恋をする、という話。
学生は最初、その女性の好意を単に母親的なものだと考えて好感を持つが、やがてそれが自分への恋だと知って戸惑い、悩む。(学生には学生仲間である恋人もいる。)だが、その女性の知性と優しさを深く知るうちに、自分も本気でその女性を愛しているのではないか、と思い始めるが、今度は、「財産目当てで老女を騙している」と周囲から見られないかと悩み始める。
すったもんだの末、二人は結ばれる、という話。
私自身ではうまく書けるとは思わないが、山田太一くらいの脚本家なら面白い脚本が書けるのではないか。カンヌ映画祭などに出したら受けそうな話だと思う。あちらは女性、特に年配の女性への敬意が高いし、恋愛至上主義文化だから、老女と若者の恋というのは高く評価されると思う。
なお、「少年は虹を渡る」はファンタジー色の強い美しい主題曲(「雨に濡れた朝」)と、老女と少年の性行為まで描いた(直接描写ではないが、「事後」の姿を見せる。)こと、老女の自殺という救いの無い結末が水と油で、見た人の心に割り切れないものが残る映画だった。
原田知世が60歳くらいになったら、彼女の主演で作るといいのではないか。題は、とりあえず「虹の彼方に」でいいと思う。これは、虹の両端にいる若さと老いを象徴し、虹を渡ることの困難さが、老女と若者の恋の実現の困難さを象徴する。主題曲はもちろん「オーバー・ザ・レインボウ」だが、著作権が問題なら久石譲あたりに作曲してもらいたい。
監督は是枝何とか氏(下の名は失念)でどうか。恋愛映画よりはドキュメンタリー風のリアリズム映画が得意な人で、「海街diary」などは、残念ながら期待した出来ではなかったが、もう少し風景描写を詩的にしたら、いい映画の撮れる人だと思う。あるいは、山田洋次の最後の監督作品でどうか。そうすると、老女役は倍賞千恵子か。まあ、それでもいい。あるいは、酒井和歌子なども、そういう役にふさわしい年齢ではないか。要するに、昔の清純派美少女に似合う役だと思う。
万年筆の書き味は素晴らしいが、最近のボールペンも書き味はいいし、万年筆のようにしばらく放っておくと乾いて書けなくなるという欠点もない。ただ、いい万年筆は「美術品」でもあるが、ボールペンにはそういう感じはまったく無い。
下の記事に関しては、モンブランが基本になっているのがそんなに悪いのか、という疑問もある。どんなサラブレッドも始祖の3頭から生まれているようなものではないか。その後のサラブレッドが6本足や8本足になったわけではない。ウォーターマンやパーカーが(多分)消えたのに比べれば、モンブランはまだ世界的なブランドだと思うのだが、違うのか。
■国産万年筆がどうしようもなくダサいので早く中国に買収されてほしい
一刻も早くパイロット、セーラー、プラチナは中華企業に買収されてほしい。台湾のツイスビーでも化。
まぁ別に欧米の企業でもいいけど、欧米の筆記具メーカーも軒なみ経営きつそうだしな。エリカ様の「別に…」発言のあった映画でフィーチャーされてたデルタっていうイタリアの筆記具メーカーがこの間つぶれた。
それに漢字文化圏の万年筆は質が高いし、中華系企業ならその辺の重要性もわかってくれるはずだ。
まぁ好みは人それぞれだから、デザインについてあれこれ言うことはしたくないけど、国産万年筆メーカー3社の絶望的なダサさはデザインじゃなくてコンセプトにある。
それは、「3社のフラッグシップモデルが全部モンブランのパクリ」ということだ。特にプラチナ万年筆な。本家モンブランのマイスターシュテュック(一般的な万年筆を思い浮かべてくれればそれでいい)は、ペン先に「モンブラン」という山の標高4810が刻印されているんだが、プラチナの万年筆にも#3776って富士山の標高が刻印されてるのよ。
これはダサい。マジでダサい。やめてくれと懇願したくなるほどにダサい。
いや、ダサいというよりは、本当にみっともない。恥ずかしい。
創業当時にモンブランをパクったのはわかる。それは仕方ないことだ。
しかし各社創業100年とかいっていて、いまだにそのみっともない万年筆をフラッグシップに据えてるのはどうなのよ。
3社とも、バカみたいに黒金のいわゆる「仏壇万年筆」をいまだに推してるってどうなのよ。マジでみっともないから早くやめてくれと思う。
パイロットは、比較的頑張ってる。キャップレスとか海外でも大人気だし、これこそフラッグシップに据える価値のある技術とコンセプトだろう。キャップレス螺鈿かっこいいし。しかしカスタム、これはダメだ。モンブランのパクリのやつな。パクってるだけならまだいい。しかしこのカスタムのコンセプトは「持ち主に合った万年筆を」だろ。だからカスタム、と言う名前をつけて、豊富なペン先をラインナップしているはずだ。しかし、肝心の軸が選べない。判を押したように黒!代り映え、無し!素晴らしいペン先にクソダサデザインの黒軸。テンション下がるわ。もっと色を選ばせろ。白とかスケルトンとか選ばせろ!フォルカンやウェーバリーにもっと選択肢をよこせ。
セーラーな。ここはギリギリで何とか一応崖っぷちで足のつま先で引っ掛かっていると最大限好意的に見れば言えなくもないような気がふんわりとしてくる雰囲気がある。が、ダメだ。キャップの先にイカリマークつけて他のパクリ万年筆に差をつけてるが、本家モンブランにもキャップ先にホワイトスターがついてるからな。残念ながら、コンセプトは完全にパクリだ。むしろカスタムやセンチュリーよりもパクリ濃度は高いくらいだ。セーラーもペン先は素晴らしい。しかしデザインコンセプトの貧困さがやばい。パイロットのキャップレスのような挑戦的コンセプトの万年筆がない。クロスニブなどすさまじいものはあるが、それを支える軸がまたしてもパクリの黒だ。かろうじてバルカロールが息をしている程度だ。しかしそれも黒。そして公式サイトが00年代の作り。そして死にたいのは、「ふでDEまんねん」という小林製薬も重篤な病に侵されるほどのクソダサネーミングの万年筆。フォントもクッソダサい。中華がパクって「美工筆」という名前で各種万年筆を出しているが、正直クッソうらやましい。美工筆という字面すごい。そしてこの美工筆はいろんな万年筆に対応している。聞いてるかパイロット。
プラチナは最も罪深い。まず適当にプラチナ万年筆の公式サイトいって製品ラインナップを見てほしい。クソが映り込むはずだ。いや、さすがにそれは失礼だが、やはり映り込むのは黒軸のモンブランパクリ万年筆の山。そしてプラチナはパクリデザインの万年筆しか作ってない。「お、これいいじゃん」と思ったらクソ高いor限定品。高い山の標高をペン先に掲げるという罪と合わせて、残念ながらプラチナ万年筆が地獄の最下層いきだ。とはいえセンチュリーの書き味は素晴らしい。無双といって差し支えない。1万円でマイスターシュテュックに迫るペンを持てることは全世界の希望だろう。しかし、ダメ。パクリを積み重ねても3776mにしか到れない。4810mには達することはできない。
むしろ国産3社は他のメーカーにニブ(ペン先)を売る存在になってくれればそれでいい。早く中華企業の傘下に入ってくれ。中華万年筆はガチパクリが多いといっても、パクリ先が豊富で飽きないからな。国産みたいにモンブランしかパクリ先がないのとはワケが違う。凄みを感じる無節操さが熱い。それに、ついに独自デザインの万年筆も打ち出してきた。Moonmanとか。手のひらに収まる万年筆とか、美しいアイドロッパーを追及したり、コンセプトも素晴らしい。
743フォルカンとプロギアとセンチュリー使ってるけど最高だよなこれ。モンブランも素晴らしいけど全く使ってないほどだ。
それゆえにコンセプト丸パクリなのがマジでダサいしみっともないし許せないんで、さっさと中華企業の傘下に入るか、フラッグシップモデルの再考をお願いしたい。
アメリカで、万年筆あんま知らない人の前でセンチュリー使ってて、「それモンブラン?素敵よね!私も旦那にプレゼントしたのよ!」って言われたときのいたたまれなさったらなかったぞ。
まぁその旦那さんが「センチュリーは最高だよ」って力説してくれたから助かったけど。
「あっ、アジア特有のパチモンね…」で終わるぞ。まじやべーよ。
万年筆好きだからモンブランとの細かい違いも分かるし、クソダサ黒軸も大好きになってるけど、これそろそろやばいでしょ。
ペンである以上、似るのは仕方ないけど、似すぎな製品を「フラッグシップでござい」っていうのはもう限界だろ。
ただでさえ「昔ながらの価値観に染まるのが大人の証」なんていう価値観が通じなくなってる時代だぞ。
いつまで「わかる人はわかってくれる」なんていう中学生男子式ゴミ恋愛観に支配されてるつもりだ。それで日本は30年を失い、未来を失ってる最中だぞ。
台湾のツイスビーとかすげぇだろ。VAPEに間違われるんだぞ?それ自体が次世代の証拠だろ。うらやましくて仕方ないわ。ECOかっこいいし、プランジャー式を再定義したのはすげぇ。コンセプトで完全に日本を抜いてるわ。
- 追記--
プレピーいいよ!殺したりなんかしないよ!
むしろそういうユーザー層を広げる施策をとってるくせに行き着く先はパクリ黒軸、と言うクソダサコンセプトを何とかしていただきたい。
あとプラチナならプロシオンもいい。かもしれない。なんかもうよくわからんくなってきた。俺はただ、選択肢が欲しいんだ…。
- 追記2--
「今更かよ」とか「お前知ったかぶりしてるやろ?」とか、まぁそれはいいけどさ…。
あんたらは「国産万年筆がダサい、みっともない、コンセプトの丸パクリは恥ずかしい」っていう話に真剣に向き合ってきたのかよ、という話だよな…。
まあ、一応予想どおりの内容だが、私が疑問なのは、視覚型記憶の人間と言語型記憶の人間がどこで分かれるのかだ。視覚型記憶の人間は、本のページを写真のように記憶し、テストなどの際にはそのページの該当部分を検索することで答えを出すという。
私は完全に言語型の人間で、人間の顔すらロクに覚えられないし、見た情景を記憶することも困難だ。だが、昔読んだ本の内容などはわりと覚えている。この言語型記憶を「聴覚型記憶」と言うこともあるようだが、私は軽い難聴で、聴いたこともあまり覚えてはいない。聴覚と言うよりやはり言語型と言うべきだろう。他人の言う言葉も聞き取りにくいので、ほとんど記憶できない。
(以下引用)
ひとくちに記憶といっても「言語性記憶」と「視覚性記憶」に大きく分かれています。「言語性記憶」とは耳で聞いた情報を記憶することです。対して「視覚性記憶」とは目で見た情報を記憶することです。わたしたちはこれら両方の記憶を利用していますが、人によってはどちらかが得意という傾向があります。
例えば、どこか目的地に行こうとする時に、言語性記憶が得意な人は、人から「まっすぐ進んで、最初の交差点を左に曲がる」と聞いたことを頭や口で繰り返しながらであれば、スムーズに進むことができるかもしれません。一方、視覚性記憶が得意な人は地図を見る方が頭にイメージを定着でき、スムーズに目的に着けるかもしれません。記憶の詳しい検査を行うことによって、どのような記憶が得意なのか、あるいは苦手なのかなどが詳しく分かります。
こんなのを幼稚園児に見せて、どんな大人にしたいのだろうか。
なお、爺Bは下のツィートとは(この段階では)無関係のようだ。