問題は、なぜ男はメカが好きで女は衣服が好きなのか、ということだ。メカというのは「力の拡大」手段だから、男の闘争本能に通じ、衣服は「美の拡大」手段だから女の性的本能に通じるのだろうか。
なお、私はメカよりも武器が好きで、ただの木の棒でも持っていると嬉しくなる。刃物も大好きだし、道具類は(武器に転用できるので)だいたい好きだ。より原初的な、あるいは幼稚なタイプなのだろう。鉛筆でも一本の紐でも武器になる。
(以下引用)
メカが必要な漫画なら女性作家のところに男が行くのは珍しくもないと思いますよ?一条ゆかりは言わずもがな、青池保子さんの「エロイカより愛をこめて」の戦車とかも男性の手でしょう。 水野英子さんのところでは初めて「日文ペン」というペン先を知りました。
主演がスチュアート・グレンジャーで、私は彼の主演作は「キング・ソロモン」を以前に見て、魅力の無い俳優だなあ、としか思わなかったが、この作品では好演である。監督の力量の違いだろう。監督はジョージ・スチーブンスで、確か「シェーン」の監督でもあったのではないか。
で、見ながら思ったのだが、大佛次郎の「鞍馬天狗」は実はこの「スカラムーシュ」の換骨奪胎だったのではないか、ということだ。フランス革命前夜の王統派(貴族)を新選組、民衆派が勤王の志士として、鞍馬天狗がスカラムーシュだとしたら、ぴったり符号する。
いや、そんなことは誰かがすでに指摘しているか、大佛次郎自身が言っているかもしれないが、私は鞍馬天狗にもスカラムーシュにも関心が無かったので、記憶にない。
それにしても「血闘」という邦題はひどい。この邦題をつけた人は、スカラムーシュというのが欧州の芝居や大衆文学の世界でどのような意義を持つか、まったく知らなかったのだろう。
なお、下の解説には出ていないが、映画の原作小説の作者はサバティーニと言ったと思う。大佛次郎の「鞍馬天狗」も、サバティーニの大衆小説を下敷きにしたと思う。あるいは、案外、上記の映画が下敷きかもしれない。見事な換骨奪胎だと一般庶民はその類似性にまったく気づかないのである。
(4月1日追記)某サイトからの転載で、ここには「鞍馬天狗」との類似性は言及されていないが、大佛次郎が「スカラムーシュ」を読んでいたことは明白なようだ。つまり、「スカラムーシュ」から2つの作品を作ったのではないか。どちらも、下敷きにしたスカラムーシュの「フランス革命」を「明治維新革命」に転用したわけである。
『鞍馬天狗』評判後、大佛は『照る日くもる日』(1926~1927年『大阪朝日新聞』連載)で初めての新聞小説を担当します。当時29歳。20代の青年が大手の新聞小説を担当すると言う大抜擢でした。
同時期、吉川英治が『大阪毎日新聞』に起用され、『鳴門秘帖』(1926~1927年)を連載し、新聞連載小説のひとつの転機となっていきます。
『照る日くもる日』は、勤王の志を持つ浪人・細木新之丞の子・年尾が主人公です。大旗本・加納八郎と一刀流指南・岩村鬼堂らの佐幕派に、父を殺された年尾が敵を討つ物語です。ラファエル・サバチニの剣士の復讐を描いた小説『スカラムーシュ』を下敷きにしています。
世界大百科事典 第2版の解説
政府が法治主義を否定するというのは政府体勢自体の否定になるわけで、奇妙に聞こえるが、実は「徳治主義」は「グレーゾーンを利用して(人々が勝手に忖度することで)世を治める」思想でもあり、「情義」を優先するという名目なら自分たちの恣意的な行為に何とでも理屈はつけられるわけだ。そして、儒教の先祖崇拝は、皇室絶対主義の土台にもなるわけである。
武烈天皇というのはこの後ほとんど「狂王」に近い描写をされるのだが、その最初に「刑理を好んだ」と書いてあるのは、「これからは儒教で行くぞ」という政治的意図がはっきりとあるかと思う。
もちろん、儒教は素晴らしい部分も多いが、その政治利用は「法治の否定」になるわけで、まさに「人治主義」、つまり、為政者の恣意ですべてが決まる危険性もある。
武烈天皇(一)法令に明るく、残虐な人物
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現代語訳
解説
儒家と法家
現在の中国と韓国は儒教の国です。儒教では道徳が重んじられます。道徳が重んじられるというのは、どういう意味かというと「法律が軽んじられる」ということです。儒教の「論語」にはこういうお話があります。
その国の王が孔子に言いました。
「わたしの国には親の窃盗の罪を役所に申告するような正直な子がいる。すごいだろう?」
すると孔子は言いました。
「それは正直とは言いません。
本当の徳というのは親の罪は隠すものです」
窃盗は社会的には罪です。どの国の法律でも禁じられています。だから親だろうが、何だろうが罪は罪ですから、申告しないといけません。ところが孔子は「親を庇う」という道徳が法律より優先される、と主張するのです。これは「法律で人を縛るのではなく、道徳が人を動かす社会が理想である」という意味であって、法律を無視するべきという意味では本当はないのですが、法律が軽んじられているのは事実なんですね。
だから儒教では法律は「道徳を補助するもの」という立場なんです。法律を全否定はしないけど、あくまで補助。それに対して「法家」は曖昧な道徳ではなく「法律」によって国を治めるというのが理想です。これは現在の法治主義と同じものです。
徳治主義から見ると、法治主義ってのは「冷たい」「残虐」なんです。だって親の罪を役所に密告するのが「当たり前」の社会ってのは「冷たい」でしょう? 武烈天皇は極刑を全部見たと書いてありますよね。法律で、コレコレの罪を犯したら極刑となっていたら、もう極刑にしないといけないんです。それを最後まで見とるというのも、責任の取り方であって、それを残虐と取るべきかは何とも言えないのですが、少なくとも儒教から見ると残虐なんです。
秦の始皇帝
法家の法治主義は始皇帝の秦のときに採用されました。ところが秦はすぐに崩壊。すぐに法治主義から徳治主義に戻ったわけです。これ以降現在に至るまで中国は「徳治主義」です。すると儒教はこの始皇帝を徹底的に否定します。始皇帝は冷たく残虐だったと書き残したわけです。なにせ憎い法治主義ですからね。この始皇帝に対する憎しみと、武烈天皇の人物評は非常に似ています。
そういうことを考えると武烈天皇は「法治主義」を掲げて中央集権を図った人物ではないかと思われます。
だが、彼の「ホモフィクタス」という言葉には、魅力を感じる。おそらく、「作り物としての人類」の意味ではないか。人間の本質を「フィクション性」に置いているのだと思う。
そのフィクション能力が人類の高度な文明を作ったわけである。
(以下引用)
芥正彦「ホモフィクタス宣言」より。全ページこの調子でこれが数百ページ続く。これがアングラだ!
下の記述にもあるように、すぐに鉄剣に取って代わられ、銅剣が使われた期間は短かったようだ。
銅鐸は何に使用されたかいまだに定説は無いようだが、初期には楽器で、後には祭具になったのではないか。大地神を鎮めるためかと思う。SF的には、異世界との交流のための器具と考えると面白い。
(以下引用)
日本の銅剣[編集]
日本における銅剣は、弥生時代の初期に大陸より伝来といわれている。伝来時の銅剣は、細身で鋭いデザインである。日本考古学では初期のものが武器として考えられ、巨大化した後期のものは祭器と考える傾向がある。もっともギリシアの青銅武器発展の過程を見る限り、銅は堅いかわりにもろく、細く鋭いデザインでは壊れやすくなってしまい、実戦で使用するならば逆に巨大化し打撃によって相手にダメージを与える方向に進化すると考えるのが妥当である。
その後、日本でも銅剣の鋳造技術を発達させ、弥生時代を通じて盛んに製造されたが、すぐに鉄剣も伝来した。大陸や朝鮮と違って、到来の時期的な差が少ないため、銅剣が戦場で使用されていた時期は比較的短いとされる。鉄剣が主流になってからは、銅剣は次第に主に儀式に使用されていったと考えられている。
弥生時代の青銅器としては銅鐸が著名であるが、これが近畿地方から多く発見される祭器であるのに対し、銅剣は九州地方、中国・四国地方などに特に濃密に分布する。儀式などで使用されるにつれ大型化したものと考えられ、形も徐々に変化した。現在では、作成時期により3種類に分けて、初期は「細形」、中期が「中細形」、後期が「平形」と編年分類されている。種類としては、有柄銅剣(ゆうへいどうけん)や金色銅剣(こんじきどうけん)などもある。
滋賀県の上御殿遺跡で出土した双環柄頭短剣は、中国華北や内モンゴルに分布するオルドス式銅剣に似ており、朝鮮半島での出土例は無いことから、 中国から日本海ルートで流入した可能性がある[1]。