先ほど思いついただけの思想なのだが、ヒロイズムというのはヒロインが存在して初めて成立するものではないだろうか。
たとえば、「未来少年コナン」で、コナンがラナに出会うことが無かったなら、彼は南の孤島で抜群の身体能力を持って生き抜き、生涯を終えるだろうが、それはヒーローだろうか。単に、面白い野蛮人で終わるのではないか。コナンがラナのためにすべてを捧げ、行動するからこそ彼はヒーローなのではないか、というわけだ。
これはべつにフェミニストに媚びているわけではない。ラナのようなヒロインは何億人にひとりしか存在しないからだ。
まあ、要するに、ゲーテの「永遠に女性なるもの、我らを牽きて往かしむ」というのは、物事を斜めに見たがる猪口才な人間が思うより深淵な真理を道破しているのではないかということだ。
たとえば、「未来少年コナン」で、コナンがラナに出会うことが無かったなら、彼は南の孤島で抜群の身体能力を持って生き抜き、生涯を終えるだろうが、それはヒーローだろうか。単に、面白い野蛮人で終わるのではないか。コナンがラナのためにすべてを捧げ、行動するからこそ彼はヒーローなのではないか、というわけだ。
これはべつにフェミニストに媚びているわけではない。ラナのようなヒロインは何億人にひとりしか存在しないからだ。
まあ、要するに、ゲーテの「永遠に女性なるもの、我らを牽きて往かしむ」というのは、物事を斜めに見たがる猪口才な人間が思うより深淵な真理を道破しているのではないかということだ。
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まあ、現代では純文学でベストセラーという事例は滅多にないことからも、世間の平均的読解力水準や芸術理解力水準は分かる。世界文学の古典は「大衆文学」でもあったから評判になり、「純文学性」つまり、思想的な高さがあったから古典となったわけだ。DQN的な、趣味の低劣な人間が多い国なら、その国でベストセラーになるのは恥でさえあるだろう。
「なんでこんなつまらんマンガが売れてるんだろ」違います、あなたがその絵柄/キャラ/ジャンル/話が苦手、趣味に合わないだけで、合う人が多いのです。 「こんなマンガがトップかよ、俺がこの雑誌に持ち込んだら即入賞だな」違います、こんなマンガを好む読者が多い雑誌だからあなたは勝てません。
「in deep」の一節で「レギオン」という言葉が聖書のマルコによる福音書の中に出てくるということに関する記述である。
(以下引用)
(以上引用)
英和辞書でregionは「地方、範囲、領域」だが、regを語頭に持つ語の中でregiment「連隊、大勢」、あるいはregnant「統治する、優勢の、流行の」などが、「大勢の」のニュアンスを持つ言葉だろうか。
で、レギオンは悪魔そのものではなく、「悪魔に憑(と)りつかれた者」の意味があるかと思うが、ドストエフスキーの「悪霊」も、悪霊そのものを主題とするものではなく、悪霊に憑りつかれた者、つまりレギオンとしてのスタヴローギンを描いたものではないか。そのスタヴローギンは、能力的には何でも為しうる人間でありながら、「精神を病んでいる」「意思が弱い」「良心が弱い」ために、何事もなせず、ただ無力な幼女を犯すという最低の行為しかできなかった人間として描かれる。
神という存在が完全に否定された現代では、無数のレギオンが地上を埋めているかもしれない。
ただし、上で書いた「精神を病んでいる」は、現代科学の定義の上での精神病ではおそらくない、ということを一言しておく。これは理性的に、あるいは道徳的に健全さを失っている意味だろう。現代科学の「精神病」は単に社会的不適合を病気扱いする傾向が強い。これは金儲け至上主義の資本主義の帰結だろう。つまり、コミュ力が第一義である社会から「病気」として排除されるわけだ。昔なら「職人気質」だったものすら今では病気扱いである。
(以下引用)
先ほどの「マルコによる福音書」は、この映画の中に出てきて、当時聖書など知らない私は、この下りをこの映画ではじめて知ります。映画での場面の説明的に書きますと、以下のように出てきます。
エクソシスト3の場面より説明
老刑事が、悪魔的な殺人事件の現場で、「部分的に焼かれている聖書」を見つける。刑事は「聖書の焼かれている部分」に着目し、その部分を家にある聖書で読み直す。
刑事 「イエスは悪霊の取りついた男の名を聞かれた。その者は答えて言った。レギオン・・・大勢だから・・・」
刑事 「・・・大勢・・・・・」
このように、刑事は、
「大勢」
という言葉を呟くのですけれど、これが意味するところは、
「悪魔の代行者がこの世にはたくさんいる」
という意味でもあるはずで、つまり、
「この世は、悪魔の手先のような存在で満ちている」
と。
では、
「どのような存在が悪魔の手先なのか」
ということについて、エクソシスト3では明確に書かれているのです。それは、
「一般の人間」
なのです。
どんな人間なのかといいますと、その内容が、今のような時代には大っぴらには表現しにくいかと思いますが、
「心の弱い人間たち」
なのです。
エクソシスト3では、途中から精神病院が舞台になりますが、
・精神を病んでいる
・意志が弱い
・良心が弱い
というような人たちは容易に悪魔にコントロールされるというような雰囲気の描写が続きます。
(以上引用)
英和辞書でregionは「地方、範囲、領域」だが、regを語頭に持つ語の中でregiment「連隊、大勢」、あるいはregnant「統治する、優勢の、流行の」などが、「大勢の」のニュアンスを持つ言葉だろうか。
で、レギオンは悪魔そのものではなく、「悪魔に憑(と)りつかれた者」の意味があるかと思うが、ドストエフスキーの「悪霊」も、悪霊そのものを主題とするものではなく、悪霊に憑りつかれた者、つまりレギオンとしてのスタヴローギンを描いたものではないか。そのスタヴローギンは、能力的には何でも為しうる人間でありながら、「精神を病んでいる」「意思が弱い」「良心が弱い」ために、何事もなせず、ただ無力な幼女を犯すという最低の行為しかできなかった人間として描かれる。
神という存在が完全に否定された現代では、無数のレギオンが地上を埋めているかもしれない。
ただし、上で書いた「精神を病んでいる」は、現代科学の定義の上での精神病ではおそらくない、ということを一言しておく。これは理性的に、あるいは道徳的に健全さを失っている意味だろう。現代科学の「精神病」は単に社会的不適合を病気扱いする傾向が強い。これは金儲け至上主義の資本主義の帰結だろう。つまり、コミュ力が第一義である社会から「病気」として排除されるわけだ。昔なら「職人気質」だったものすら今では病気扱いである。
これは、案外的を射ているかもしれない。
なんでコナンのような設定ガバガバのお子様探偵物が女性に受けるのか、と不思議だったのだが、案外、人が死んだ殺されたという話自体が女性は好きなのかもしれない。推理小説を書く女性作家が多い理由も案外それだろうか。男はどうせ戦争で殺し合いをするが、女性が人を殺すのはだいたい犯罪の場合で、わりとリアル感を伴った身近な気持ちでスリルを味わえるのだろう。つまり、遊園地で絶叫乗り物に乗るのと同じで、性的に興奮するのではないか。犯罪は金銭問題や恋愛問題など、生活におけるスッタモンダが反映されるが、戦争だと無造作に大量の死が頭上から落ちてくるだけだから、味気ないわけだ。
なお、戦場において日常の恨みを晴らす、という話がチェスタトンにあるが、そういう、「戦争の中の日常と犯罪」という話は案外少ない。そういう主題で書いてみたい気持ちはあるが、面倒な作業になりそうである。
戦場での上官による犯罪を主人公の犯罪だと誤解され、終戦後にその被害者の近親によって復讐されるという「不条理劇」のサスペンス小説を中学生向けの学習雑誌付録で昔読んで、それが強い印象に残っているが、作者の名前は憶えていない。
(以下引用)
なんでコナンのような設定ガバガバのお子様探偵物が女性に受けるのか、と不思議だったのだが、案外、人が死んだ殺されたという話自体が女性は好きなのかもしれない。推理小説を書く女性作家が多い理由も案外それだろうか。男はどうせ戦争で殺し合いをするが、女性が人を殺すのはだいたい犯罪の場合で、わりとリアル感を伴った身近な気持ちでスリルを味わえるのだろう。つまり、遊園地で絶叫乗り物に乗るのと同じで、性的に興奮するのではないか。犯罪は金銭問題や恋愛問題など、生活におけるスッタモンダが反映されるが、戦争だと無造作に大量の死が頭上から落ちてくるだけだから、味気ないわけだ。
なお、戦場において日常の恨みを晴らす、という話がチェスタトンにあるが、そういう、「戦争の中の日常と犯罪」という話は案外少ない。そういう主題で書いてみたい気持ちはあるが、面倒な作業になりそうである。
戦場での上官による犯罪を主人公の犯罪だと誤解され、終戦後にその被害者の近親によって復讐されるという「不条理劇」のサスペンス小説を中学生向けの学習雑誌付録で昔読んで、それが強い印象に残っているが、作者の名前は憶えていない。
(以下引用)
24. 名無しのアニゲーさん :2020/09/21(月) 21:14:33 ID:- ▼このコメントに返信
コナンは子供じゃなく女受け
ホモとか関係なく、女は人が殺されて動機がドロドロなの好きだからな
相棒とか科捜研の女とかが好きなのも主婦だし
ホモとか関係なく、女は人が殺されて動機がドロドロなの好きだからな
相棒とか科捜研の女とかが好きなのも主婦だし
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冬山想南
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