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これは、アニメだけでなくすべての「商品」に言えることなのだが、男の癖にパンストを穿いて、「このパンストはダメだ」と批評している類の人間が膨大にいる。
あるいは味覚音痴のくせに料理の味に文句をつける人間もいる。文学や芸術にはこの手の批判者は腐るほどいるが、アニメだとなぜか「自分でも理解できるはずで、面白くないのは作品が悪いからだ」と考える人間は多い。そもそも、アニメなどもともと子供が対象のもので、その中のごく少数が大人でも子供でも楽しめるだけのことである。現代日本ではアニメを大人が見ても当たり前という感じだが、製作(制作)者側は子供をターゲットとしているか、特定のアニ豚を対象としているのである。

(以下引用)

宮尾岳
@GAKUJIRA
9年前にお亡くなりになった、友人の漫画家。 飯島ゆうすけ先生と生前話してた事で、ずっと忘れていないこと。 僕がとあるアニメ観て面白くないなーと感想を述べたら 【宮尾さん、そもそもその作品は僕らをターゲットにはしてないのです】 これはもう【あ!】だった。 そうだよそうなんだ。




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元記事が分からないから、これは事実を書いているのか空想なのか知らないが、完全武装の騎士40人と農民9000人で騎士が圧勝というのは信じがたい。完全武装した騎士でも木材や農具で殴ればダメージは大きいだろうし、遠くから石を投げれば剣も槍も届かない。鎧の重さから考えて、騎士の動ける体力は2時間くらいが限界だと思う。そもそも、鎧を着た騎士は走れないのだから、農民はヒットアンドアウェイで戦えばいい。騎士が馬に乗っていたら、その馬をまず倒せばいい。砂で目つぶししてもいいし、大きな音で驚かせてもいい。足をなぎ払ってもいい。最初から農民側の戦意が無いという前提での話でしかないと思う。

(以下引用)


面白い記事。 完全武装の騎士40人vs農民9000人なら騎士の圧勝が順当だと思う。記事にもある通りまず騎士が現れたら農民側の戦意が喪失する可能性が高い。でも死者7000は盛りすぎ。退路が絶たれてない限り、大半は逃げるから。 士気が異常に高かったり何かの作戦が奏功したりすれば農民側にも勝機が。
引用ツイート
吉村英崇@1月28日まで、朝3000歩あるく _(:3 」∠ )_
@Count_Down_000
·
「9000人を超える農民が貴族を倒すために城へと向かったが、40人ほどの騎士が剣や槍を携えて現れると、一瞬のうちに農民たちの戦意は失われた。(略) 一晩のうちに騎士たちは7000人を超える農民たちを殺した。死亡した騎士はたったの1名だった」
私は字が下手なので、字が上手くなる原理や原則のようなものが知りたいのだが、下の子供の字はその好例になりそうだ。
一画一画は実に端正で、書字における「運動神経」(指先神経)が非常に良さそうだが、一字一字のバランスが非常に悪い。つまり、字の大きさの統一性が無いように思える。たとえば「土曜」という熟語が、「土」が小さく「曜」が大きいのでアンバランスに見える。そして、ひとつの字の中でも部分と部分の相対的な大きさのバランスが取れていない。たとえば、「曜」という字の右と左のバランスである。
全体的に言うと、ひらがなに癖が強く、「な」や「か」や「れ」が癖字である。「を」も癖字っぽい。これは、ひらがなはわりと低学年で覚えるから、その段階で癖がついたのだと思う。
一番大きな特徴として、一字一字を書くことに神経が囚われ、書面全体での統合性が無いように見える。書道なら一字ごとに神経を集中するのは好ましいだろうが、ペン字だと、下の写真のように字と字のバランスが悪いと特に目立つようである。つまり、活字のように、すべての字がひとつの四角の中に納まるイメージで書くと書面全体でのバランスも良くなるのだろう。このことを学校教育の最初で教えるべきではないだろうか。つまり、国語のノート(原稿用紙型)のマス目の八分目くらいを目安に、マス目の四角の中に字を収めるイメージである。マス目が無いノートでも、そのイメージを持つということだ。
しかし、繰り返すが、下の写真の漢字では一画一画を実に丁寧に書いていることがよく分かり、それ自体はとてもいい。(ひらがなだと気がゆるむのか、雑さを感じる。)字の下手な人間は、一画一画に神経を集中していないから、どんどん下手になるのだと思う。まあ、それ以前に「どういう字を書くべきか」というモデルが頭の中に無いのが字の下手な人間の特徴だと思う。

(以下引用)


子供隣組というのがあったのか。しかも日曜日に常会…
引用ツイート
ナンブ寛永
@kan_ei_sen
·
ボンドルド
このスレッドを表示
画像
まあ、ネット情報か、何かの本で読んで知った知識をツィートしたのだと思うが、怪しい知識をさも事実であるかのように触れ回るのは問題だろう。そもそも、ハンガリー人に失礼な内容である。特に言いふらす必要性は無いと思う。
もちろん、外国人を異生物(怪物)扱いするのは世界的によく見られる現象ではある。
どちらかと言えば、(来葉氏の言うのに近いが、それとも少し違って)「オーク」との音の類似で作られた言葉と見るのが適切かと思う。「ホイミ」「ベホイミ」「ベホマ」「ベホマラー」「ベホマズン」という類の造語法ではないか。もちろん、「オーガ」が近世の造語だと言い張るつもりはないが、古代にも似たような造語法はあったと思うわけだ。

来葉伸二
@ShinjiLeiber
トールキンおたくの観点からするとこれは違って、オーク(Orc)と同じく、ギリシャ語に由来するラテン語の冥界の神オルカス(Orcus)が語源で、フランス語Ogreになり、英語に入った。 アカデミー・フランセーズ辞典の古い版に「ハンガリー人」との説明があるが、語源的には根拠不明のよう。
引用ツイート
大西巷一
家
『乙女戦争外伝Ⅱ 火を継ぐ者たち』連載中
·
ファンタジーゲームでおなじみの人食い鬼オーガogreの語源はハンガリー人(Hongroisオングロワ)。 #歴史知らない人が嘘だと思うけど本当の事言え
昔の作家はほぼ全員がアマチュア作家だったのだから、この頃に「アイデア先」「キャラ先」という創作技法問題があったのか疑問である。もちろん、少し時代が進むとモーパッサンのようにアイデア先行型と思われる作家もいるが、ほとんどは「物語」を書く意思で書いていたわけで、そこではキャラとアイデアは同時的に発生したのではないか。近代小説の祖とも言われる「ドン・キホーテ」は、明らかにキャラと物語が同時に生まれているはずだ。小説創作が商業化して後に「アイデアが先かキャラが先か」という意識は生まれたのだと思う。
そもそもツルゲーネフの作品には物語性は少なく、抒情性が主だと思う。つまり、詩を小説形式で書いたように見える。その「物語性の乏しさ」を「キャラ先」と言っただけだろう。もちろん、そういう作品も大きな価値があるのであり、現代の小説には逆に詩情がまったく欠如しているから、その中で比較的詩情のある村上春樹などが世界的に好感を得ているのだと思う。

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私はアイディアから始めたことは一度もない。いつもキャラクターから始める。 イワン・ツルゲーネフ #本の名言
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