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「雲の筏」という「古事記伝」現代語訳サイトから転載。

(以下引用)

。○正勝云々。正勝は、書紀に「正哉」と書いてあるのに合わせ、これも書紀も「まさか」と読む。「哉(かな)」を「か」と読むのは、論じるまでもない。【書紀の注釈書で「まさや」と読んだのは間違いである。】「勝」を「か」と読むのは、この記に「正鹿山津見(まさかやまつみ)」とある神を、書紀では「正勝山祇」と書いてある。これも両者共に「か」と読むべきである。【書紀の訓注には「正勝、これを『まさかつ』と読む」とあるが、大江家の伝本には最後の『つ』がないという。その本がいいだろう。】ここも同じだ。言葉の意味は、書紀の文字の通りで、「本当か」と驚いている様子である。【この記では、やはり字の通り、「正しく勝ったぞ」と誇っているようにも取れる。そうであれば「まさかつ」と読むべきである。しかし書紀と考え合わせると、やはり上述の解釈が良い。】吾勝は、後の文に「自ら『私の勝ちだ』と言って」とある意味だ。書紀の一書に「男の神を生んだので、直ちに言挙げして、『まさにか、私の勝ちだ』と言った。そこでそれを神の名とした」とある。勝速日は「かちはやび」と読む。【古来「かつのはやひ」と読んでいるのは、古言の様式を知らないからである。】後の文に「勝佐備(かちさび)に」とあるのと同じ意で、【「佐備」について、そこで述べることを考え合わせよ。】速(はや)は疾く、激しく、猛々しいという意味、日(び)は「ぶる」とも活用し、その状態を言う辞なので、速日とはつまり「ちはやぶる」の「はやぶる」と同じ言葉である。既に出た甕速日、樋速日、また饒速日などとも同じ。【日の字にこだわって言う説などは、例の古言を知らぬこじつけだ。】忍穗耳は、大耳(おおしみみ)で、美称である。忍(おし)が「大し」であることは、既に忍許呂別(おしころわけ)のところ【伝五の八葉】で述べた。穂も「大(おお:旧仮名おほ)」である。「おほ」の「お」を省いて「ほ」とのみ書いた例は多い。特に書紀では三穂之碕とある地名を、この記では御大之前と書いてあるのは、ここによく合っている。【邇々藝(ににぎ)命から三代の名は、みな稲穂に関わる言葉で称えており、その例として、これも字の通り稲穂の意味に取れなくもないが、かの三代は天降って後、この水穂の国を治めたことから、稲穂をもって称え名としたのだが、この神は地上の国には降らなかったので、意味が違う。書紀にある齋庭(ゆにわ)の詔(第九段一書第二)も、邇々藝命の段に係わっているのを考えても分かる。続く三代の名については、それぞれそのところで言う。】耳は尊称である。【耳はもちろん借字である。】後の文に「布帝耳(ふてみみ)神の名がある。神武天皇の子に「何々耳」の名が多く、その他にも人名に多いのは、みな尊称である。書紀の一書に「忍穂根(おしほね)尊」【「忍骨」とも書く。】という名があるが、「穂」は上記と同様、「根」はやはり尊称で、「何々根」という名も非常に多い。前述の「阿夜訶志古泥(あやかしこね)神のところ【伝三の四十五葉】で述べた。次の日子根の「根」も同じ。ところで伊邪河の宮(開化天皇)の段にある神大根(かむおおね)王【開化天皇の孫。】は、書紀では「神骨」とある。この例からも、忍穗根は忍大根であることが分かり、また「穂耳」は「大耳」であることがますます明らかだ。さらに言うと、書紀神代の下巻には、「勝速日尊兒大耳尊」とあるので、納得できるだろう。【これは「忍」という語を省いて、天忍穂耳命と言おうとするのである。「尊兒(みことご)」は、尊びかつ親しんで言う語である。「みことのこ」と言うのではない。およそこの神の名については、従来の説はすべて誤っている。他の例をよく考え合わせて、いにしえの心と言葉を尋ね求めるべきだ。】耳という尊称の意味は、「み」は「ひ」に通い、あの産霊の神の「霊(ひ)」であるが、【産霊の意味は、伝三の十三葉で言った。】それを「霊々(ひひ)」と重ねたのである。開化天皇の名の大毘々(おおびび)命というのがそうだ。これを書紀では太日々(ふとびび)尊とあり、垂仁の巻には太耳という人物も登場するので、「日々」と「耳」は同じだと分かる。また明の宮(應神天皇)の段の前津見(まえつみ)という人物を、書紀では前津耳と書いてある【その他、水垣の宮(崇神天皇)の段の陶津耳という人の名が、旧事紀では「大陶祇(おおすえつみ)」としているのも、何か根拠があってのことだろう。】ので、「耳」というのは「み」を二つ重ねた名で、「見」はその一つを省いたものだと知るべきである。神名や人名に「何々見」というのが多いのは、みなこれであって、水垣の宮の段の岐比佐都美(きいさつみ)、書紀の武茅渟祇(たけちぬつみ)などの「つみ」も「つみみ」の略だ。【これに倣うと、山津見、綿津見、大加牟豆美なども、同じく「つみみ」ではあるまいか。また月夜見の見も耳ではないだろうか。】ここで、耳と日々が通うことからすると、「つみ」はまた「つび」と通い、禍津日の神、庭高津日神などの名によって知られる。それに「何々須美」という名と、「何々須毘」という名とが通うことは、次に見える。そうした例から、耳は「霊霊(ひひ)」の意味であることを理解すべきである。ところで、山城国風土記に、宇治郡木幡社の名は天忍穂根尊、【延喜式神名帳に、同郡の許波多(こばた)神社が載っている。】また延喜式では、豊前国田川郡に忍骨神社、【続日本後紀六に、この社の山のことが出ている。】土左国香美郡に天忍穂別神社、【別(わけ)も耳、根と同様の尊称である。】などがある。伊勢の外宮には、忍穂井という井戸もある。○これ以下の神については、いずれも「八尺勾ソウ(王+總のつくり)之云々」、「奴那登母云々」という文がないのは、上述したことに譲って、省いたのである。○天之菩卑能命(あめのほひのみこと)。【「能」の字を添えたのは珍しい。】これも元は上述の「穂耳」と同じで、「菩(ほ)」は「大(おほ)」である。卑(ひ)は「み」と通い、それは上述の「耳」の意味である。このように菩卑(ほひ)も穂耳と同じであるなら、吾勝命と兄弟の名が同じになるが、なぜかというと、上述の三女神のうち、多紀理と多岐都が同じであったように、また書紀では次の熊野久須毘命も忍蹈(おしほみ)命とあって、忍穂耳と全く同じであるように、これらの兄弟の名は、わずかな違いで分けただけなのである。【延喜六年の日本紀竟宴で、天穂日命を歌った矢田部公望、「阿麿能褒臂、俄彌農美飫野簸、耶佐賀珥廼、伊朋津儒波屡濃、儔莽登胡楚耆鶏(あまのほひ、かみのみおやは、やさかにの、いおつすばるの、たまとこそきけ)」】神名帳には、山城国宇治郡、因幡国高草郡、出雲国能義郡などに、天穂日神社がある。出雲国風土記に天之夫比(あめのふひ)命とあるのも、この神であろう。
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