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「風とともに去りぬ」の日本版のことを考えたついでに書くが、今の日本の映画やテレビドラマが恐ろしくつまらないのが大半である理由は、「先人に学ばない」からではないだろうか。何か新しいものを書こうとするか、思いつきだけで書く。その結果、箸にも棒にもかからない駄作が量産される。なぜ、過去の作品に学ばないのか。いや、盗まないのか。
日本の股旅物がアメリカの西部劇の換骨奪胎であることを知らない脚本家がいるとしたら、不勉強もはなはだしい。股旅物ではないが、黒澤の「用心棒」はダシール・ハメットのハードボイルド小説の換骨奪胎だ。「天国と地獄」はエド・マクベインの「キングの身代金」の日本への置き換えだ。そして、この両者とも、おそらく原作小説を超えている。
ほとんどの傑作は、過去の作品の換骨奪胎だと言ってもいいほどだ。ゲーテの「ファウスト」は、元になったファウスト伝説があるし、シェークスピアの作品の多くは他作品の焼き直しだと言う。そういうものだ。
一番いいのは、「過去の駄作や失敗作を再生する」ことだろう。
すでに、ある程度のキャラクターやプロットはある作品で、手直しすれば数段上の作品になる可能性のある作品を利用するのである。もちろん、名作や傑作を利用してもいい。短編を長編に変えてもいい。「フランケンシュタイン」というホラー作品を悲恋物にしたのが「シザーハンズ」である。人間と通じあえない悲しみ、というテーマは同じだ。極端に言えば、「リバティ・バランスを撃った男」も同じテーマと言ってもいい。「オセロ」も同じと言っていい。優れた存在でありながら、周囲から理解されず破滅するという悲劇だ。
古典的名作を映画化してもいいが、成功した例は少ない。原作が名作なのだし、そのイメージは読者個々の中にあるのだから、それを失望させないことは稀だ。可能なのは、小説をアニメ化することくらいではないか。源氏物語のアニメ化は大失敗したようだが、これは脚本家が無能だったからだろう。高畠勲は「平家物語」をアニメ化したいようだが、ぜひ挑戦してほしいものだ。「竹取物語」はそのための習作になるのではないか。
さて、「換骨奪胎」の話に戻る。
西洋ネタを日本を舞台にするとか、時代を変えるとか、いろいろ手法はあるだろう。「桃太郎」と「スターウォーズ」に本質的な違いはない、とすら言える。いや、「西遊記」と「スターウォーズ」か。あるいは「インディ・ジョーンズ」でも同じようなものだ。
問題は、実は「桃太郎」も「西遊記」も読んだことのない若い脚本家が増えているのではないか、ということだ。さらには「スターウォーズ」も「インディ・ジョーンズ」も見たことがない、とか。
インドでは黒澤の「生きる」が根強い人気があり、それをインドに置き換えた作品が無数にあるという。ここに、芸術創作の秘鑰(ひやく:秘密の鍵)がある、と思う。
先人をまねることはけっして悪いことではない。
だが、昨今のロボットアニメは模倣をそのまま商品化している。それもまた大きな問題である。模倣は「学習」の段階であり、商品とするには「換骨奪胎」まで行かないとならないのだ。





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