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どうでもいい、些細な話なのだが、評論文の中に突然「伝法な口調」を混ぜる、というのは吉本隆明がエッセイでよく使う語法というか、文体なのだが、「紙谷研究所」のこの

「~と熊沢蕃山が言っているぜ」(と森は小説で記している。)

が、それを想起させて気持ち悪い。最近、時々紙谷氏はこの文体を使うようだ。
私自身は紙谷氏の頭脳や知識を高く評価する者だし、その判断はだいたい真っ当だと思う。
しかし、この文体は大嫌いだ。森鴎外がこんな下品な文章を書くわけはない。では、ここでこういう口調にした理由、あるいは心理はどんなものだろうか。それは吉本隆明がこういう口調を使う理由と同じだろうか。吉本の場合(私は吉本の使い方も大嫌いなのだが)は、「江戸っ子を気取る」カッコ付けだろうと思うのだが、紙谷氏は江戸っ子なのか。それとも吉本の真似か。

(以下引用)


 最近読んだ森鴎外の小説で、森と思われる主人公が日常の小さな仕事を自分の本来やるべき大きな仕事ではないと考えるのに対して、やはり医師である父が日常の仕事に真剣に向き合っている様を見て、父を尊敬し直すというくだりがある。

父の平生を考えて見ると、自分が遠い向うに或物を望んで、目前の事を好い加減に済ませて行くのに反して、父はつまらない日常の事にも全幅の精神を傾注しているということに気が附いた。(森鴎外カズイスチカ」/『山椒大夫高瀬舟』所収、KindleNo.364-366)

 日常の与えられた仕事に向き合うことが、実は「天下国家の仕事」に通じるものだと熊沢蕃山が言っているぜ、と森は小説で記している。

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