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「VK sturm's blog」という、難しい名前のブログから転載。
社会学・人類学的な謎を経済学的観点から見ることで正解を導くという、面白い内容の文章だ。
こうした宗教的慣習の謎は、慣習だから、というだけでほとんど問題視も疑問視もされない。だが、だからこそその謎が解明されると、大きな知的興奮と感銘がある。




2017-06-14

なぜユダヤ教・イスラム教で豚肉は禁止されるのか─ハリスの説から

 1.はじめに

世界各国の宗教には色々なタブーがある。例えばユダヤ教イスラム教では豚が禁じられた食材となっている。このようなタブーについてインターネット上では「豚は寄生虫繊毛虫)がいるので食べてはならないと定められた」という言説が見られる。一方人類学者のマーヴィン・ハリスは全く別の理由で食べないのだとその著書で述べている。ここではハリスの意見を簡単に紹介し、豚のタブーについて説明していきたい。

 

2.豚について

豚は飼うのに実に合理的な生き物である。豚は餌に含まれるエネルギーの35%を肉に変えることができる。一方羊は13%、牛に至ってはわずか6.5%である。雌牛は一頭の仔牛を産むのに九ヶ月の妊娠期間が必要であり、また仔牛は400ポンド(180kg)に達するのに四ヶ月かかる、つまり合計13ヶ月かかる。一方雌豚は受胎後四ヶ月で8匹以上の子豚を産め、その後六ヶ月間で400ポンドを超える─つまり10ヶ月間で達することが可能である。明らかに豚というものは人間のために肉を生産する存在なのである。

 

3.宗教的戒律と豚

この豚に対して、聖書とコーランではどのような扱いになっているだろうか。紹介すると

「その肉(豚肉)をお前たちは食べてはならない。またその死体に触れてはならない。それらはお前たちにとって不浄のものである。(レビ記11・24)」

「次のものについては神がお前たちに禁じた。すなわち、豚の死体、血、肉。(コーラン2・168)」

となっている。

豚のタブーについて、いくつか説明を試みた者たちがいた。例えば11世紀のエジプトイスラム王朝サラディン王に仕えた宮廷医ラビ・モーゼス・マイモニデスは「律法が豚肉を禁じている第一の理由は、その習性と食べるものがきたなく不潔であるという豚の生態にある」と説明した。彼に言わせれば、豚を飼うことを許可すればカイロの街はヨーロッパの街のように不潔になるというのである。なぜなら、豚の口はその糞とおなじくらいきたないからだと。しかし、それは一面的な説明にすぎない。豚が人糞を食らうのは、悪しき本性からではなく他に食べるのものがないからだ。*1豚は本来穀物やナッツなどの種実類を好むし、ヨーロッパでは村の近くの森に豚を放って実際そのように飼育していた。同様に、豚が汚いところで転げ回るのも身体を涼しく保つためで、本当は尿や糞で汚れた泥より、きれいで清潔な場所のほうが好きなのだ。

また、豚だけが糞を食べるのではない。例えば鶏やヤギも糞を食べることがある。犬も糞を食べることが知られている。だが神は犬の肉も、犬に触れることも禁じなかった。

近代に入ると豚肉のタブーを「寄生虫」に結びつける考え方が現れ始めた。1859年、寄生虫繊毛虫と生の豚肉の関係が医学的に実証された。この発見は神学者や科学者を熱狂させることになった。合理的に科学的に豚のタブーを説明できたからだ。

ハリスはこの豚肉が禁止されているのは寄生虫理論では豚のタブーは説明できないとする。なぜなら、豚肉だけが特別に食べるのが危険な食材ではないのだ。例えば、生煮えの牛肉は、サナダムシをうつす危険がある。サナダムシは人間の消化器の中で非常に大型になり、ひどい貧血を起こさせ、免疫力を低下させる。牛、ヤギ、羊は炭疽病を伝染する。これは非常に恐ろしい病気で、1881年にパストゥールがワクチンを開発するまで、世界中で猛威を奮った。豚の繊毛虫の場合、感染した場合でも大多数は発病しないが、炭疽病の場合、初めにできものができ、きわめて短時間で死んでしまう。

もし、豚肉のタブーを繊毛虫に求めるならば、同様に他の動物についてもタブーを作らねければならないはずだ。生煮えの豚肉は危険というならば、それは牛や羊、ヤギにも毛刻しなければならない。だが神はこれらを禁止しなかった。

 

4.反芻動物と豚

ここでもう一度聖書に立ち返ってみよう。レビ記ではこうある。

「動物のうち、すべて蹄のわかれた、偶蹄のもの、そして反芻するもの、それは食べることができる(レビ記11・1)」

まず神はなぜ食用可能な動物は反芻動物であってほしかったのかを考える必要がある。古代イスラエルで飼われていた動物の中には三種類の反芻動物がいた。牛、羊、ヤギである。これらは古代の中東ではもっとも重要な食料生産動物であった。牛、羊、ヤギは反芻することができる。つまり高セルロース質食物の餌─ワラ、干し草、木の葉─など人間が食べられないものを食べることができる。人間と動物の間で食べ物を取り合わなくて済む。人間はどんなによく煮ても、高セルロース質食物は食べることができないのである。これらの動物は人間が食べないものを食べると同時に、糞は肥料になるし、鋤を引く労働力にもなった。これによって更に農業の効率は高まった。まさにWin-Winの関係であった。

ここで私は最初に豚は効率の良い太り方をする合理的な動物だと言ったが、豚は小麦やトウモロコシ、じゃがいも、大豆その他人間が食べられる低セルロース質の食物で育て場合のみ、奇跡的な体重増加を示すのである。もし、牛などと同じようにワラや干し草しか与えられなかったら豚は体重を減らしてしまうのである。

豚は雑食動物だが反芻動物ではない。ヨーロッパにおいては広大な森のなかで豚を放し飼いにできたが、中東ではそうはいかなかった。豚を育てる場合は自らの食事を差し出すしかなかった。また、中東で豚が禁じられたのはもう一つの理由があった。豚は中東の気候にあってないのである。豚の祖先は水の豊かな谷間や川岸の木陰を住処としていた。豚の体温調節機能は中東の熱くて、日差しであぶられるような環境には全く適していない。熱帯種の牛、羊、ヤギは水なしで長期間の間生きられ、発汗作用によって余分な熱を放出することも、明るい色の短い毛の生えた外皮によって身を守ることができた。*2豚は汗をかけない。汗腺を持っていないからである。豚は涼しくいるためには泥の中で転げ回り、冷たい地面からの伝導作用で熱を発散するしかない。体温が30度を超えると、きれいな泥たまりを取り上げられた豚は、熱にやられるのを回避しようと自分の糞便や尿の中で転げ回り始める。豚は身体が大きくなるほど、熱に耐えられなくなる。

したがって、中東で豚を飼うのは反芻動物を飼う以上にコストがかかることであった。豚を飼うには人工的に影を作ったり、転げ回る用の泥たまりを用意してやらねばならなかった。またその餌は人間自身が食べられる穀物その他の植物性食物を与えてやらばならなかった。

 

5.中東で豚を飼うベネフィット

こうして考えてみると、豚は反芻動物に比べてベネフィットが少ない。豚は農耕に使えず(鋤が引けない)、その毛は繊維や布にむかず、乳用にも適さない。「豚は、肉以外ほとんど役立たない唯一の大型家畜である」*3

中東のような環境では豚を飼うことは難しい。どんなに食べたいと願ってもほとんど食べられなかったはずだ。そのような歴史的経緯から豚を慣れ親しまない食べ物として忌み嫌う伝統が作られ、それが宗教的タブーにも取り入れられたとハリスは考える。宗教的タブーは新たなタブーを創るのではなく、元から民族にあったタブーを取り入れているのだ。

しかし、中東で全く豚が飼われていなかったとするのも間違いである。ヨルダンのイェリコ、イラクのジャルモからは飼育された豚の骨が出土している。聖書にも豚が登場する。しかし、当初から飼われていた豚の数は少なかったとハリスは言う。しかもその規模は(おそらく先に述べた飼育の難しさから)どんどん縮小していったと考えられている。

カールトン・クーンによれば、豚飼育の全般的衰退は森の減少だとした。新石器時代のはじめには、豚はカシとブナの森で餌を漁って生きられた。それらの森は食べ物だけではなく日陰をも提供してくれる場所だった。しかし人口密度が増えるに従って、農耕地が拡大し、森は農耕地として伐採され、その結果豚の住処が奪われた。例えばアナトリアでは紀元前5000年から最近までに森林は全面積の70%から13%に減少したという。一方ヨーロッパでは深い森は近世に入るまで保たれたため、豚を森で飼育することができた。

豚はヨーロッパでも中東でも肉のためだけに生産された。農耕には役立たないため、どうしても欲しいということはなくなる。それならば、森林地域の減少と共に豚を飼うのが難しくなると─森林破壊、土地の侵食、砂漠化─豚は無用どころか、触るのも、目にするのも汚らわしい動物、最低最悪な動物となった。

豚のタブーがユダヤ教徒だけではなく、中東の異なる文化(イスラム教)で行われていることがこの説明を裏付ける。中東では豚を飼育するベネフィットは少ないが、牛や羊やヤギを飼育するベネフィットがあった。そのために、イスラム教のタブー成立の前に豚を忌避する傾向が既にあったのだ。豚のタブーは中東においては経済学的に正しい決定を示すのである。もし豚を意地でも中東で飼育していたら、得られる肉の量や農耕としての労働力は減少し、今よりも発展が望めなかっただろう。イスラム教のような厳格な宗教でも、神の定めた戒律をただ振りかざすだけでは豚を禁止することができない。豚を経済学的に考えて飼育していなかったからこそ、宗教的戒律を受け入れることができたのだ。宗教的タブーは実は経済学的ベネフィットに基いており、だからこそ受け入れることも可能なのである。

 

6.終わりに

ハリスは豚のタブーについて生産のコスト・ベネフィットから説明を試みている。宗教的タブーは闇雲に設定されたのではなく、その地に生きる者にとっては合理的なタブーでもあったのだ。私がここまで述べてきた内容は、ハリスの『食と文化の謎』からの引用であり、興味があったらぜひ全文を読んでもらいたい。豚のタブー以外にもインドにおける牛のタブーも扱っており、大変面白い内容である。文庫本で入手も容易なのでぜひどうぞ。

 

参考文献

マーヴィン・ハリス著『食と文化の謎』

 

 

 

*1:当時、豚に人糞を食わせて飼育する方法があったのである

*2:熱を貯める構造の多量の毛じゃ寒冷地種の動物の特徴である

*3:マーヴィン・ハリス著『食と文化の謎』


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