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単なるメモである。調べたいのはソ連成立以前のロシア帝国の領土の範囲だったのだが、あまりきちんと書かれてはいないようだ。

引用中の

また、1818年4月から1922年末にかけて、連合国はソヴィエト政権打倒のため白軍を支援し、チェコ兵捕虜を口実とする対ソ干渉戦争もはじまった。

は、当然ながら1918年4月からの間違いだろう。

(以下引用)

ロシア革命とソ連の成立(レーニンの革命運動、対ソ干渉戦争など) 受験対策問題 94

著者名: レキシントン
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ロシア革命とソ連の成立で押さえておきたいポイント

※赤字部分が問題に出そうな部分です。赤色の暗記シートなどで隠して見てください。

1917年ロシア革命

日露戦争時、血の日曜日事件をきっかけとした第1次ロシア革命のあと、第一次世界大戦中の1917年に、ロシアで再び革命が起こった。

・第一次世界大戦中、ロシアの外国資本は引き上げられ、労働者の置かれた状況が悪化した。加えて、東部戦線タンネンベルクの戦いで惨敗したロシア軍兵士の中にも革命を望む者が出てくるようになった。農民や家畜が戦争に駆り出された結果、ロシア国内の農業生産性は著しく低下し、食糧危機が起こった。


・1917年3月8日、首都ペトログラードで食糧危機を原因としたデモが起こり、労働者に加え軍隊も参加し、ストライキが発生した。3月12日には労働者と兵士の代表による評議会(労兵会)としてソヴィエトが結成され、その後ストライキは全国に拡大し、ロシア皇帝ニコライ2世は退位させられた。これを三月革命(ロシア暦二月革命)という。

・三月革命後、ブルジョワジーを中心とする臨時政府が成立した。臨時政府では、立憲民主党・社会革命党(エス=エル)・メンシェヴィキなどが中心となった。

ボリシェヴィキの指導者レーニンは、スイス亡命中に三月革命が起こったため、封印列車でドイツを通過し帰国し、1917年4月、「すべての権力をソヴィエトに」とした四月テーゼを発表し、臨時政府を支持しない方針を掲げた。これに対し、社会革命党右派で後に首相となるケレンスキーはボリシェヴィキを弾圧した。

・三月革命の結果成立した臨時政府は、ブルジョワジー中心の政府であり、戦争を継続した。これに対し、労働者・兵士・農民は平和と食糧を求めソヴィエトに結集し、ロシアは二重権力状態となった。レーニンやトロツキーが指導したボリシェヴィキは、配下の労働者や兵士が立ち上がり、1917年11月7日、臨時政府を打倒した。これを十一月革命(ロシア暦十月革命)という。

・ソヴィエト組織の最高機関である全ロシア=ソヴィエト会議は、第2回大会で新政権の成立宣言と人民委員を選出した。また、第5回大会で、ロシア=ソヴィエト社会主義連邦共和国の憲法を定めた。

・新たに成立したソヴィエト政権は人民委員会議と言われ、議長(首相)にレーニン、外務人民委員にトロツキー、民族人民委員にスターリンらを選出した。また、「平和に関する布告」、「土地に関する布告」を公布し、前者でロシア旧政権とイギリス・フランスなどが結んだ秘密外交を暴露し、後者で土地の私有権を廃止した。

ソヴィエト政権と戦時共産主義

・1917年11月25日、比例代表制の普通選挙で選出された憲法制定議会が開かれた。この議会では社会革命党が大多数を占めたため、ボリシェヴィキ率いるレーニンは武力で議会を解散させた。1917年12月にはチェカ(非常委員会)が設立され、反革命の動きを取り締まった。

・1918年1月19日に憲法制定議会が解散すると、ボリシェヴィキ独裁(プロレタリア独裁)が始まった。ソヴィエト政権は無併合・無賠償・民族自決のという戦争終決方法を決めた。1918年3月3日には、ドイツとブレスト=リトフスク条約を結び、ポーランド・ウクライナ・フィンランドなどの領土を失い、ロシアは戦争から離脱した。

・ボリシェヴィキは、その後第7回大会においてロシア共産党に改称し、1918年3月16日にモスクワに首都を移した。

内戦のはじまり

・革命の成功後、ソヴィエト政権の赤軍(赤衛軍)と反革命勢力の白軍が争う内戦状態に突入した。また、1818年4月から1922年末にかけて、連合国はソヴィエト政権打倒のため白軍を支援し、チェコ兵捕虜を口実とする対ソ干渉戦争もはじまった。

・1918年8月には、チェコ兵救出を名目に、日本・アメリカ・中国がシベリア出兵し、日本軍は1922年まで駐兵した。また、1920年には東欧でソヴィエト=ポーランド戦争がおこった。

・内戦と干渉戦争という危機的状況の中、ソヴィエト政権は戦時共産主義をとった。これにより、私企業の禁止、中小工場の国有化、賃金の現物給与、労働義務制、食料配給制、穀物強制徴収などの政策をおこなった。この結果、農民の生産意欲が低下し、極度の食料不足を招いた。

ネップ(NEP)とソ連の成立

・戦時共産主義により低下した生産を回復するため、新たな経済政策としてネップ(NEP:New Economic Policy)が行われるようになった。この政策では、穀物徴収制度の廃止、小規模の私企業や小農の経営を許可し、1927年までに各部門の生産性は戦前水準まで回復した。

・外交的には、1921年の英ソ通商協定、1922年ドイツとのラパロ条約により、国際的孤立を解決した。

1922年、全連邦ソヴィエト第1回大会ソヴィエト社会主義共和国連邦(ソ連:U.S.S.R.)の樹立が宣言された。ソ連は当初ロシア・ウクライナ・ベラルーシ・ザカフカースの4ソヴィエト共和国ではじまり、その後ウズベク共和国・キルギス共和国・トルクメン共和国などが加わり、15共和国で構成された。

・1924年の全連邦ソヴィエト第2回大会ではソヴィエト社会主義憲法が決められた。ソ連はその後1924年にイギリス・イタリア・フランス、1925年に日本、1933年にアメリカにより承認された。
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・ロシア革命とソ連の成立(レーニンの革命運動、対ソ干渉戦争など) 受験対策問題 94
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『世界史B 用語集』 山川出版社
『世界史B 教科書』 山川出版社

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