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「日本人の英語」で名前を知られるようになったと思われるマーク・ピーターセンの「英語の壁」という新書(これは本の種類のことだ。いわゆる新書版の本ということ。)を読んでいて、ある部分でひとつの謎にぶつかったのだが、私は謎解きが好きなので、しばらく考えて、正解と思われる解答に達した。その「謎」をここに載せて、少し空白部をあけた後で、その解答を載せることにする。
まあ、「頭の体操」と思っていい。これは、中学生レベルの英語(英文)が題材だが、高校生や大学生、いや、学校の英語の先生でも問題の意味が理解できない気がする。むしろ学校秀才のほうが首をひねるのではないか。逆に、一読で問題の意味が分かった人は、素晴らしい言語感覚があるか、あるいは米国人と日本人の言語感覚や人間性の違いを知っていると思う。私は留学体験は無いが、英語圏への留学体験がある人は即座に分かるのではないか。ただし、それは私の解答が正解だとしての話だ。
以下がその「問題」の文章だ。引用文は赤字にしておく。括弧内は私の補足。

(willという語の)和訳に「でしょう」を使った用例は一つだけあったのだが、それは「You'll be in time if you hurry.急げば間に合うでしょう」となっていて、この「~でしょう」は、単なる誤訳による「~でしょう」だ。

さて、この和訳がなぜ誤訳なのか、というのが問題である。
ヒントにはならないかもしれないが、続く文章は、こうである。

"You'll be in time if you hurry."という英語は「急げば間に合いますよ」ということを言っているのである。

さて、なぜ前者が誤訳で、後者が正しいとなるのか、説明できるだろうか。私は10分程度で解答を出したので、それくらいの制限時間にしよう。





(解答)?

実は、これは著者のピーターセンの「言語感覚」と日本人の「言語感覚」の違い、あるいはアメリカ人と日本人の人間性(民族性)の違いから来た「断層」だと私は思っている。つまり、日本人的な感覚では、ふたつの和訳の前者が間違い(誤訳)だとは感じないと思う。
フェアを期するために、問題文に先立つ記述も書いておく。
それは、

はっきり言えば、willには『~だろう、~でしょう』という意味は無いのだ。

というピーターセンの発言(文章)だ。ところが、日本語辞書の「will」の意味(訳)として、「~だろう、~でしょう」は当たり前にある。それに慣れている日本人は、前の「問題」の何が問題なのか、分からないわけだ。むしろ、ピーターセンのほうがいい加減なことを言っているのではないか、と思う人すらいるだろう。それほど、willに「だろう」「でしょう」を訳語として当てるのは日本人には普通のことなのだ。

実は、ここに日本人の民族的個性がある。ピーターセンは「will」の示す意味は「未来」である、としか考えないのに対し、日本語の「だろう」「でしょう」は、実は「婉曲」の意図があるのである。それを未来形の訳語にするのは、英語ネィティブの人には、耐えがたい誤りだ、と思われるだろう。
さて、ここで、"You'll be in time if you hurry"に対するピーターセンの訳文である「急げば間に合いますよ」を見てみよう。それと「急げば間に合うでしょう」の違いが日本人にはピンと来ないのではないか。どこが違うの? むしろ、ピーターセンの日本語訳のほうが変じゃないの? と思う人がいると思うが、それは、それが「日本人的という点では自然な感覚」だからだ。つまり、少しでも未来のことなら、ある予定や予期が100%実現するとは限らないから、婉曲に「だろう」「でしょう」を使うわけだ。それが欧米人的感覚ではないのではないか、というのが私がここで主張していることである。欧米人は、自分が正しい(かなりな蓋然性で、あることが実現する)と思えば、それが100%でなくても主張する。日本人はそういう場合には「だろう」「でしょう」と婉曲に言う。これがwillの「誤訳(ピーターセン流に言えば)」になるのだと思う。そういう「主張や表現の曖昧さ」を欧米人は卑怯卑劣だと感じるのではないだろうか。







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何十年も昔、好きで、自分でも日本語訳しようとしたこともあるジュディ・コリンズの「青春の光と影(原題の直訳は「今、両面を」)」を、今朝の散歩の時に思い出して、頭の中で繰り返し鑑賞したのだが、歌詞を正確には思い出せなかった。
しかし、昔覚えた歌、あるいは、(そういう題名の古いポップスもあるが)「昔聞いた歌」というのが、突然頭の中に甦るのは面白い。何も、再生装置などなくても、脳そのものが過去を再生する再生装置なのである。同じく散歩の伴奏として、前には「軍艦マーチ」がなぜかリピートされたこともあり、頭の中で演奏を聴いていると、この曲がいかに優れたメロディと構成を持った曲かがよく分かった。次から次へと曲想が変化するのである。「響けユーフォニアム」で、ださい新曲など作らなくても、「軍艦マーチ」のほうが凄い感動を呼んだのではないか。まあ、今ではパチンコ屋のBGMとしか思われていないが、我々が子供のころは、それを全曲通して聴く経験を何度か持ったものである。というのは、運動会の定番BGMだったからだ。

それはさておき、「青春の光と影」を思い出せるかぎりで日本語訳してみる。まあ、ネットを探せば日本語訳も原詩もあるだろうが、面倒くさいので、記憶に頼る。たぶん、中学生くらいのころの記憶だ。途中の忘れた部分は適当につなげる。最後の部分は「人生の両面」のことだが、ほとんど忘れたので省略。

「青春の光と影(今、ふたつの面から)」

天使の髪の房や流れ
空に浮かんだアイスクリームのお城
そして、あちらこちらに羽毛が積もる谷間

私は雲をそんなふうに見ていた
だけど今、それは太陽の光をさえぎるだけ
どこにでも雨と雪を降らせるだけ

私は雲を両面から見た
上からも下からも
でも、今もまだ何となく
思い出すのは雲の幻
私は雲を本当には知らないのでしょう、ほんの少しも

月に宝石、妖精のお話
誰かと踊る時のめくるめく気持ち
「あなたを愛しています」とまっすぐ高らかに言うこと

私は恋をそんな風に見ていた
でも今は雲が私の前をさえぎり恋は別の面を見せた
苦痛に悲しみーーー
もしもあなたが私を愛してくれるなら、
私から去らないで

私は恋の両面を見た
ーーー
でも、今もまだ何となく
思い出すのは恋の幻想
私は恋を本当には知らないのでしょう、ほんの少しも






「壺斎閑話」記事の末尾で、中村某という者が、ドストエフスキーは生涯にわたって精神病者だったという説を出していることについての文章である。まあ、その当否は別として、下の部分は面白い。

四年間の監獄生活の時期が、精神的にもっとも安定したいた

という部分である。「したいた」は「していた」のタイプミスだろう。
これは、精神病を考えるうえで、面白い話である。つまり、「自由こそが精神を病ませる」という仮説だ。監獄や病院にいる時は拘束状態だから、「自由をあきらめる」。それが精神の安定をもたらすのではないか。あるいは、「自由」の代わりに「夢」や「希望」を置いてもいいかもしれない。夢や希望を失った状態こそが精神が一番健全に働くのではないだろうか。
そこで想起するのが、「冬の散歩道」の中の

when I look about my possibility (訂正:「look around」が正しいと思う)
I was so hard to please

という一節だ。この「気難しさ」が、精神の不健康さの徴候だろう。青年期が精神の危機の時であるのも、まさに夢や希望や可能性の中で迷いに迷うからではないか。つまり、カフカ的迷宮の中にいるのである。

(追記)「look around」は、対象だけでなくその周辺も見るわけで、「自分の可能性だけでなく、その周辺も見る」わけだ。言い換えれば、「キョロキョロしている」のである。

(以下引用)


そんなドストエフスキーだが、不思議なことに、四年間の監獄生活の時期が、精神的にもっとも安定したいたと中村は言う。じっさいドストエフスキー自身も、「懲役のほうが気持ちが穏やかだった」と口癖のように言っていたそうである。なぜ彼がそんなふうに思ったのか、それについては詳しく立ち入って考えていない。監獄のなかでは、他人との関係が単純化されるので、精神的なストレスも緩和され、異常な精神状態に陥ることが少なくなった、あるいはなくなってしまった、ということだろうか。もっとも、この懲役中に癲癇の発作が始まったわけで、それをどう考えるかは、また別の問題である。
いずれにしても、ドストエフスキーが統合失調をほぼ生涯にわたって患っており、その症状を直接描写することで、かれの作品世界が形成されたとする中村の推論は、その有効性はともかく、面白い試みである。
「復讐」について考えてみる。
現代社会では、復讐は禁じられている。復讐をしたら、法的に処罰されるわけだ。しかし、上級国民は権力制度 と暴力装置で守られているから、法では裁かれない。
つまり、現代で復讐が禁じられているのは、究極的には上級国民や権力にいる側の人間を守るためであって、人権とは無関係だということだ。
論理的に言うと、法による処罰(刑罰)自体が復讐である。つまり、個人の復讐の権利がいつのまにか権力に取り上げられたわけである。それは、私人が復讐権を持つと、彼らを害した側(たいていは権力側)が復讐されるから、それをあらかじめできないようにしたわけだ。
その結果、人民は人間ではなく羊になった。

まあ、権力との関係は不問としても、我々は「復讐権」を取り戻すべきだろう。そうすれば、悪の側にいる人間も弱者においそれと手を出せなくなる。つまり、「復讐は無罪」というように法を変えるべきである。その仔細は法学者に考えてもらえばいい。たとえば詐欺犯罪は被害者には生命に関わる重大犯罪だが、「目には目を」方式だと復讐が不可能なので、「相手の財産と被害金額の割合」に応じて、復讐の度合いを決めるわけだ。財産の半分以上を奪ったら、加害者を殺してもいい、とする。等々。とすれば、たとえば安倍狙撃犯とされている山上容疑者は無罪となる。つまり、安倍は総理大臣が統一教会を許容し、利用していたわけで、統一教会の存在の大きな要因だったからだ。まあ、この事例は論理的に極端だが、とにかく「復讐は無罪」論を推進しないと世間の悪ははびこり続けるだろう。
「壺斎閑話」というブログの記事で、作者は古今東西の哲学書や文学書を読みこなす市井の知識人だが、「地下生活者の手記」をこういう読み方をした人を初めて見た。「地下室の手記」(こうも言う。)は、地下室の住人という正体不明の存在の手記という形で人間性の深遠を描いたもので、その悪辣さやシニカルさの極限性が、読む人の心を震撼させ、世界観や人間観を変える異常な傑作である。ところが、壺斎氏は、主人公の行為の下劣さにしか目が行かない。まるで、それが実在の人物の行為であると思っているかのような非難ぶりである。しかし、これは「誰でもそういう心理になる可能性はある」という、人間の魂の普遍的な悪をフィクションとして描いたのであって、その深度こそがドストエフスキーの凄さであるのではないか。単なるドキュメンタリーなら、この主人公より下劣な、残酷な行為をした人間は膨大にいるのである。しかし、それを「文学として表現した」人間がいなかったから、ドストエフスキーのこの作品は偉大なものになったのだ。つまり、ここにあるのは、「哲学の問題」なのであって、人間の魂がどのようなものかという探求なのだ。
なお、私はこの作品に関してここに書かれた「出来事」はひとつも覚えていない。ただ、「俺が一杯の紅茶を飲むためなら世界が滅んだっていい」という、衝撃的な言葉を読むだけでも、この作品を読む価値はあると思う。

(以下引用)


絶望する娼婦リーザ:ドストエフスキー「地下生活者の手記」

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「地下生活者の手記」は、手記の作者のみじめで情ない生き方を自虐的につづったものだ。とにかくそういうみじめで情けない話をうんざりするほど読者は聞かされるのである。そうした話のなかでも、もっともみじめで情ないのは、リーザという若い娼婦にまつわる話である。この娼婦は、人間の原罪を一身に背負った聖母のような女性として描かれており、その聖母のような女性が、この手記の作者のようなどうしようもない悪党に凌辱されるというのは、キリスト教徒にとっては、非常にショッキングなことに違いない。じっさいこの女性にまつわる話は、じつにショッキングでスキャンダラスなのである。
手記の作者がこの女性と出会ったのは淫売宿においてである。客と娼婦の関係としてであった。久しぶりに集まった昔の悪友たちとの間でさんざん不愉快なやりとりをしたあげく、その仲間たちがしけこんだ淫売宿にかれもついていくのである。手持ちの金がないので、憎らしい友人から金を借りるという体たらくをともなってだ。そんなわけだから、かれはむしゃくしゃした気分で女を迎えた。その女を相手にかれは、身体的な快楽にふけるのではなく、精神的にいじけきった快楽にふけるのである。つまり彼女を精神的にいじめて、そのことで自分のほうが優位に立っていると錯覚し、その錯覚を通じて精神的な快楽を味わおうというのである。もっともかれにまともな精神を期待できるわけではない。いじめっ子が弱い者をいじめることで快楽を味わうような、倒錯的な精神なのである。
彼女へのいじめの中でもっとも手の込んだものは、彼女をそのみじめな境遇から脱してまともな生活にもどれと諭すことである。作者は弱い者を前にして、自分が一方的に優位に立っているという立場に安心して、説教を垂れるのである。無論その説教は、彼女の境遇に深く同情してのことではない。かれは彼女に向かって説教を垂れながら、心の中では舌を出しているのである。なぜそんな倒錯的なことをするのか。それがわかるくらいなら、説教などしないであろう。かれはいじめっ子として振舞うことで、自分が幾分か高められたと感ずるようなのである。
始末の悪いことには、かれのそうした説教が、彼女に対して効果を及ぼしたのだ。かれの説教を聞いて、彼女は幾分か人間性を取り戻した気持ちになったのである。その証拠に彼女は、自分へ向けて書かれたラブレターを説教者に見せる。わたしにも人に愛された経験があるので、人間としての誇りはわかっているつもりです、と言いたいかのようなのだ。ともあれ、己の説教に陶酔した作者は、是非自分を訪ねてきなさいといって、彼女に住所を記した名刺を与えるのだ。
かれはそのことを早速後悔する。彼女に説教することで、自分が彼女よりもはるかに優れた境遇にいることを匂わせたのであるが、じっさいには、乞食といってよいようなひどい境遇に置かれているのだ。そんな姿を彼女に見られたら、幻滅させたうえに、軽蔑されるに違いない。過剰な自意識にとらわれている彼としては、自分より劣った人間に軽蔑されるほど屈辱的なことはない。だからかれは、彼女が訪ねてこないように祈るのだが、その願いはかなわなかった。彼女はかれと別れてから三日後にかれのところへ訪ねてくるのだ。
予期していたこととはいえ、かれにとっては至極厄介な事態であった。そこでかれがどんな行動に出たか。かれは彼女を徹底的に侮辱したのである。そうすることで、自分自身の振る舞いの馬鹿さ加減を幾分かでも和らげようとするかのように。
作者の彼女への侮辱の言葉は、読者の耳にも卑劣な響きに聞こえる。いくら自分の馬鹿さ加減に体裁を繕ろうとしても、相手をわけもなく侮辱していいわけがない。ところがこの人物には、そうした常識は一切通じない。かれにとって重要なのは、自分自身の精神状態を安定させることであって、そのためには、過剰な自意識を宥めねばならない。そのための手段はこの場合、相手を徹底的に貶めることなのだ。
しかし彼女は、自分が貶められているのは、自分のせいというより、相手つまり手記の作者の不幸がなさしめるものだと考える。そこが、彼女が聖母のような女性だという所以である。そんな彼女を作者は、追い打ちをかけるように侮辱しつづける。彼女を一人の人間として認めようとはしないのだ。それは作者が、彼女に金を握らせることによって頂点に達する。金を握らせることで、自分らの関係は対等の関係ではなく、娼婦と客の関係だと思い知らせる効果があるわけである。作者自身にそういう自覚があったかどかは別にして、クリティカルな場面で女に金を握らせるという行為は、彼女の人格を否定することを意味する。
それゆえ、金を握らされ、侮辱されたと感じたリーザの絶望は深いのだ。ドストエフスキーはなぜ、そんな場面をことさらのように描いたのか。鷹揚にみつもっても、ここには救いというものはない。あるのは、傲慢と皮肉と絶望のたぐいだけだ。この作品を転機にしてドストエフスキーの小説は深みをましていくと評されるのだが、その深みの実体は、どうも人間を突き放してみる見方に宿っているようである。
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