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宮崎駿の作品の中では、私は「もののけ姫」は一番の失敗作だと思っているが、それがなぜ失敗したかと言うと、宮崎駿には時代劇のセンスが無い、あるいは時代劇の面白さの理由が分かっていないということだろう。私自身、時代劇の面白さの理由が分かっているとは言えないが、「もののけ姫」は時代劇の面白さを狙ってそれに失敗しているのは明白だと思う。その失敗の理由は、彼があくまで「ファンタジー」畑の人間で、時代劇の「リアリティを背後に持つ様式的面白さ」とは大きな懸隔があるということかと思う。
具体的な一番の失敗の理由は「もののけ姫」の存在である。彼女がこの作品の中で持つ意味が私にはまったく分からない。何のために彼女は存在しているのか。その存在が物語の中心的ストーリーの中で何の重要性があるのか。
まあ、最初の「シシ神のたたり」という部分で、既にこの作品は時代劇の持つ様式性や爽快さから乖離して、失敗が決まっていたと思う。妖怪やたたり云々を出すとしても、時代劇ならほんの脇道程度に扱うだろう。時代劇の本筋は、悪役と善玉の闘争の活劇にあるからだ。ところが、この作品では誰が悪役なのか、何が話の中心なのか、さっぱり分からない。したがって、これは「時代劇」ではない、と断定していいかもしれない。では、ファンタジーか。それにしては、「人間の自然破壊が自然の復讐を生む」というお説教臭さが、観客がファンタジー世界に入る邪魔になる。製鉄業が自然を破壊するのが悪なのか、それとも製鉄業で業病患者たちを救っているたたら者のリーダーは善なのか。で、観客はもののけ姫を応援すればいいのか、それとももののけ姫は「人類側」に敵対する存在として、人類側の応援をすればいいのか。
話の中心点が分からないために、観客は宙づりにされた気分になり、画面のさまざまなシーンの面白さの印象だけが残るまま見終わり、この作品をどう評価していいか分からなくなるのである。

と言うことで、私自身への戒めとして、「活劇の面白さはあくまで善玉と悪玉の戦いにある」ことを忘れないようにしたい。善悪の境が分からないほうが高度な作品に見える、という「ダークナイト」的な子供だましを私はあくまで拒否するつもりである。






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