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前に、考察テーマとして挙げた「敵と味方」だが、あまり考察が深まりそうにないので、別のテーマを考えてみる。
創作に一番大事なのは、読者や視聴者の興味を惹いて、先へ先へと読みたい、視聴したい気持ちにさせることで、私は小説の場合はそれを「小説エンジン」と呼んでいる。
で、それは地球の運命のような大袈裟なものでなくてもいいので、毎度引き合いに出すが、オースティンの「高慢と偏見」は、漱石(訂正:サマセット・モームである。)も言うように、特に大きな事件があるわけでもないのに、次のページ、次のページへと読者を引っ張っていく。その正体を大雑把に言えば、ベスとダーシーの恋が成就するか否かという、実に平凡そのものの「問題」なのである。ところが、問題自体は簡単だが、その解答に至るのは容易ではない。そこに読者の興味も増大していくのである。
この種の問題を考えるのは一見容易そうだが、全然そうではない。面倒臭がりの人間(私もそれだ。)だと、結ばれるのが難しいなら、あきらめたら? と考え、先を続ける気もしないのである。つまり、クロスワードパズルを作るようなものだ。作ること自体が面白いと思う人間でないと、作れないのである。恋愛に興味のある人間でないと面白い恋愛小説は書けない。
まあ、私は戦い(戦略)には興味はあるから、書くとしたら恋愛ではなく戦いの物語を書くべきなのだろう。
しかし、「敵と味方」というテーマだとあまり深い考察になりそうもない。なぜ、このテーマを思い付いたのかも覚えていない。そもそも、私は「味方の中にも敵がいて、敵の中にも味方がいる」というような話はあまり好きではないのである。ただし、「敵だった相手が、心を入れ替えて味方になる」話は嫌いではない。その好例が「未来少年コナン」のモンスリーである。
敵として実に手ごわい相手だけに、味方になった時の嬉しさは大きい。これは視聴者が嬉しいのである。主人公側に感情移入しているからだ。
これがゲーム(RPG)だと、敵の時は恐ろしく強いが、味方になるとまったく頼りにならない奴ばかりで、ゲーム制作者はどういう考えでそのパターンが多いのか、精神分析をしたいくらいであるww
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