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かなり酒が入っているし、「創作のための哲学」に関してはメインの問題だと思うので、まともに論じきれるかどうか自信は無いが、やってみる。

私は、「問題と解決」は、創作の基本だと思っている。何かの問題があり、その解決の過程を書いていくのは論文だが、実は小説や脚本でも同じだ、ということだ。

たとえば、幼いころから巨人という球団に入ることを夢にし、それを実現した投手が、実は身長が低いために球が軽く球威がないという「問題」に直面したら、どうするか。当然、変化球の習得に取り組むだろう。これが、「巨人の星」の「問題と解答」だ。
あるいは、命に代えてもいいとまで愛する女性が人妻で、しかも相手が貞潔で不倫が不可能ならどうするか。「自殺する」のが答えである。これが「若きウェルテルの悩み」の問題と解答だ。
その解答が正解かどうかは問題ではない。問題が読者に切実に感じられ、その解答が感動的ならそれでいいのである。
そして、問題と解答は作品全体を貫くこともあれば、部分部分が小さな問題と解答で長々と続いていくこともある。読んだことは無いが「ワンピース」などはそれだろう。ただし、一応、「ワンピースとは何か」という謎(問題)が話の底流にはあるようだ。

私が一番面白く思っているのは、昔の三流漫画家(一応、流行漫画家でもあった。)のひとりが、話の作り方を聞かれて、「主人公をほとんど解決不可能な困難な状況に投げ入れて、そこでその回の終わりとし、酒を飲みに出る。そして、次回の締め切りが近づいたら、その難問に取り組み、頭を振り絞って打開策、解決策を考える」というものだ。これは、第一に、「引き」という、連載物のセオリーを見事に実現している。作者自身が問題の解答を知らないのだから、読者はその「謎(引き)」に夢中になるだろう。次回が待ち遠しくてたまらなくなるはずだ。そして、作者としては、切羽詰まれば知恵は出るわけで、多少強引でも前回の「問題」に答を出せばいいのである。
なお、私が一番面白く思うのは、「問題をホッタラカシにして酒を飲みに出る」という部分だ。そこにこそ、本当の知恵があるとすら思う。つまり、「煮詰まった状態」では頭は堂々巡りするだけで、知恵は出ない。そこでいったん頭を空っぽにする、ということが大事になるのではないか、ということだ。(別の言い方をすれば、自分が酒を飲み遊んでいる間に「無意識」という見えない仲間に仕事をさせるのである。)



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