忍者ブログ
[15]  [16]  [17]  [18]  [19]  [20]  [21]  [22]  [23]  [24]  [25
人間の目は、白黒の絵を見ると、黒いのが描かれた部分で、白い部分は余白だと見る先入観(あるいはメカニズム)があるのかもしれない。
この絵の場合は、馬の輪郭が一本線でないことと、輪郭線以外にも意味不明の黒線が多いのが、錯視の原因だろう。


小学校の図書館で借りて生まれて初めて読んだ宮澤賢治の童話集。先日古本屋で50年ぶりくらいに再開したんですが恐ろしいことに表紙に馬が描かれてることに初めて気がついた。子供の頃はなんか線がモジャモジャしてる抽象的な絵だとばかり思ってた。何回も繰り返して読んだのになー。













PR
山本貴嗣が、あれほど長い間漫画家をやっているのにヒット作らしい作品がほとんど無い理由はこの辺にあるのではないか。つまり、自分以外の人間の心理に対する共感や同情や想像力が本質的に欠けているように思う。たとえば、「好きな人もいっしょにいる」というのは個人的な話であり、それによって一般人の多くが抱えている孤独や不満足感を切り捨てていいはずがない。
いや、切り捨ててもいいが、そうした人間が描く作品もまた他人からは切り捨てられるのではないか。
まあ、他人に受け入れられなくても、自分は自分の好きな作品を描く、というのなら、それは商業誌に載せる作品ではなく、いくら技術が高かろうが精魂込めようが、趣味の作品だろう。熟達度の高いヘンリー・ダーガーである。つまり、書いた作品をひとつも外に出さず、自分のアパートの中で膨大な紙(作品)に埋もれて死んでいくのと本質的には同類であるわけだ。
ちなみに、彼の作品はエロと暴力の描写が多い作品だとそのツィッターに載る絵を見ると想像できるが、エロと暴力は大衆的人気を得るもっとも確実なテーマであるにも関わらず、彼の名前が世間的にほとんど知られていない理由は、単純に「これは俺(わたし)には面白くない。肌が合わない」と感じる漫画ファンが多いからだと思う。
逆に、自分の趣味に徹底的にこだわり、売れても売れなくてもいいという姿勢を一生続けていくのも、生き方としては悪くはないだろう。まあ、(自己批判能力の欠如による)自己満足という無形の檻の中で生きる人生ではあるが、自分が幸福と思えば幸福なのである。本人が「閉じ込められた監獄から脱出する話もどうでもいい」と既に書いているのは、自分自身の「無形の檻」を無意識に感じて、自己防衛の予防線を張っているのかもしれない。




  1. 同じ理由で、閉じ込められた監獄から脱出する話もどうでもいい。すばらしいできなのかもしれないが。や、中学のころ映画館で見た「パピヨン」は感動したけど。

  2. 時空を超えて成人が学生になる設定、あの頃はよかったと思う人にはいいかもだけど、金も時間も自由にならないし好きな人もいっしょにいる今とくらべて何一ついいことないので、なぜそんな夢のない設定から始めないといけないのかと思って興味がわかない。いいのは体力と生活の心配がないくらいか。









まあ、これは創作の基本思想だと思うが、案外、知らない人もいるかもしれない。そもそも我々の精神そのものを形成しているすべての知識は先人から受け継いだものである。
つまり、「二次創作の否定は創作そのものの否定である」と言える。
ちなみに、小説や漫画などで一番難しいのはキャラ作りだと思うが、二次創作ではそのキャラが最初から決定しているから、一番の難関がクリアされているわけで、しかも読者にもなじみがあるから受け入れられやすいと思う。もちろん、一部の読者からは「このキャラはこんなキャラではない」という反発もあるだろう。
昔、アニメのキャラや設定を使ったエロ小説サイトがあって、私はその「キャラ把握」の見事さにつくづく感心したものだが、そのサイト運営者が「自分オリジナルキャラ」を作ったとしても成功できたかどうかは分からない。だが、そのアニメキャラへの思い入れは、並みの人間では到達できない高みにあったと思う。もっとも、その小説の中ではキャラたちがあれこれエロい目に遭うのだがwww 世の中には(匿名でしか表に出せないという意味で)妙な才能の持ち主もいるものである。



  1. 例えば「水戸黄門」の設定をいろんな人に渡したら、時代劇、異世界物、SF、etc .お人の数だけのお話ができるでしょう。創作とはそういう物だし王道ってのはある程度面白さの保障された物ですしね。

  2. 下着コメディばかり描いてたある日ふと浮かびました(冷戦、ソ連、デザインチャイルド、スパイ物、009orバイオニックジェミー、抜け忍、ハイジのおんじ
    自分がこういう王道物やったらどうなるか?
    はい「瞬きのソーニャ」の出来上がり。














不思議なことに、ブ男のハゲは威厳すらあるのに、ハンサム(特に優形)のハゲは実に不細工である。つまり、ハンサムというのは全体のバランスがとても重要だということかと思う。その一部でもおかしくなったら「全体が美しくなくなる」わけだろう。




Dignity

欧米人は書いた字の美醜にはあまりこだわらないとは思うが、やはりきれいな書跡とそうでない書跡がある。或る種の字を美しいと思い、また或る種の字を醜いと思うというのは不思議なことで、部分的には「見慣れたものを美しいと思い、見慣れないものを醜いと思う」ところもある(活字を見慣れると、それに近い字を美しいと思う。)が、書道の場合、見慣れない字でも美しいと感じることはある。その美しさもいろいろだ。端正なものもあれば荒々しいものもある。



さんがリツイート

美しい筆蹟で書くには、特別な筆のもって行き方というものがちゃんとあるのだ。決して定義する事ができないにも関わらず、美にはある定まった何かがあるのだ。定義ができないというだけで僕はこれを信じられなかった訳だが、この経験のおかげで、そこには確かに何物かがあるという事を悟ったのだった。












<<< 前のページ HOME 次のページ >>>
プロフィール
HN:
冬山想南
性別:
非公開
P R
忍者ブログ [PR]

photo byAnghel. 
◎ Template by hanamaru.