10年前、車社会の山口で救急車に道を譲らない車はほとんどいませんでした。久しぶりに山口に戻ってまだ1年経たないのに道を譲らない車両たちを何度見たことか。想像力の欠如はもちろんそうなんでしょうけど、想像してご覧?という思考の仕方を自分より下の世代に教えなくなった大人の責任もあると
若い人や児童・学生の読解力が無残に低下しているという話と根が同じなのではないか。子供のころからまったく文学書(児童書)を読まないで育った人間が大量にいると思う。それは、想像力を育てる機会を持たなかったということだ。文字を読んで、その世界を想像することと、映像を見る経験とはまったく別である。後者には想像力は不要である。すべては「与えられている」のだから。理解できなかったものについては「他人(周囲)の意見」を口移しに言うだけである。
山本貴嗣さんがリツイート
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マスコミが発信するのは、その多様な価値観の中の大多数に向けてのものであり、テレビ内容がDQN向けであるということは、日本人の大多数がDQNであることを示している。
昔からそうだったのか、あるいはどこかで変わったのか。
私の考えでは、吉本興業がマスコミで力を得始めたのが転回点だった気がする。政治的には小泉時代あたりからか。丸山真男など、戦争体験者である昭和の知識人が言論世界から消え始めたのが、日本のDQN化の始まりだったと思う。
昔からそうだったのか、あるいはどこかで変わったのか。
私の考えでは、吉本興業がマスコミで力を得始めたのが転回点だった気がする。政治的には小泉時代あたりからか。丸山真男など、戦争体験者である昭和の知識人が言論世界から消え始めたのが、日本のDQN化の始まりだったと思う。
唐沢なをきさんがリツイート
某社での担当編集氏から「映画って泣くために観に行くものじゃないですか」と言われた時の衝撃は、なかなかに忘れがたいものが。わかっているつもりでも、「自分とは全く異なる価値観が存在する」というのは、日常生活の中では実感を得にくいものです。(-,,,-
まあ、馬鹿(子供知能)の書いた小説のように、主人公やそのライバルをIQ300とか書いただけで「頭のいい人物を描いた」と思い込む奴もいないではないが、基本的には登場人物の知能は作者の知能を超えることは無いと思っていいのではないか。ただし、その知能の高さを印象付ける描写ができる人間とできない人間がいると思う。森博嗣などは頭のいい人物(性格はアレだが)だと思うが、彼の作中人物はあまり頭が良さそうに見えない。コナン・ドイル自身はさほど頭がいい人物でもなかったような気がするが、作家としての能力(表現力・描写力)が高かったため、ホームズは永遠のキャラになった。(ホームズ物のトリックの大半は無理があると思う。)
作家自身の頭の良さが作品に反映されているな、と思うのは、漫画家だと「それ町」の作者、石黒正数である。実に緻密な思考力を、作品構築に使っているなあ、と思う。ただし、作品世界に手塚治虫のような「巨大感」が無いのは、逆にその「探偵脳」のためではないか。探偵脳というのは「哲学脳」とは違って、目の前の現実に対象が限定されるのである。
頭の良さには、「発想力」と、「論理構築力」あるいは「論理構築の徹底性」があると思う。(ポーが、優れた探偵には「詩人の能力」と「数学者の能力」が必要だ、と言っているのはそこである。発想は詩人的能力であり、論理は数学者的能力だ。両者を兼ねている人は少ない。)雑な論理だけで、後は感覚だけで乗り切るのが普通の人間である。また、科学者や技術者になるような人間は、案外発想力は無いと私は思っている。だから、理論(仮説)の検証や徹底よりも「偶然の結果」からの大発見が多い。つまり、その仮説(発想)は論理の徹底に堪え得ないレベルのものが大半なのだろう。
作家自身の頭の良さが作品に反映されているな、と思うのは、漫画家だと「それ町」の作者、石黒正数である。実に緻密な思考力を、作品構築に使っているなあ、と思う。ただし、作品世界に手塚治虫のような「巨大感」が無いのは、逆にその「探偵脳」のためではないか。探偵脳というのは「哲学脳」とは違って、目の前の現実に対象が限定されるのである。
頭の良さには、「発想力」と、「論理構築力」あるいは「論理構築の徹底性」があると思う。(ポーが、優れた探偵には「詩人の能力」と「数学者の能力」が必要だ、と言っているのはそこである。発想は詩人的能力であり、論理は数学者的能力だ。両者を兼ねている人は少ない。)雑な論理だけで、後は感覚だけで乗り切るのが普通の人間である。また、科学者や技術者になるような人間は、案外発想力は無いと私は思っている。だから、理論(仮説)の検証や徹底よりも「偶然の結果」からの大発見が多い。つまり、その仮説(発想)は論理の徹底に堪え得ないレベルのものが大半なのだろう。
唐沢なをきさんがリツイート
「作者より頭のいい人物は書けないか」論議がまた出ているが、僕の感想はこれのみ、「小説(漫画)を書(描)くという行為に、これ以上呪いの言葉をかけるな」。やれ必然性だ考証の確かさだリアリティだ、ああしろこうしろ、どんなふうに書けとか空想の翼、創作の手足を縛るような差し出口が多すぎる。
人間の目は、白黒の絵を見ると、黒いのが描かれた部分で、白い部分は余白だと見る先入観(あるいはメカニズム)があるのかもしれない。
この絵の場合は、馬の輪郭が一本線でないことと、輪郭線以外にも意味不明の黒線が多いのが、錯視の原因だろう。
この絵の場合は、馬の輪郭が一本線でないことと、輪郭線以外にも意味不明の黒線が多いのが、錯視の原因だろう。
小学校の図書館で借りて生まれて初めて読んだ宮澤賢治の童話集。先日古本屋で50年ぶりくらいに再開したんですが恐ろしいことに表紙に馬が描かれてることに初めて気がついた。子供の頃はなんか線がモジャモジャしてる抽象的な絵だとばかり思ってた。何回も繰り返して読んだのになー。
山本貴嗣が、あれほど長い間漫画家をやっているのにヒット作らしい作品がほとんど無い理由はこの辺にあるのではないか。つまり、自分以外の人間の心理に対する共感や同情や想像力が本質的に欠けているように思う。たとえば、「好きな人もいっしょにいる」というのは個人的な話であり、それによって一般人の多くが抱えている孤独や不満足感を切り捨てていいはずがない。
いや、切り捨ててもいいが、そうした人間が描く作品もまた他人からは切り捨てられるのではないか。
まあ、他人に受け入れられなくても、自分は自分の好きな作品を描く、というのなら、それは商業誌に載せる作品ではなく、いくら技術が高かろうが精魂込めようが、趣味の作品だろう。熟達度の高いヘンリー・ダーガーである。つまり、書いた作品をひとつも外に出さず、自分のアパートの中で膨大な紙(作品)に埋もれて死んでいくのと本質的には同類であるわけだ。
ちなみに、彼の作品はエロと暴力の描写が多い作品だとそのツィッターに載る絵を見ると想像できるが、エロと暴力は大衆的人気を得るもっとも確実なテーマであるにも関わらず、彼の名前が世間的にほとんど知られていない理由は、単純に「これは俺(わたし)には面白くない。肌が合わない」と感じる漫画ファンが多いからだと思う。
逆に、自分の趣味に徹底的にこだわり、売れても売れなくてもいいという姿勢を一生続けていくのも、生き方としては悪くはないだろう。まあ、(自己批判能力の欠如による)自己満足という無形の檻の中で生きる人生ではあるが、自分が幸福と思えば幸福なのである。本人が「閉じ込められた監獄から脱出する話もどうでもいい」と既に書いているのは、自分自身の「無形の檻」を無意識に感じて、自己防衛の予防線を張っているのかもしれない。
いや、切り捨ててもいいが、そうした人間が描く作品もまた他人からは切り捨てられるのではないか。
まあ、他人に受け入れられなくても、自分は自分の好きな作品を描く、というのなら、それは商業誌に載せる作品ではなく、いくら技術が高かろうが精魂込めようが、趣味の作品だろう。熟達度の高いヘンリー・ダーガーである。つまり、書いた作品をひとつも外に出さず、自分のアパートの中で膨大な紙(作品)に埋もれて死んでいくのと本質的には同類であるわけだ。
ちなみに、彼の作品はエロと暴力の描写が多い作品だとそのツィッターに載る絵を見ると想像できるが、エロと暴力は大衆的人気を得るもっとも確実なテーマであるにも関わらず、彼の名前が世間的にほとんど知られていない理由は、単純に「これは俺(わたし)には面白くない。肌が合わない」と感じる漫画ファンが多いからだと思う。
逆に、自分の趣味に徹底的にこだわり、売れても売れなくてもいいという姿勢を一生続けていくのも、生き方としては悪くはないだろう。まあ、(自己批判能力の欠如による)自己満足という無形の檻の中で生きる人生ではあるが、自分が幸福と思えば幸福なのである。本人が「閉じ込められた監獄から脱出する話もどうでもいい」と既に書いているのは、自分自身の「無形の檻」を無意識に感じて、自己防衛の予防線を張っているのかもしれない。
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時空を超えて成人が学生になる設定、あの頃はよかったと思う人にはいいかもだけど、金も時間も自由にならないし好きな人もいっしょにいる今とくらべて何一ついいことないので、なぜそんな夢のない設定から始めないといけないのかと思って興味がわかない。いいのは体力と生活の心配がないくらいか。
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冬山想南
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