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まあ、政権の安定だけを論じるなら、王政でかつ独裁政権の安定性が一番高いに決まっている。古代の歴史は、いかにして自分の王権を守るかという話がほとんどだ。そのためには自分の親だろうが子供だろうが殺したわけで、べつに親族経営(政治も経営も同じである。)が優れているという話にはなるはずがない。
こうした話は、だいたい片手落ちなものだ。
まあ、下の人間が、「余計な希望(野心)を持たない」ことが、経営者にはメリットは大きいだろう。




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あと、もう一つ日産の話で面白かったのが「日産は創業者が自分の子供を関わらせず、世襲にしなかった。しかし誰でも社長になれるため、権力闘争が激化してしまった」という話で、創業者一族が経営しているトヨタは比較的安定しているらしい。王政の利点って感じだ。

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あまり有効な対策には思えない。少しは「症状」を軽減させるかな、という程度の対症療法でしかない、という感じ。
本屋が急激に消滅している理由は、「家に本を置くスペースがない」「スマホの通信費で手一杯で本を買うカネがない」「本を読む能力も読書への関心もない人が激増している」ということだろう。さらに、「万引き問題」も大きいはずだ。つまり、基本的なモラルの消滅。
とすれば、対策はそこにしかないはずである。つまり、下の対策は、今でも本好きは多い、という前提での対症療法でしかない。


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返本制度が日本に比べるとかなり脆弱なアメリカで生き延びた書店のとった道としては
1) 玩具、CDやDVD/BDなど書籍以外を取り扱う
2) 喫茶店や様々な集会、サイン会を受け入れリピーターを増やす
3) 同人誌や古本も常備し、極めてマニアックなオンリーワンを狙う
などを採用したお店が多い気がします。

若い人や児童・学生の読解力が無残に低下しているという話と根が同じなのではないか。子供のころからまったく文学書(児童書)を読まないで育った人間が大量にいると思う。それは、想像力を育てる機会を持たなかったということだ。文字を読んで、その世界を想像することと、映像を見る経験とはまったく別である。後者には想像力は不要である。すべては「与えられている」のだから。理解できなかったものについては「他人(周囲)の意見」を口移しに言うだけである。




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10年前、車社会の山口で救急車に道を譲らない車はほとんどいませんでした。久しぶりに山口に戻ってまだ1年経たないのに道を譲らない車両たちを何度見たことか。想像力の欠如はもちろんそうなんでしょうけど、想像してご覧?という思考の仕方を自分より下の世代に教えなくなった大人の責任もあると

マスコミが発信するのは、その多様な価値観の中の大多数に向けてのものであり、テレビ内容がDQN向けであるということは、日本人の大多数がDQNであることを示している。
昔からそうだったのか、あるいはどこかで変わったのか。
私の考えでは、吉本興業がマスコミで力を得始めたのが転回点だった気がする。政治的には小泉時代あたりからか。丸山真男など、戦争体験者である昭和の知識人が言論世界から消え始めたのが、日本のDQN化の始まりだったと思う。



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某社での担当編集氏から「映画って泣くために観に行くものじゃないですか」と言われた時の衝撃は、なかなかに忘れがたいものが。わかっているつもりでも、「自分とは全く異なる価値観が存在する」というのは、日常生活の中では実感を得にくいものです。(-,,,-







まあ、馬鹿(子供知能)の書いた小説のように、主人公やそのライバルをIQ300とか書いただけで「頭のいい人物を描いた」と思い込む奴もいないではないが、基本的には登場人物の知能は作者の知能を超えることは無いと思っていいのではないか。ただし、その知能の高さを印象付ける描写ができる人間とできない人間がいると思う。森博嗣などは頭のいい人物(性格はアレだが)だと思うが、彼の作中人物はあまり頭が良さそうに見えない。コナン・ドイル自身はさほど頭がいい人物でもなかったような気がするが、作家としての能力(表現力・描写力)が高かったため、ホームズは永遠のキャラになった。(ホームズ物のトリックの大半は無理があると思う。)
作家自身の頭の良さが作品に反映されているな、と思うのは、漫画家だと「それ町」の作者、石黒正数である。実に緻密な思考力を、作品構築に使っているなあ、と思う。ただし、作品世界に手塚治虫のような「巨大感」が無いのは、逆にその「探偵脳」のためではないか。探偵脳というのは「哲学脳」とは違って、目の前の現実に対象が限定されるのである。
頭の良さには、「発想力」と、「論理構築力」あるいは「論理構築の徹底性」があると思う。(ポーが、優れた探偵には「詩人の能力」と「数学者の能力」が必要だ、と言っているのはそこである。発想は詩人的能力であり、論理は数学者的能力だ。両者を兼ねている人は少ない。)雑な論理だけで、後は感覚だけで乗り切るのが普通の人間である。また、科学者や技術者になるような人間は、案外発想力は無いと私は思っている。だから、理論(仮説)の検証や徹底よりも「偶然の結果」からの大発見が多い。つまり、その仮説(発想)は論理の徹底に堪え得ないレベルのものが大半なのだろう。




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「作者より頭のいい人物は書けないか」論議がまた出ているが、僕の感想はこれのみ、「小説(漫画)を書(描)くという行為に、これ以上呪いの言葉をかけるな」。やれ必然性だ考証の確かさだリアリティだ、ああしろこうしろ、どんなふうに書けとか空想の翼、創作の手足を縛るような差し出口が多すぎる。










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