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アガサ・クリスティーの「象は忘れない」を読み終えたのだが、彼女の作品の明るさ、気持ちよさは何が原因なのだろうか。
その反対が松本清張で、彼の作品の暗さ、読んだ後の不快感は何が原因なのだろうか。
どちらも同じようにほとんどが殺人を扱っているのに、印象が正反対だ。私は文学者としての松本清張を非常に高く評価していて、「日本のバルザックだ」と思っているのだが、彼の作品にはユーモアのかけらも無い。むしろユーモアがまったく似合わないと言うべきか。あの暗さ、陰鬱さこそが清張の味であり個性なのだろう。
運命や社会への怒りが彼の創作の原動力なのではないかと思うし、そのあたりはプロレタリア作家に似ている。プロレタリア作家もほとんどユーモアの要素が無いはずだ。
ただし、ユーモアは無いが、清張にも抒情性がある。抒情性とユーモアは文学の二大要素だろう。で、その両者とも無い粗製乱造大衆小説は無数にある。
鴎外にも漱石にも抒情性もユーモアもある。ただし、森鴎外のユーモアは稀だが、作者の精神が晴朗なので読んでいて不快感がゼロである。
一見ユーモアに見えるもので、「冷笑」や「嘲笑」というものがあって、芥川龍之介やチェーホフの「笑い」はそれである。精神が暗いのだ。晴朗な笑いではない。
「象は忘れない」の中に出て来る女流推理小説作家は明らかに作者自身の戯画だろう。そのように、自分自身も含めた人間の弱点やこっけいさをメタ視点から眺めて、作者自身が気持ちよく笑うのがユーモアだと思う。笑っていても笑っている当人が心の中で苦虫を嚙み潰しているのが冷笑や嘲笑だ。その最大の作家がスイフトだろう。怒りを含んだ笑いなのである。
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「アーサー王物語」を新しい視点から書いてみようかと思っているが、一番面白いのはグィネヴィアだろう。しかし、一番好きになれないのもこの女だ。まさに妖婦である。モーガン・ル・フェイなどの数倍妖婦だろう。それが「白い妖精」という名前を裏に持っているのが面白い。

(以下引用)

名前[編集]

Guinevereウェールズ語形であるグエンフイヴァルGwenhwyfarケルト祖語で「白い妖精」を意味する "Uindā Seibrā"と訳すことが可能であるため、「グィネヴィア」という名前は形容語句であるかもしれない。一方、ウェールズ文学にGwenhwyfarの妹の1人として登場するグエンフイヴァハGwenhwy-fach(小さきGwenhwy) (en:Gwenhwyfach) とキャラクター的に対比をなすグエンフイマウルGwenhwy-mawr(大いなるGwenhwy)から派生したという説もあるが、レイチェル・ブロムウィッチ (en:Rachel Bromwich) は、『ウェールズのトライアド』に関する学術書の中で、その語源の説明に否定的な見解を取っている。また、ジェフリー・オヴ・モンマスラテン語のグアンフマラGuanhumaraに由来すると言っている。

人物像[編集]

ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ『アーサー王の墓 - ランストロットとグィネヴィア最後の密会』

脚色も混じっているが、グィネヴィアはレオデグランス王 (en:Leodegrance) の娘で、アーサー王がまだ後ろ盾が必要だった若い頃に婚約した。後にランスロットと出会った時、グィネヴィアは彼に一目惚れしてしまった。2人はすぐに不倫関係になったが、夫のアーサーは長い間そのことに気付かなかった。気付いたのは祝宴の席に、ランスロットとグィネヴィアがともにいなかった時で、この不倫を明るみに出したのは、ロット王の2人の息子、アグラヴェインモルドレッドだった。ランスロットは逃亡し、アーサー王は気持ちとは裏腹に、グィネヴィアを火あぶりの刑に処すと宣言しなければならなかった。処刑のことを知ったランスロットと家族は何とかそれを止めさせようとした。アーサー王は多くの騎士たちを処刑台の守備にあたらせることにしたが、ガウェインはその任務を辞退した。ランスロットは処刑台に辿り着き、グィネヴィアを救出したが、その時の戦いで、ガウェインの兄弟ガヘリスガレスが死んでしまった。復讐に燃えるガウェインは、アーサー王にランスロットと戦うよう訴えた。アーサー王はランスロットとの決戦のため、フランスに行くことになり、(ランスロットから再びアーサー王の元に返された)グィネヴィアをモルドレッドに預けることにしたが、モルドレッドはグィネヴィアと結婚し、王座を簒奪しようと企んでいた。モルドレッドの求婚をグィネヴィアが承諾した話にはさまざまなヴァージョンがある。中には承諾せず、ロンドン塔に身を隠し、それから修道院に入ったという話もある。モルドレッドの裏切りを知ったアーサー王は急いでブリテンに引き返し、カムランの戦いでモルドレッドを倒した。しかし、その戦いでアーサー王も致命傷を負い、伝説の島アヴァロンに運ばれた。グィネヴィアは最後にもう一度ランスロットと会って、それから修道院に戻り、残りの人生をそこで送った。

ほとんどの物語でグィネヴィアには子供がいないが、例外として『ペルスヴァル』 (en:Perlesvaus) と『Alliterative Morte Arthure(頭韻詩アーサー王の死)』 (en:Alliterative Morte Arthure) の2つがある。『ペルスヴァル』には、彼女の子供としてロホルト(Loholt)という人物が登場する(ただし、マロリーリオノレスの産んだ子ボーレ(Borre)と同一人物だと考えられるとしており、そうなるとロホルトはグィネヴィアの子とは言えなくなってしまう)。ロホルトは他の物語でも、アーサー王の私生児として登場している。一方、『アーサー王の死の頭韻詩』では、グィネヴィアは自ら望んでモルドレッドの配偶者となり、彼との間に2人の子供をもうけたことが、それとなくほのめかされている。『ウェールズのトライアド』にも、アーサー王の子供たちについての言及があるが、母親が誰かは明らかにされていない。

他の家族関係もまたはっきりしない。たとえば、ランスロ=聖杯文学群やドイツ語のロマンス『Diu Crône(王冠)』 (en:Diu Crône) では、グィネヴィアの異父(異母)姉妹と兄弟の2人がかたき役を演じているが、この2人は他の物語にはいっさい登場しない。ウェールズの伝承(例えば『Mabinogion(マビノギオン)』)では、グウェンフイヴァハ(Gwenhyvach)という妹がいたと伝えられ、グィネヴィアたちと反目していたと物語られている。成立が遅い作品の殆どでは、グィネヴィアの父親はレオデグランスとされ、母親については触れないのが常であるが、母親は死んだと書かれたものが、いくつか見られる。その例として、中英語で書かれたロマンス『アーサーのターン・ワザリング冒険』では、イングルウッドの森 (en:Inglewood Forest) で、グィネヴィアの母親の幽霊が娘とガウェインの前に現れる。またある作品では、高名な従兄弟の名前がたった1カ所だけ出てくる。

グィネヴィアは、あらゆる面で弱く、日和見主義的な裏切り者である致命的な欠点を持つが、気高く高潔な貴婦人として描かれてきた。しかし、クレティアン・ド・トロワの『獅子の騎士イヴァン』 (en:Yvain, the Knight of the Lion) の中では、聡明で友情厚く育ちも良い女性として賛美されている。一方、マリー・ド・フランスの『ランヴァル』 (en:Lanval) (ならびにThomas Chestre (en:Thomas Chestre) によるその中英語版『Sir Launfal(ローンファル卿)』 (en:Sir Launfal) )で描かれるグィネヴィアは、執念深くふしだらな女で、アーサーや育ちの良い騎士たちから嫌われている。早い時期の作品ほど、グィネヴィアを不吉な女性として描く傾向が強く、後の作者たちはキャラクターをより掘り下げるため、グィネヴィアの善も悪も描いている。

グィネヴィアの誘拐[編集]

モデナ大聖堂のレリーフ

グィネヴィアについて言及した最初のものは(おそらく11世紀頃作られた)『クルフッフとオルウェン』 (en:Culhwch and Olwen) というウェールズの話で、グィネヴィアはアーサー王の妻として登場はするものの、それ以上のことは何も触れられていない。1136年以前に書かれたカラドック・オヴ・ランカルヴァンの『ギルダス伝』では、グィネヴィアがいかにして「夏の国 Aestiva Regio」(おそらくサマセットのことと思われる)の王メルワス (en:Maleagant) に誘拐されたか、さらに、グラストンベリー (英語Glastonbury) でどのような囚われの生活を送ったかを描いている。この後、物語は、1年かけてアーサー王はグィネヴィアを捜し出したこと、メルワスの要塞を攻撃したこと、聖ギルダスの調停で平和的解決を迎え、夫婦が再会できたことを語っている。これが「グィネヴィアの誘拐」を描いた最初のものであり、以降、この主題は初期のアーサー王伝説で最も一般的なエピソードとなった。イタリアモデナ大聖堂のアーキボールト(飾り迫縁)のレリーフはこの話に関係したもののようで、その制作時期はカラドックより前の時代と思われる。そこには、Artus de Bretania(ブリタニアのアルテュス)とIsdernusが、MardocがWinlogeeを閉じこめた塔に近づく絵と、Carrado(おそらくカラドス)がGalvagin(ガウェイン)と戦っている絵、GalvaginやChe(ケイ)たち騎士が近づいている絵がある。Isdernusとは『クルフッフとオルウェン』にその名前が出てくるケルトの英雄イデール(Yder)の化身で、ベルール は『トリスタン』の中で、忘れ去られそうになっていた伝説の中で、Isdernusはグィネヴィアの恋人だったと言及し、後の時代の『Roman de Yder(イデール物語)』では、その場面が再現されている。ウェールズの詩人ダヴィッズ・アプ・グィリム (en:Dafydd ap Gwilym) も、2つの詩の中で、グィネヴィアの誘拐のことをほのめかしている。さらに中世研究家ロジャー・シャーマン・ルーミス (en:Roger Sherman Loomis) は、この話は「彼女はケルト版ペルセポネーの役割を受け継いでいた」ことを表していると言っている。

ジェフリー・オヴ・モンマスの語る「グィネヴィアの誘拐」はこうである。グィネヴィアはローマ帝国の貴族の血筋を引いていて、誘拐したのは、コーンウォール公カドール (en:Cador) になっている。アーサーがグィネヴィアを  のモルドレッドに預けた目的も、(架空の)ローマ帝国の皇帝代官ルキウス・ティベリウスと戦うべくヨーロッパに渡るためだった、ということになっている。以後、アーサーの留守中に、モルドレッドはグィネヴィアを誘惑し、結婚し、王を宣言。アーサーはブリテンに帰国、モルドレッドとの宿命のカムランの戦い、と続く。

クレティアン・ド・トロワが『荷車の騎士ランスロ』の中で語る、「グィネヴィアの誘拐」の首謀者はマリアガンス(Maleagant。おそらくメルワスからの派生語だと思われる)で、誘拐の場面のほとんどはカラドックの焼き直しである。しかし、グィネヴィアを救出するのはアーサーではなくランスロットに変わっている。2人の不倫を扱ったのは、この作品(詩)が最初で、クレティアン・ド・トロワがそれを創造したのは、グィネヴィアに夫以外の騎士の愛(貴婦人崇拝)を与えたかったからだと思われる。モルドレッドでは救出劇以上の出番があるのでその役は務まらなかった。イデールは完全に忘れ去られてしまった。

ドイツの『Diu Crône』での誘拐者は、グィネヴィアの兄弟のGotegrimである。正当な夫と主張するGasozeinとの結婚を拒んだことで妹を殺害しようとした。ウルリッヒ・フォン・ツァツィクホーフェン (en:Ulrich von Zatzikhoven) の『ランツェレット』 (en:Lanzelet) では、Tangled Woodの王Valerinが、学者たちがグィネヴィアは後々ブリテンの繁栄と支配を約束していると気付いたことに起因する権力闘争の結果、グィネヴィアと結婚する権利を主張し、彼女を誘拐して、自分の城に連れて行く。アーサーたちはいったんグィネヴィアを救出するが、Valerinは再びグィネヴィアを誘拐し、たくさんの蛇に取り囲まれた別の城で彼女を魔法で眠らせる。その城からグィネヴィアを救い出すことが出来るのは、凄腕の魔法使いMalducだけだった。求婚者は違えど、これらと類似の物語のすべては、「ハーデースによるペルセポネーの誘拐」以降何度も物語に現れるモチーフの1つと見られ、たとえば、(アイルランド神話の)冥界の王メディール (en:Midir) に地上から誘拐され、過去を失った、冥界の花嫁エーディン (英語Étaín) に、グィネヴィアはよく似ている。(ちなみに、この寓意は、不倫の罪で火あぶりにされかかったグィネヴィアを救出するランスロットの場面にもあてはまる)。

最近人から貰った英文短編集の中にシャーリー・ジャクスンの「くじ」があったのだが、私はこの作品を2度ほど読もうとして2度とも挫折している。その原因は不明である。最初から落ちを知っていたのかもしれないが、この英語の本を眺めた時には「くじ」の粗筋や落ちは思い浮かばなかった。ホラー小説は好きではないが特に毛嫌いしているわけではない。子供のころは好きなほうだった。
下の文章はネットで拾った「作品分析」だが、まあ、題材の作品を読んでいないので何とも評価はできない。何となく、英文学の大学生の論文みたいである。知的な気どりを感じるが、それは当たり前だろう。自分の頭に自負心があるから論文など書くのである。「石打ち」による処刑は旧約と新約の聖書をイメージさせるため、というのが正解だろう。(だから最初に大きな反応と批判を生んだわけだ。)「罪の無き者まず石を投げよ」である。そしてこの場合は「罪人」に処刑される根拠すら無いという不条理性がカフカ的な悪夢感を生んでいるのではないか。ユダヤ・キリスト教社会で「処刑」された人々は本当に罪人だったのか、と批判されているような気持になった人は多いだろう。

(以下引用)

Akosmismus

 

Me, poor man, my library was dukedom large enough.

シャーリイ・ジャクスン「くじ」について

 完璧な短編小説とはなにか? そう問われたらわたしは悩んでからシャーリイ・ジャクスン「くじ」*1を挙げると思う。

 

0.
 Shirley Jackson "The Lottery" は 1948 年 6 月 26 日に The New Yorker 誌上で発表された短編である*2。ジャクスンはすでに短編をいくつか発表していたし、1944 年には高名なアンソロジー(The Best American Short Stories)に作品が収録されている。とはいえ、彼女の名が文学史上に現れたのは、なんといってもこの「くじ」によって、である。

 「くじ」が発表されるや否や、ニューヨーカー誌編集部にはそれまで受け取ったことのないほど大量の投書が舞い込んだ。曰く、「野蛮で、ナンセンスだ」「こんな風習が実際に行われているのか」「これ以上雑誌を購読したくない」*3

 ストラヴィンスキーの『春の祭典』も初演は歴史的な大失敗だったといわれている。「くじ」も同じだ。ジャクスンが受け取った手紙は 300 通を超えるが、そのうち好意的なものはわずか 13 通(それも、友人からのものがほとんど)だったという。しかし、なぜそこまで批判を集めたのだろうか? ただ批判されるだけでなく、誰もがこぞって批判したくなる、受け入れたくないと思わせるなにかがあったのだろうか。

 登場と同時に古典であった作品はいくつかあるが、「くじ」もまさにその類の作品である。それら優れた作品は善良な趣味人の感性を逆なでする真に新しいなにかと、芸術上の緊密な構成のどちらをも持ち合わせている。そのため、人々はそれを無視できないが、その場ですぐさま受け入れることもできない。この摩擦は激烈な批判となって噴出する。

 さて、本稿はまず「くじ」が持つ「芸術上の緊密な構成」を検討する。のちに、「感性を逆なで」した「なにか」とはなにであったか、考察する。

 

1.
 「くじ」のストーリーは単純である。村人が広場に集まり、くじを引き、当選したテシー・ハッチンスンは村人全員から石で打たれることになる。以上だ。

 ところで、われわれがくじと聞いて想像するものはおおむね肯定的なイメージで捉えられるものである。くじに当選*4すればプレゼントだったり、賞金だったり、王様になる権利だったり、競争入札において同額を示した入札者が複数いた場合には落札する権利が与えられる*5。というわけで、短編小説「くじ」は

からりと晴れて、暖かく明るい陽射しも澄んだ、夏らしい日となった。花は一面に咲き乱れ、草は青々と繁っている。

 情景から始まる。なにか楽しいことが起こりそうなイメージ。

 しかし、このくじがもたらす殺人という結末と、この牧歌的な情景はミスマッチだ。では、これは単なるミスリード、あるいは、結末の衝撃を増すためにあえてそうしたのだろうか、というと、もちろんそうではない。

 「くじ」を一度読んだ人間は、結末の衝撃に苛立ちを覚える。そして、二度目に読むと、その結末が周到に貼られた伏線の上に成り立っていたことを知る。まずはこの「二度読み」の過程を逐語的なスタイルで体験してみよう。「くじ」の結末が殺人であり、その犠牲者がハッチンスン夫人であることは十分に伏線で暗示されていることを確認する。

ボビー・マーティンのポケットは、早くも石でいっぱいで

 集まってきた子どもたちは石を集める。いわゆるチェーホフの銃というやつで、最終的に殺害に使われる石は、冒頭ですでに登場している。

ときおり誰かが冗談を口にしても、大笑いする者はおらず、せいぜいが笑みを浮かべて見せるぐらいだ。

 次に男たちが集まってくる。子どもたちとは違い、大人はこのあとに起こることとその帰結を知っているので、ジョークに大笑いすることはない。

ハッチンスン夫人が、広場に通じる道をバタバタと駆けてきた。

 犠牲者となるハッチンスン夫人はこの行事に遅れてやってくる。

 「このあたしに流しに皿を置きっぱなしにさせとくつもり、ジョー

  ハッチンスン夫人は、村の有力者であるサマーズ氏にジョーク交じりとはいえ、反論するような女である。

「北の方の村じゃ、くじを止めにしようとかいう話が持ち上がってるんだそうだ」

 そして、くじを引く過程で、北の方の村ではくじをやめることが検討されていると噂される。この村の人間たちも、くじをやめたいと思っていなくはないらしい。

「ああ、早く終わってほしいよ」
「走って父ちゃんに知らせに行くんだからね。いいね」
「父ちゃんに言ってきな」

 これは家長が怪我のため、妻が代わりにくじを引いたダンバー夫人のセリフ。「当たった」ことではなく、「外れた」ことを真っ先に父ちゃんに伝えたくなる、ということは?

 このように、「くじ」に当選することが望ましい結末をもたらすものではない、ということは、この短さの小説でありながら、堂々と示されていた。そして、その犠牲者がハッチンスン夫人であることも。彼女は村の協調を乱すような存在として最初から最後まで書かれていた。

 

2.
 さて、二度目の読みでわれわれは「くじ」の結末がアンフェアなものではない、作劇として卑怯な唐突さで読者を驚かすただのびっくり箱ではないことを確認した。

 しかし、まだ安心することはできない。ここまで周到に書かれた殺人は、いかなる意味を持つのか? 「くじ」とはいかなる性格の儀式なのか? それを探るために三度目の読みに入ろう。

 三度目の読みでは「くじ」の性格が以下の 3 点にまとめられることが明らかになるであろう。

(1) 村人たちにとって生活の一部と化していること
(2) 宗教的な起源をもつが、現在は宗教的な儀式ではないこと
(3) 村の利益に通じるものであること
 -(3a) 村人の結束を強めるものであること
 -(3b) 人口増を目的としていること

 

 (1)について。村人たちがこの儀式をどのような態度でとらえているか考えてみよう。

 「くじ引き」は昼前に開始され、お昼ご飯までには終わる。つまり、かれら村人は石で犠牲者を打ち殺した後、ほのぼのとした午餐の席に着く。さらに、

「さっさと取りかかって終わらせてしまうとしようじゃないか。そうすれば仕事にも戻れる」

 

村人たちはもう何度も同じことをやってきていたので、指示など話半分にしか聞いていなかった。

 

「くじとくじの間なんてあっという間のような気がするよ」

といった描写からは、村人がこの残虐なイベントに慣れすぎている様子が見て取れる。もちろん緊張感もあるのだが、終わってしまえばそれまでの定例行事としてみなされていると言っていいだろう。

 さて、なぜ殺人という結果を伴うようなくじ引きは村人に平然と受け入れられているのだろうか。その理由を探るために(2) について検討する。

 くじ引きは村の広場で行われる。村の広場には郵便局と銀行がある。ところで、これがアメリカの伝統的な村であれば、広場には当然教会があるはずであるが、それは描写されない。あるいは、教会などもともと存在しないのか。なんにせよ、この物語に教会が登場しないことが重要である。ところが、この物語世界に宗教が存在しないわけではない。くじ引きの儀式を描写する際に用いられる単語は chant 等の宗教的な語彙を含んでいる。また、くじを最初にひく男性の名は "Adams" である。そもそも、くじ引きと旧約聖書的な世界観が通底することはキリスト教徒にとっては常識だろうと思われる*6。いや、日本人にとってすら、くじ引きは神の意思の表れとみなされている*7

 さて、ではなぜジャクスンは「くじ」の儀式からキリスト教的な匂いを脱臭したのだろうか。現実のキリスト教会への配慮だろうか。特定の宗教への依存を否定することで、普遍性を求めたのだろうか。これらの解釈は一面の真理をとらえていようが、やはり重要な点を見落としている。先述の通り、「くじ」は「宗教的な起源をもつ」が、「今や世俗的なイベントとなっている」のである。起源と現状のずれの意味を考えなければならない。

 ところで、宗教的な儀式は理性的な吟味を必要としない。理性的な吟味が不可能なわけではないが、信仰はそれを必ずしも求めない。ところが、世俗的な儀式は、しかも、それが不利益――死――をもたらすものであれば、参加者は必ず自問自答する。なぜこのような儀式に参加しなければならないのか、と。

 この問いは意識的なものではないかもしれない。だが、ここでは、世俗的な儀式は理性的な基礎づけが可能でない限り存続しない、としたい*8

 「くじ引き」のような残虐な儀式は正統性と正当性の両方がなければ存続しえない。正統性についてはそれが持つ宗教的な背景が保証している。ところで正当性は? ジャクスンがここで「くじ引き」を「かつては宗教的であったが、いまや無宗教的になったもの」として描いた理由は、村人たちがこの儀式をある種の正当性をもって受け入れていることを示唆している。

 さて、(3) について。「くじ引き」はなんのために行われるのか? その答えはすでに小説内であからさまに示されている。それは「豊作」のためだ。

 (3a) くじの廃止が話題に上がったとき、ワーナーじいさんが持ち出す反論は、くじをやめると、「洞穴暮らし」に戻ってしまい、「はこべとどんぐりのシチューを食わにゃならん」から、というものだった。また、くじを引くことで、『六月にくじ引きゃ、とうもろこしはじき実る』らしい。

 ここでは狩猟採集生活と定住農耕生活が対置されている。定住農耕生活が求めるのはひとえに村人の団結である。農業は狩猟採集と違い、家族的な規模の小事業ではなく、一族が一丸となって行う大事業だ。

 くじ引きはこのように定住農耕生活に必要とされる団結を強化するものとして描かれている。それはくじ引きの結果としての殺人に用いられるのが「石」であることを思い起こせば簡単に理由が説明できる。

 くじ引きの犠牲者は別にギロチンで処刑されてもかまわないわけだが、なぜあえて村人全員から石で打たれて死ななければならないのだろうか。

 囲んで石を投げつけることは致命傷を与えたのが誰であるかを隠蔽するからだ。あなたの石はあの哀れな犠牲者を殺さなかったかもしれない。だが、あなたは石を投げたのだ。罪悪感と連帯感によって、村人たちはこの儀式に釘づけにされる。

 軍紀に違反したものを処罰するために、ガントレットと呼ばれる方法を取るところがある。二列に並んだ兵士の間を違反した兵は歩かされる。その間、両脇に並ぶ兵士たちはその違反者を棒で殴りつける。歩きとおしたことで釈放とする場合もあれば、死ぬまで往復させる場合もある。なんにせよ、これが軍隊の結束を高め、綱紀を粛正するために一番効率が良いのだそうである。くじ引きも同じメカニズムである。

 また、ハッチンソンが犠牲になっていることも「くじ」が団結のための儀式であることを物語の構造上から支持する。前述の通り、ハッチンソンは周到な伏線で描写されるように、村の秩序を乱す存在である。他にも、作中の語りは、夫が怪我のため妻がくじを引くことになったダンバー家や、(おそらく)父親が早くに亡くなったため、息子が一族を代表して母親の分のくじも引くことになったワトソンの息子、ジャックなどに視線をそそぐ。「くじ」はもちろん運任せだが、物語的には(そして、村人たちも気づいているのかもしれないが)、「壮健な男性によって強くまとまった一族」という枠から外れたアウトサイダーを選び出す装置として描かれている。

 (3b) また、くじ引きにはもう一つ決定的に重要な役割がある。それは「人口を増やす」ことである。
 うかつに読むとくじを「口減らし」の一形態だと捉えてしまいがちであるが、それではこの小説の趣旨を大きく見誤ってしまう。くじは死の儀式ではない。生と死の儀式なのである。くじ引きの日の天気を描写した箇所を再度引用しよう。

からりと晴れて、暖かく明るい陽射しも澄んだ、夏らしい日となった。花は一面に咲き乱れ、草は青々と繁っている。 

この描写はミスやミスリードではない。また、儀式を執り行う人物の名が生命力を象徴する Summers であり、村の長老格の老人の名前が死を意味する Graves であり、この二人が儀式の中心にいることも、もちろん偶然ではない。

 くじの持つ二面性の意味についてはのちに回すとして、それが「人口増」のための仕掛けであることを先に証明しよう。

 まず、端的に「人口も三百人を越し、さらに成長を続けるなかにあっては……」と書かれている。そう、あくまでもこの村は繁栄を続けているのである。明言はされないとはいえ、それが「くじ」の恩恵であることは明らかである。なぜか?

 ここで「くじ」のルールを確認しよう。

・一族の長がまず一族を代表してくじを引く
・当選した一族に含まれる家族の代表がさらにくじを引く*9
・当選した家族の構成員がくじを引く
・当選したものが石で打たれる

 以上である。お分かりだろうか。そう、人口 300 人の村において、くじの当選確率は 1/300 ではない。より大きな家族に、そして、より大きな一族に所属すればするほど、最終的な当選確率は低下する。逆に、独身者や、一族から外れたものは、当選確率が跳ね上がる。

 このシステムが村人たちに婚姻と出産をうながす強烈なプレッシャーとなるであろうことは想像に難くない。

 (以下略)

創作技法論として面白いコメントがいくつかある。

(以下引用)

 
dsfzvbzd

1: 名無しさん ID:otakumix
飽きないんか

2: 名無しさん ID:otakumix
実際展開同じやし

3: 名無しさん ID:otakumix
みんなほぼ同じやで
設定が若干違うだけや

4: 名無しさん ID:otakumix
弱いか強いかしかないよな

5: 名無しさん ID:otakumix
でもこのなろうアニメは他のなろうとは違うから

6: 名無しさん ID:otakumix
なんか無駄に変な展開してくるよりは王道で少し差分入ってるくらいのが楽しめる

7: 名無しさん ID:otakumix
人間歳喰うと変化を嫌うようになるらしいわ
せやから中年チーがハマるんやで

33: 名無しさん ID:otakumix
>>7
編集者の知り合いが言うには面白いと思ったものが終わると似たようなものをさがして欲求を埋めようとするすらしいで

35: 名無しさん ID:otakumix
>>7
いうて10代20代も大好きやん

42: 名無しさん ID:otakumix
>>7
あれこそ変化の極みやと思うで
老害は昔の作品の方を好むもんやないか

11: 名無しさん ID:otakumix
今期のなろうは割と面白いの多い

12: 名無しさん ID:otakumix
大喜利やってるだけやんて思う
あとは絵師ガチャよな

13: 名無しさん ID:otakumix
吉本新喜劇から笑いを取ったバージョンや
大体流れ同じやけどちょっとだけ変えてくる感じ

14: 名無しさん ID:otakumix
なろうアニメはなんか安心して見られる

15: 名無しさん ID:otakumix
もはや水戸黄門観る感じよ

16: 名無しさん ID:otakumix
オススメはなに?

17: 名無しさん ID:otakumix
>>16
無職転生
このすば
リゼロ
ログホラ(2期まで)
この4つ

19: 名無しさん ID:otakumix
スライム300年はなろう系ときらら系のハイブリッドって感じで面白い

21: 名無しさん ID:otakumix
王道展開って作ってる側の精神的なレベルがもろに出るから残酷やで

どういう風に生きてきてどういう人と関わって何を体験して何を考えたのかそういう全人的なものが全部出る

22: 名無しさん ID:otakumix
なろう自体は異世界に限定したとしても色々あるのに人気が出てアニメ化漫画化するのは同じパターンのものが多い

26: 名無しさん ID:otakumix
日常アニメと一緒やろ
変化なくて当たり障りない内容を垂れ流して話題にしたいから同じの量産しても需要がある

29: 名無しさん ID:otakumix
スライム300だけは認めてる

43: 名無しさん ID:otakumix
無職転生はストーリーは置いといても作画というかあの雰囲気が好きやから観てられるわ
続きどんどんアニメ化してほしい

Comment-コメント-

    1. 1 名無しみくす 2022年04月30日 02:12
      頭使わないで安心して見られるじゃん
      縦の勇者は漫画版をちょっと見たけど主人公可哀想だったから見たくない
    1. 2 ごりりんまんEX 極 TYPE 1.3.0.J 2022年04月30日 02:41
      同じに見えるのか(・_・;)
      端から見たらそれちょっと悲しくなるな(´ε` )
    1. 3 名無しみくす 2022年04月30日 03:04
      同じに見えるというか前提がほとんど似たようなのばかりでつまらん
      ハズレ能力かと思ったら実は当たりでしたとか、弱いと見せかけて実は最強でしたとか
      芸人のリズムネタみたく流行った物を真似てとりあえず1発当ててやろう感が見え透いたやつばかりでゲンナリする

      少しは他とは違う発想力や構成力で勝負する作品が出てきてほしいわ
    1. 4 名無しみくす 2022年04月30日 03:22
      同じジャンルで興味なかったら全部同じに見えるだろ
      野球興味ない奴にどこの球団のどこの選手がどうこう語るのと一緒みんな玉転がしして遊んでるようにしか見えねーよ
  1. 5 名無しみくす 2022年04月30日 03:25
    ミスチルの知らない曲は全部一緒に聞こえるし
    バンプもRADみたいなバンプのパクりバンドも興味ないから区別付かんし
    興味ない人からしたら同じジャンルの物は全て一緒だろ

まあ、書く方、作る方は楽だろうが、読者や視聴者は白け切っていると思う。
大昔の「スレイヤーズ」は名作アニメだったが、戦闘場面はほとんど退屈だった。それでも、魔法の名前とか魔法効果の説明とかは今よりきちんとしていたと思う。
私がもし魔法アニメを作るなら、「魔法は物理効果は無く、心理効果のみ。しかし、常人にはそれと本当の物理効果の区別ができない」とする。魔法を受けた者の心理描写とその現実の外的描写の連続で描けばいいが、あまり理に落ちすぎて面白くないだろうな。
まあ、下のコメントにあるように、魔法的なものはサブに添えるくらいがいいと思う。


(以下引用)


11: 名無しの読者さん 2020/10/23(金) 20:30:35.933 ID:+Z3a8sOM0
魔法ビュンビュンがメインって面白くしにくいと思うんだがどうだろう
どっちの火の玉が威力があるみたいな話になるし、違い出そうとしても表現が単調になる
ハリーポッターも実際戦闘シーンが地味
魔法的なのはサブに添えるくらいがいいんじゃなかろうか

 



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