「母が私を殺し、父が私を食べた」
1 眠れる森の美女
王子は眠れる森の美女を見つけました。当然、王子は鼻息を荒げながら、美女のスカートを捲り上げ、自分の一物を美女の秘密の谷間にぶっすりと突き刺しました。眠ってはいても美女のそこはなかなか具合が良く、王子はこれまで経験したセックスの中で、これが最高だと思いました。
王子が立ち去った後、王子の言動の一部始終を見ていた日本の老作家が王子の後から美女を犯し、その経験を「眠れる美女」という小説に書いて、ノーベル文学賞を貰いました。
二人が立ち去った後、美女は眠ったまま二人の子供を出産しました。一人は白雪姫で、もう一人はシンデレラと言います。二人ともディズニー映画に主演して有名になりました。
2 シンデレラ
シンデレラは、本名をツンデレラと言って、他人の前では好きな人にツンツンしながら、二人きりになるとデレデレするという二重人格者でした。フランスでは灰かぶり、日本では落窪という名前も持っています。三人姉妹の末っ子でしたが、素行が悪いためお城の舞踏会に連れて行って貰えず、知り合いの魔法使いに頼んでカボチャの馬車と鼠の御者を作ってもらいました。しかし、王子はカボチャも鼠も嫌いだったので、王子に好きになってもらうことはできず、王様の57番目の側女になりました。当然ながら、お后に憎まれて、両手両足を切られた上、お城の便所で「人間豚」として飼われることになりました。これは貧乏人は夢を見るなという教訓です。
3 白雪姫
白雪姫のお母さんは雪の女王で、アンデルセンという王様との間に白雪姫を生みました。夏になって雪の女王が溶けた後も、白雪姫は冷凍庫で保管されました。王様は冷たい女はこりごりだと、今度は情熱的なスペイン女のカルメンと結婚しました。カルメンは白雪姫を冷凍庫で発見し、賞味期限が過ぎる前に解凍しましたが、解凍に失敗したので猟師に彼女を山に捨てに行かせました。猟師は当然、山で白雪姫をレイプしましたが、お后の命令に背いて、彼女を殺しまではしませんでした。泣きながら山の中をさ迷った白雪姫は、小さな洞窟を見つけ、そこの中の小さな七つのベッドを並べて眠りこみました。やがて帰ってきた7人の小人は自分たちのベッドを占領している巨人女に怒って、彼女を叩き起こすと、その後、奴隷にしました。一説には、7人でよってたかって彼女を犯したともいいますが、それはサイズの上から無理でしょう。やがて白雪姫は自分を捨てた継母を暗殺してその国の女王になったということです。継母にとっての教訓。生殺しは駄目。殺すなら完全に。
4 赤頭巾
白雪姫を捨てるというおいしい役目を貰った猟師には奥さんと子供と母親がいました。つまり、家庭のいい父親だったのです。そういう人でも、山の中で若い女と二人切りという状況では、欲望をこらえるなど到底不可能な話であるわけで、それを簡潔に言ったのが「完全なる機会は人をして罪を犯せしむ」という箴言です。
さて、この猟師には10歳くらいの娘がいました。1説には5、6歳くらいともいいますが、この後の話の都合上、10歳としておきます。言うまでもなく、この話は小さな女の子が狼に食われる、つまり男に犯されるという話に決まっていますが、問題は、なぜ狼がお祖母さんのふりをしたのかということです。実は、それは推理小説で言うところの赤ニシン、つまりミスリーディングで、この話の本質は、よほどの幼児でもなければ騙されないような嘘を「被害者」が「信じた」という点にあるのです。つまり、「騙されたふりをして食べられた」というのが事の真相で、セックスというものを経験したくてしたくてたまらなかった赤頭巾が、「狼」の荒唐無稽な嘘を信じたふりをしてセックスを経験したというだけの話だったのです。ですから、教訓は、「物事の見かけと真実は別だよ」ということで、これは世間に流通している赤頭巾の教訓とも一致しています。
5 美女と野獣と青ひげ
お城に一人で住んでいる領主には何か後ろ暗いところがあるものです。奥さんを何人も殺した重婚者とか、怪物の姿をしているとか。しかし、そういう存在であっても、金がある限りは奥さんのなり手に不自由はしません。うまい具合にその青ひげやら怪物やらを殺す手助けをしてくれる若い男でもいれば、青ひげや怪物を殺した後、そのすべての財産を手に入れられますから、結婚するくらいどうってことはありません。それに、青ひげやら怪物やらが親切に「この部屋に入ってはいけない」と言ってくれているのに、そういう財産目当ての若い女は、必ず、何か金目の物でもあるんじゃないかと思って、そうした秘密の部屋に入るものです。でも、それで彼女たちが罰を受けるということはなく、彼女たちは何となく助かって、青ひげが上手い具合に死んでくれたり、怪物が美しい王子様に変わってくれたりします。教訓は、「図々しい奴ほど報われる」。
6 ラプンツェル
ラプンツェルの話はとても分かりやすい話です。年頃の娘を持った男親なら、誰でも自分の娘をラプンツェルのように高い塔の上に閉じ込めておきたいと思うでしょう。そして、閉じ込められた娘が自分の長く伸びた髪を梯子代わりにして男を自分の寝室に連れ込むのも、世界中で無数に起こっていることです。つまり、女が男を欲しくなれば、それを防ぐのは不可能だという話。女房持ちの男の額には必ず角が生えているというのは、シェークスピアの作品で何度も出てくるフレーズです。女房でも娘でも話は同じ。
7 ジャックと豆の木
世界中が狼ならば、どう生きるべきか。答えは、「狼と共に吠えろ」です。つまり、この世にモラルがあるならば、モラルを保って生きるのが正解ですが、モラルの無い世の中で自分だけがモラルを保って生きるのは自殺行為だということです。
「ジャックと豆の木」という話では、巨人の城に入ったジャックはためらいも無く、巨人の財産を盗みます。日本の桃太郎も同じですが、相手が巨人や鬼や(西欧人にとってならアジア人とか)なら、何をやってもモラルには反しないという定理がここにはあるようです。しかし、もう少し視点を変えて見ましょう。黒澤明の『天国と地獄』ではありませんが、巨人の城は、高い雲の中にあります。もちろんこれは社会の上層階級の比喩でしょう。ジャックは下層階級の人間です。ならば、上層階級の財産とは、結局は下層階級から収奪した財産ではないでしょうか。それを下層階級の人間が盗むのは、実は自分たちの財産を取り返したにすぎないのです。
こういう理論により、初期の共産主義は世間の犯罪者こそ我が友とばかりにスターリンのようなゴロツキをどんどん高い地位に上げていきました。そのためにやがては下層階級こそがひどい目に遭うのですが、それでも、上層階級が社会システムを利用して下層階級から奪い取った財産を下層階級が取り戻すには、同じ社会システムの中では不可能だということだけは言えるでしょう。
8 母が私を殺し、父が私を食べた
質問。では、誰がこの話を語っているのでしょう。
◎ 参考文献『猫の大虐殺』ロバート・ダーントン