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「アカデミ・ジャーナリズム」って、何のこと?

歪んだ正義

 世間ではそれほど知られていないかもしれないが、ジャーナリズムの世界では超有名な人がいる。本書『歪んだ正義――「普通の人」がなぜ過激化するのか』(毎日新聞出版)を書いた大治朋子さんもその一人だろう。毎日新聞記者として2002年、03年と新聞協会賞を受賞しているからだ。新聞協会賞は新聞業界最高の賞であり、それを二年連続受賞という離れ業を達成したことで注目された。その後は国際報道に舞台を移し、10年度ボーン・上田記念国際記者賞も受賞している。国内、国外の取材で有名な賞を受賞しているわけだから、当代の女性記者の中では際立った人だ。

暴力のメカニズムを解き明かす

 本書の概要は、キャッチコピーに集約されている。「『自分は絶対に正しい』と思い込むと、人間の凶暴性が牙をむく」。テロリズム、学校襲撃、通り魔、コロナ禍に現れた「自粛警察」に共通する暴力のメカニズムを解き明かす、というのが狙いだ。さらに次のように、補足されている。

 「本書は『普通の人』がさまざまな経緯を経て過激化へと突き進むにいたるその道のりを、いわば体系的に地図化しようという試みだ。過激性はどこから生まれ、どのように育つのか。そうしたプロセスを可能な限り『見える化』することで、個々人、あるいはその愛する人が過激化プロセスにあるのかどうか、あるとすればどの位置にいるのかを認識し、暗くて深い過激化トンネルへと落ちるのを防ぐ、もしくは落ちたとしてもそこから引き返すために 手がかりとなりそうな情報をまとめている」

 この説明からもわかるように、本書は、ジャーナリズムというよりは、ややアカデミックなアプローチとなっている。というのも、大治さんは2017年から2年間、留学休職。イスラエル・ヘルツェリア学際研究所(IDCヘルツェリア)大学院(テロ対策・国土安全保障論、サイバーセキュリティ専攻)修了(Magna Cum Laude)。同研究所併設のシンクタンク「国際テロ対策研究所(ICT)」研修生。テルアビブ大学大学院(危機・トラウマ学)首席(Summa Cum Laude)にて修了。このところ中東の大学院やシンクタンクで研究生活を続けているからだ。

日本の事件も登場

 本書は以下の構成。

 第1章 「普通の人」が過激化する
 第2章 テロ組織はいかに個人を過激化させるか
 第3章 ローンウルフ2.0
 第4章 「過激化プロセス」のモデル
 第5章 誰にでもある心身のバランスシート
 第6章 日本における過激化
 第7章 過激化をいかに防ぐか

 大治さんは社会部記者時代の調査報道で新聞協会賞を連続受賞した後、英オックスフォード大学ロイタージャーナリズム研究所客員研究員を経て、ワシントン特派員、エルサレム特派員を歴任。『勝てないアメリカ 「対テロ戦争」の日常』(岩波新書)、『アメリカ・メディア・ウォーズ ジャーナリズムの現在地』(講談社現代新書)などの著書がある。

 本書はワシントン特派員時代にアフガニスタンでの従軍取材を経験し、テロ加害者と被害者が混在するエルサレムで支局長を務め、イスラエル随一の研究機関で学んだ敏腕記者が、テロリズムや過激化の問題の核心を突き止め、解決・防止策を提示する、というものだ。

 オウム真理教事件や、秋葉原トラック暴走事件(2008年6月)、相模原障害者施設殺傷事件(2016年7月)など、国内の事件も登場する。

カフェで談笑できる環境

 イスラエルの大学院やシンクタンクで勉強したと聞くと、日本人の中には色眼鏡で見る人もいることだろう。そのあたりを予見して大治さんは、二つのことを補足している。

 まず、当地で学び始めるにあたり、大治さん自身も、ユダヤ人の学者がパレスチナ人のことを「テロリスト」呼ばわりするなどして偏見に満ちた講義をするのではないかと心配した。しかし、それは杞憂だったという。イスラエルの政治自体は右傾化が著しいが、大学はやや違っていた。ユダヤ人、パレスチナ人、外国人が共存し、カフェで談笑できる環境だったという。

 もう一つは、テロリズムの研究などで世界をけん引してきたのは、欧米もしくはイスラエルのユダヤ人研究者だということ。西欧ではホロコースト以前から現在にいたるまで、反ユダヤの潮流が延々と続いてきた。したがって、「普通の人」がいかに自分たちの思考を過激化させ、自分たちと異なる集団を暴力的に排斥してきたかという歴史を、彼らは身をもって知っており研究を重ねてきた実績があるという。

 たしかに、ユダヤ人は長く歴史の辛酸をなめてきた。ヨーロッパでペストが大流行した時には、「ユダヤ人が毒を投棄したからだ」といううわさに火が付いて、弾圧に拍車がかかったという。同じような風評は関東大震災の朝鮮人虐殺の時も広がったことはよく知られている。

研究には制約も

 本書の扱っているテーマは、広大なものだ。プラトンやアリストテレスの昔から検討されてきた。最近では、イラク戦争は、アメリカや多国籍軍の正義だったが、大量破壊兵器は見つからず、逆に「イスラム国」を生み出した。正義といえば、一時話題になったマイケル・サンデル教授の白熱教室「正義の話をしよう」なども思い出す。

 余談だが、評者はかつて、100人以上の死者を生んだ過激派の内ゲバについて、その精神病理を研究している学者はいないか、探ったことがある。もとは「普通」だった若者が「殺人」を繰り返すようになったのはなぜか? ところが、「暗殺」という大昔の事件を調べている学者はいたものの、「内ゲバの病理」を研究している学者はいなかった。理由は簡単で、非公然組織に属する「内ゲバ専従犯」が捕まっておらず、自供も得られていないので研究ができないということだった。

 過剰な正義意識が一線を越えて逸脱する様々な実例の背後には、個人や組織、指導者など入り組んだ事情があると思われる。時々の社会情勢や長い歴史的な軋轢も含まれる。直ちに結論が出そうな話ではない。

 ジャーナリズムの有力な賞を何度も受賞した大治さんも苦労したことだろう。大治さんは本書を、取材現場を歩いて調査するジャーナリズムと、学問的な研究であるアカデミズムの融合としてとらえ、自身の造語である「アカデミ・ジャーナリズム」の実践だと語っている。

 BOOKウォッチではイスラエル関連で何冊か紹介済みだ。『知立国家 イスラエル』(文春新書)は日本の先を行く頭脳大国イスラエルの話。『サイバー戦争の今』 (ベスト新書)は世界屈指のサイバー大国であるイスラエルの現状を伝える。『イスラエルに関する十の神話』(法政大学出版局)はユダヤ系のイスラエル人学者がパレスチナ問題についてのイスラエル側の主張を徹底的に批判している。『天井のない監獄 ガザの声を聴け! 』(集英社新書)はパレスチナで長年、「国連パレスチナ難民救済事業機関」(UNRWA、通称ウンルワ)の保健局長を務める医師、清田明宏さんによる体験的な現地報告だ。

 『戦後ドイツに響くユダヤの歌――イディッシュ民謡復興』(青弓社)は戦後のドイツでユダヤの歌「イディッシュ民謡」を復興させようとする動きがあったことを伝える。「ドナドナ」「屋根の上のヴァイオリン弾き」などもユダヤ人と深く関わっている。

 『ナチスに挑戦した少年たち』(小学館)はナチスに立ち向かったデンマークの少年たちの逸話。『人類は「パンデミック」をどう生き延びたか』(青春文庫)には、多くのユダヤ人を救うために「K感染症」をでっち上げたイタリア・レジスタンスの運動が紹介されている。

 このほか『アメリカはなぜ戦争に負け続けたのか』(中央公論新社)は「アメリカの正義」が必ずしも奏功していないこと、『独ソ戦――絶滅戦争の惨禍 』(岩波新書)は、ヒトラーがソ連を攻めた一因にソ連人を「劣等人種」とみなす優越思想があったこと、『「いいね! 」戦争――兵器化するソーシャルメディア』(NHK出版)は今やネットで誰でも簡単に「正義の義勇兵」になれることを伝える。

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