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調べないままに書くが、「汝(なれ)や知る」ではなく、「汝知るや」ではなかったか。
いや、係助詞としての「や」は文末ではなく文中に置くのだが、終助詞としては文末に置くわけで、係助詞というのはもともと終助詞だったのが強調のために文中に置かれた、一種の倒置法だというのが大野晋の説である。
この和歌の場合は、通常の終助詞だった気がする。「汝や知る」では、「や」による強調があるために、逆にそこで文が完全に終わってしまい、「お前は知っているか? いや、知らないだろう」という反語的なニュアンスまで出てきてしまう気がする。つまり、余韻が無くなるのである。終助詞の方がまだ後に続く感じがする、というのもおかしいが、要するに、話が「お前は知っているか?」と来たら「えっ、何を?」と続くということである。

「汝知るや、都は野辺の夕ひばり。上がるを見ても落つる涙は……」

なお、「都は」の、この「は」の使い方を、「は」は主語を表わすものではなく、「話題(話題の中に大小がある場合はその大きいもの)」を示すものだ、という例にするといいと思う。つまり、「都」と「野辺」と「夕ひばり」という話題の中の三つの要素のうち最大の「都」を先に提示して、そこから、「野辺」「夕ひばり」と視点を絞っていくわけだ。

こういう「絞り込み」(逆に、小さいものが段々とクローズアップされていく、と言ってもいい)は日本語の話法の特質の一つだと思う。あるいは、日本人の発想法のひとつとも言える。たとえば、地名を表わすのに「日本国東京都千代田区何丁目何番地」と書くようなものだ。


(追記)今調べたら、「汝や知る」が元歌らしい。つまり、私の間違いだが、ここはあえて「汝知るや」の方が歌としてはいい、と強弁しておくwww 

**************** 名歌鑑賞 ****************
 
 
汝や知る 都は野辺の 夕ひばり あがるをみても
落つる涙は
           飯尾彦六左衛門尉
           
(なれやしる みやこはのべの ゆうひばり あがるを
 みても おつるなみだは)

意味・・この京都は大乱で全く焼け野原になってしまい、
    そこから夕ひばりは空へさえずって上がって行く
    が、それを見ても落ちる私の涙を、夕ひばりよ、
    お前は知っているか。

    応仁の乱は、京都で、1467年から1477年まで10
    年余り続き、邸宅・町屋・名所古跡はあらかた灰
    になってしまった。それを見て嘆いた歌です。

 注・・汝や知る=「や」は疑問の係助詞。
    落つる涙は=「は」は叙述を強める助詞。

作者・・飯尾彦六左衛門尉=いいおひころくざえもんの
    じょう。生没年未詳。十五世紀の人。
 
出典・・応仁記(福武書店「名歌名句鑑賞辞典」)



さんがリツイート

汝や知るみやこは野辺の夕ひばり。東西陣営、千日手。伝説の足軽も登場。スーパーいい話の、駿河のお屋形さまはスーパーいい人・・・なだけでもなさそうで、なかなかしたたかな側面も。伊都さまそろそろ覚悟を決めるか?新九郎の身の周りがいろいろ動き始めそう。
毎月27日が楽しみです。






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