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なぜ、半世紀も前の芥川賞受賞作(作者はその後、何か書いたのか、記憶にもない。)が今頃「はてな匿名ダイアリー」でネタにされるのか、不思議だが、「純文学」というケッタイなものの正体は何か、という問題提起としてみれば、分からないでもない。

私は「月山」は読んでいないが、その評として

憶測の羅列と逡巡の垂れ流し

というのは、何となくそうだろうな、という気がする。いかにも、純文学的で、選考者たちに気に入られそうである。作者の年齢が当時でもかなり高かったというのが逆に選考でプラスになったのではないか。だが、高齢で芥川賞を取った人間がその後まともな作家活動をした例はほとんど無いはずだ。


森敦の『月山』で春になると道端の雪が溶けてどこぞのうんこがでてくるというくだりがあって気持ち悪くて嫌だったのだが春になると自殺者が増えるのは寒さが凍結していてくれた思考回路が動き出していろんなものがわかってしまうからなんだろうな

記事への反応 - 
  • 俺は森敦の「月山」は辛くて最後まで読めんかった。雪に閉ざされたあの空間のなんとも言えない暗さと意地の悪さやらなんやらリアルで、、地元が田舎だもん。あの感覚が嫌で地元に...

  • 文庫版の帯に「生と死が交錯するアナザーワールド」ってあって令和風で笑った

    • 芥川賞最高傑作とかいう大嘘を帯にしてたころよりはマシだと思う 会話は半分くらい方言なので人を選ぶ ただ地の文の流麗な敬語と会話文の方言のコントラストはよかった

  •   

    「月山」は読み切ったが「こんな憶測の羅列と逡巡の垂れ流しに何の意味があるのか?」と言う私自身の考えが終始頭の中を渦巻いていた。せめて解説を読めば続ける勇気もと思ったが...

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ネット記事で、内容は半藤一利の本の一部である。
なかなか笑える内容だ。

(以下引用)コピーに失敗したが、そのままにする。

いま、伝えられているほど日露戦争は連戦連勝の、そんな圧倒的勝利の戦いがつづいたのではないことを、わたくしたちは歴史的事実として知っている。いずれの戦場においても、それは“辛勝”とよぶのがいちばんふさわしい戦いの連続であったのである。たしかに、日本軍は終始攻勢に出たために戦勝の栄誉をうけることができたが、その損害を比較すればかならずしも有利ならざる状態であったのである。ただひとつ、日本海海戦をのぞいて。

数字をもって示すことにすれば……。陸戦においては遼陽、沙河、奉天を三大会戦という。その戦いの死傷者の総数の日露の比較である。

〈遼陽〉日本軍  二万三七一四名・ロシア軍 一万六五〇〇名

〈沙河〉日本軍  二万〇五七四名・ロシア軍 三万五五〇〇名

〈奉天〉日本軍  七万〇〇六一名・ロシア軍 六万三六四九名

いかがなものか。とくに日本軍にとっては、この死傷者のなかに大隊長、中隊長、小隊長といったイキのいい指揮官が多くふくまれていることが痛手であった。補充がままならないのである。

もちろん、『坂の上の雲』にはこの三大会戦が詳細に物語られている。ただし、小説ゆえに司馬さんはこんな統計を加えて読者の興をそぐようなことはしていない。しかし、そのことはとっくに承知していたことはいうまでもない。

なぜなら、そのことに関連して『坂の上の雲』最終巻の「あとがき」で、司馬さんは痛憤してふれているのである。陸の戦いを書くために参考にした参謀本部編纂の『明治卅七八年日露戦史』全十巻が、いかにインチキなものであることか、それは「明治後日本で発行された最大の愚書であるかもしれない」とまでいい切っている。連戦連勝の威勢のいい話ばかりで、参考にもならなかった、とも。

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史書がつくられたのか。このことについても「あとがき」で司馬さんはハッキリ書いている。

「戦後の高級軍人に待っているものは爵位をうけたり昇進したり勲章をもらうことであったが、そういうことが一方でおこなわれているときに、もう一方で冷厳な歴史書が編まれるはずがない」

真実、その通りであったのである。高級軍人の出世のために、後世のために大切な戦史の編纂者には上から禁制規定が押しつけられていた。司馬さんは書いていないが、それらは思わず笑わざるをえないほど、アホらしい規定なのである。麗々しく写すのも腹立たしくなるだけながら、あえて、その二つ三つを抜き出してお目にかけることにする(原文は片カナ)。

高等司令部幕僚の執務に関する真相は記述すべからず。

軍隊又は個人の怯惰・失策に類するものは之を明記すべからず。

然れども、為に戦闘に不利結果を来たしたるものは、情況やむを得ずが如く潤飾するか、又は相当の理由を附し、その真相を暴露すべからず。

我軍戦闘力の耗尽もしくは弾薬の欠乏の如きは決して明白ならしむべからず。

こんな馬鹿げた制約を膨大に課せられて、歴史を書けといわれたって……。そう、もし書けるヤツがいるとすれば、それは希代の大ウソつきのみであろう。ないしはデッチ上げの名人ばかり。もう少し官修史書について弁じたいけれども、いいかげんこのくらいにしておく。

***



スナーク狩り 8章の苦悶』(スナークがり はっしょうのくもん、The Hunting of the Snark (An Agony in 8 Fits) )は、伝説の生物スナークを捕まえようとする探索者達の一行を描いた、ルイス・キャロルによるナンセンスである。『スナーク狩り』では、しばしば『鏡の国のアリス』の作中にあるキャロルの別の短篇詩『ジャバウォックの詩』から、生物の名前やかばん語などの流用が行われているが、この詩自体は独立した作品である。『スナーク狩り』は1876年マクミラン社から出版され、挿絵はヘンリー・ホリディが手掛けた。

登場人物

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詩の第1章第1節で探索隊を率いるのはベルマンであることが述べられ、続く第3節以降で、その他のメンバーとしてブーツ(靴磨き)、ボンネット及びフード製造業者、バリスター(弁護士)、ビリヤード・マーカー、バンカー(銀行家)、ビーバー専門のブッチャー(屠畜業者)、粗忽者のベイカー(パン屋)、ブローカー(仲買人)、ビーバーが紹介される。第1章の記述によれば、「配慮(Care)」もまた彼らと共に島へ上陸した。また、捕らえどころのないスナークを追い立てるために必要な「希望(Hope)」もやって来た。ブーツはいかなる挿絵でも描写されていない唯一の登場人物であり、それが彼を乗組員の中で最も謎めいた存在にしている(後述)。別の説として、「配慮」として表現される登場人物は、最初の挿絵で描かれている文字通りの船の船首像のことであり、「希望」とは実はブーツのことであるという主張も存在する。1876年にこの詩の書評を書いたスコットランドの知識人アンドリュー・ラングは、「希望」とはボンネット製造業者のことではないかと提言している。しかし、2番目の挿絵では船の中でボンネットを作っている人影が発見できることから、これは明確に誤りである。

あらすじ

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ベルマンの白紙の海路図に導かれて海を渡り、スナーク探索隊の一行は奇妙な島にやって来た。ベイカーはかつて伯父から聞かされた警告を回想する。スナークを捕まえるのは申し分なく結構なことである。しかし用心せねばならない。もし捕まえたスナークがブージャムであったならば、その時「お前は突然静かに消えうせて、二度と現れることはない」。この警告を心にとめて、探索隊は別行動を取る。探索行の途上で、ブッチャーとビーバーの間に友情が芽生える、バリスターは眠り込んでしまう、すさまじく怒り狂ったバンダースナッチ(a frumious Bandersnatch)に襲われたバンカーは正気を失ってしまう。最後にベイカーはスナークを見つけたとみんなを呼び集めるが、他の者たちが駆けつける寸前に不可解な消失を遂げる。

構成

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『スナーク狩り』には、多くのキャロルの独特の特徴が含まれている。使用されているのは、技巧的な韻律や押韻、正確な文法、出来事の論理学的な連結、そして「スナーク」などの造語の頻繁な活用による、まったくナンセンスな内容である。この作品は『不思議の国のアリス』のような随所に詩をちりばめた散文とは違い、キャロルによる最も長大な韻文であり、スナーク狩りを叙した詩が最初から最後まで続く。『スナーク狩り』は八つの章もしくは“fit”に分かれている(“fit”とは、歌の部分を意味する古語“fitt”と、痙攣を意味する“fit”の駄洒落である)。

  • 第1章/上陸 “The Landing”
  • 第2章/ベルマンの演説 “The Bellman's Speech”
  • 第3章/ベイカーの物語 “The Baker's Tale”
  • 第4章/狩り “The Hunting”
  • 第5章/ビーバーの授業 “The Beaver's Lesson”
  • 第6章/バリスターの夢 “The Barrister's Dream”
  • 第7章/バンカーの運命 “The Banker's Fate”
  • 第8章/消失 “The Vanishing”

スナーク

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スナーク(the snark)とは、『スナーク狩り』の中で探索隊が捜し求める架空の生物である。

スナークには様々な異なった品種が存在する。あるスナークは羽毛を持っていて噛み付き、あるスナークは頬髭を生やしていて引っ掻く。あるスナークはブージャムであり、これは最も危険な種である。ブージャムに出くわした者は突然静かに消え失せて、二度と現れることはない。

スナークの味は無味乾燥で中身がないが、腰周りのきつ過ぎるコートのようにかりかりしており、人魂のような風味がある。スナークはしばしば青野菜と共に供される。また、スナークは昼近くまで寝ている。スナークは非常に野心家であり、ほとんどユーモアを解さないが、微笑とお世辞には篭絡されがちである。更にスナークは脱衣車(訳注:19世紀のイギリスで海水浴の際に使われた移動式の脱衣所。詳しくはen:Bathing machine参照)を非常に好んでおり、どこへ行くにも絶えず運び歩いている。スナークは火を起こすのに非常に重宝である。

スナークの住む島は岩と裂け目だらけであり、イギリスから船で何ヶ月もの距離がある。同じ島で、ジャブジャブやバンダースナッチなどの他の鳥獣も見付けることができる。この島は、ジャバウォックが退治されたのと同じ島である。スナークは通り一遍の方法では捕らえることの出来ない特殊な生物であり、スナーク狩りに際しては、何よりも勇気が求められる。スナークを捕らえる最も基本的な方法は、指貫と配慮とフォークと希望を持って探すことである。

対象とされた読者

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キャロルが『スナーク狩り』を書くにあたり、子供の読者を対象にしていたか否かが議論されている。この詩にはいかなる子供も登場しない。雰囲気は暗いものであり、幸福な終わり方ではない。ベイカーの消失に加えて、バンカーが正気を失った様子が詳しく描写される。同じく、オリジナルの版に添えられたヘンリー・ホリディ挿絵は、『不思議の国のアリス』でのテニエルの挿絵と異なり、頭部をデフォルメした不快感を煽る戯画化を特徴としている。

しかしながら、キャロル自身はこの作品が何人かの子供らには受け入れられると確実に考えていた。ガートルード・チャタウェイ(1866年~1951年)は、アリス・リデル以降の、キャロルの人生の中で最も重要な「子供友達」であった。『スナーク狩り』の着想を与えたのはガートルードであり、本書はガートルードに捧げられている。キャロルは1875年の休日に、イギリスの海岸で9歳のガートルードと知り合った。『スナーク狩り』はその一年後に出版された。出版にあたり、キャロルは80冊のサイン入りの本をお気に入りの子供友達に贈った。伝統にのっとり、キャロルはそれらの本のサインに、子供達の名前をアクロスティックとして織り込んだ短い詩を添えた。

発祥

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『スナーク狩り』を創作するにあたり、キャロルは最後の行から書き始めた。1887年にキャロルは以下の様に述べている。「ある陽差しの強い夏の日、私は一人で坂道を歩いていました。すると突然に、私の頭に一行の詩の文句が浮かび上がったのです――ただ一行だけが――『そう、そのスナークはブージャムだった(For the Snark was a Boojum, you see.)』。私はそれが何を意味するのか分かりませんでしたし、今もそれが何を意味するのか分からないままですが、その文句を書き留めておきました。そして、その後時おり節の残りの部分を思いついて、先の文句が最後の一行となりました。そして次の一年か二年のたまの機会に、詩の残りの節が自然に組み合わさり、先の節が最後の一節となりました」。

In the midst of the word he was trying to say
In the midst of his laughter and glee
He had softly and suddenly vanished away
For the snark was a boojum, you see.

その言葉を言おうとしたまさにその最中に、
その笑いと喜びのまさにその最中に、
彼は突然静かに消えうせた――
そう、そのスナークはブージャムだった。

『ジャバウォックの詩』との関連

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『スナーク狩り』の序文で、キャロルは注記している。「この詩は、ジャバウォックの歌といくつかの関わりを持っています」。そして、“borogoves”と“slithy toves”の発音の仕方の説明が後に続く(これらの単語は『スナーク狩り』では使われない)。『スナーク狩り』で使われる八つのナンセンスな単語が、キャロルの『ジャバウォックの詩』で先に使われている。それらは、“bandersnatch” “beamish” “frumious” “galumphing” “jubjub” “mimsiest” “outgrabe” “uffish”である(最上級の形容詞“mimsiest”は、原級“mimsy”として『ジャバウォックの詩』に現れる)。後にキャロルは友人への手紙で、『スナーク狩り』の舞台となる島について述べている。「ジャブジャブやバンダースナッチが頻繁に訪れる島こそ、疑いなくジャバウォックが退治された島に違いありません」。

私は天皇肯定論者なのだが、要は日本文化と伝統の象徴としての天皇の存在を貴重だとする思想であり、また日本国憲法肯定者として、憲法の規定する「国民統合の象徴としての天皇」を尊重する意味での天皇肯定論者である。
そして、ネットで見る「天皇否定論」の根拠がどうもよく分からないので、その分析と考察をしてみる。ただし、メモ的なものだ。詳しい考察は後に回すつもりである。

最初に、私が考える「天皇否定論」の根拠を箇条書きにしてみる。もちろん、見落としもあるだろう。その中で私が重要と考えるのは「感情的に天皇の存在が許せない」というものだが、「感情論だからダメ」とは決めつけるつもりはない。ある意味では論理よりも強いのが感情だろう。ただ、とりあえず、ここでは「天皇否定論」と「天皇肯定論」を両方並べて、どちらがより合理的か、あるいは正当性があるかの比較をしてみるつもりだ。

Ⅰ 天皇否定論

1:日本国憲法は国民の平等を謳っており、天皇を国民の上位に置くのは許せない。
2:日本は「民主主義国家」であり、本来は君主的存在だった天皇は不要である。
3:天皇を「国民統合の象徴」とする意義はない。
4:天皇やその親族にかかる財政負担が無駄である。
5:昭和天皇のために死んだ無数の国民の死の責任が昭和天皇にあり、その子孫である天皇家自体、否定されるべきである。
6:天皇が神道連盟などの宗教に利用される可能性が大きい。
7:右翼が天皇を担ぎ上げて、日本を全体主義国家にする可能性がある。
8:天皇が存在しなくても、日本国民は何ひとつ困らない。
9:その他

Ⅱ 天皇肯定論(それぞれ「否定論」の否定であるが数字は対応していない。)

1:日本の歴史は天皇が大きな要素であり、天皇は日本文化の伝統であり象徴である。
2:現在の天皇は単なる象徴であり、日本国民の上位にあるわけではない。
3:憲法は天皇の政治関与を禁じており、民主主義と矛盾する存在ではない。
4:天皇に関係する予算は外交儀礼上必要だが、不満なら削減すればいい。
5:祖先の罪は子孫に関係しない。
6:神社等との関係が大きな問題になった事例は敗戦後は存在しない。
7:天皇が「象徴天皇」である限り、政治利用は不可能である。
8:天皇がいなくなれば、他国との違いが無くなり、「日本人」は過去と断絶する。
9:その他
漢文を読む時に危険なことは、漢字一文字を、それを使った熟語から判断することである。
宮崎市定は東洋史学では優秀な学者だと思うが、彼が訳した「論語」の中にはかなり独断的で首をひねる解釈が多い。
たとえば、「因」を「因循」としている類だ。「因循」の中心語は「循」であり、これは「循環」が「回る」意味であり、堂々巡りであることを考えれば、「因循」とは「原因となる何かが繰り返される状態」であり、ポイントは「循」の字にあることが分かる。つまり、「因」だけでは「因循」の意味にはなりようがないのである。一回きりの現象にも「原因」はあるだろうが、それが繰り返しにならないと「因循」にはならないのである。つまり、「因循」の中心語は「循」であり、「因」一字では「因循」の意味とすることは不可能である。

「君子不器」を「君子は器械であっては困る」と訳したのも同様であり、孔子の時代に「器械(機械)」など存在しない。器は器(うつわ)以外の何物でもない。要するに、何かひとつの用途にしか使えない人間、あるいは容量の決まっている人間ではいけない、ということだろう。

魅力のある女性の形容として「素もって絢(あや)となす」の「素」を「白粉(おしろい)」とするのもおそらく間違い。「素顔のままで絢爛たる美しさがある」ということだろう。

まあ、文学的センスの無さの故かと思う。
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