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容量の限界があるから、内容を圧縮する、その結果、驚きや緊張が生まれると考えれば、その「限界」自体がメリットだと言える。短歌や俳句の字数制限もそれだろう。だが、デビュー前のアマチュアの漫画や小説だと、「容量限界が無い」から、無駄な部分が多くなる気がする。

私が予備校で小論文の指導をしていた時に見た生徒の作品は、9割以上が、「第一段落をカットしたほうがマシ」であった。つまり、無駄な口上が多いのである。「話の枕」を書いているつもりかもしれないが、「早く要点を言え」と言いたくなるものがほとんどだった。
漫画や小説で言えば、「書かなくてもいい、つなぎの部分」をすべて書く傾向があるのではないか、と推測する。つまり、「どこかへ行く用事が生まれる」「そこに歩いて(乗り物に乗って)行く」「到着する」の、「移動の途中経過」まで全部書くわけだ。だが、話としてそれが必要か、と言えば、まったく不要に決まっている。そして、そうして書かれた作品が長大なものなるのは当然だろう。どの作品もどんどん長編化する現代の漫画に、その傾向は無いだろうか。脇役程度の登場人物の「掘り下げ」ばかりやっていて、話の進行が置き去りになっていないか。
昔の手塚治虫や藤子不二雄の漫画には、失敗作の場合でも「冗長さ」という欠点だけは無かった。
なお、ヒッチコックの言葉に「論理は退屈だ」というのがある。それは先ほど書いた「途中経過を全部書く」のがつまり論理だからである。逆に、途中を省略することで、「驚き」が生まれる。ヒッチコックはまた「映画とは構成である」とも言っている。現実の人生とは異なる、場所や時間の再構成によって映画的興奮が生まれるわけだ。これも「論理は退屈だ」である。



さんがリツイート

そうそう。自分も漫画描いてて〜よくやりますが。「ページ数にゆとりがない」と、「キャラクターがドライになり、何も考えないで突っ走る感じになる」「有無を言わさぬ早い展開〜キャラの性格が強引になる」「情感とか風情はどんどんなくなる」。でも、ソコがイイんです。馬鹿っぽい魅力が出て来る。





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