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某ブログから取ったものだが、そのブログでは宦官が「皇帝付きの奴隷」とか書かれていて、その表現はどうなのかな、と思う。「奴隷」という言葉の印象とは異なり、宦官とは皇帝の側近であり、大きな権力を持っていたからだ。つまり、「国王への奏上者が大臣などより大きな権力を持つ」という、古代から中世にかけてよく見られた現象である。国王というものは、二代目以降になると自分の遊楽にしか興味が無い人間も多いから、政治的な進言など「聞いても理解できない」わけである。「帝王学」などというのは後世の作り話だろう。
そもそも、大臣たちも別に「国民」のことなど考えてはいない。「税収の貢ぎ手」としての国民を「生かさず殺さず」に維持しないと特権階級である自分たちの存続も危うくなるという最低限の常識を持っていただけにすぎない。ところが、二代目三代目の国王にはその常識も無く、自分は生まれつき栄耀栄華を与えられており、すべての人間は自分に奉仕して当然だ、と思っているわけだ。政治などは「誰かが適当にやればいい」としか思わない。だから、悪大臣に政治の実権を握られたりする。悪大臣も、賢い人間だと、国王になるより、馬鹿な国王を飾り物にしているほうが得であると分かるから、大臣としての権力をふるっていわゆる「苛斂誅求」の残酷な政治を行い、国民の怨嗟を買う。やがて山賊のような連中が蜂起して政府を倒し、新王朝を打ち立てる。そして、以下、同じループである。
なお、「王座のゲーム」とは「ゲームオブスローンズ」の訳だが、あのテレビ映画(と言うべきだろう。)にも「国民」はまったくと言っていいほど登場しない。それが当然なのである。昔の政治に「国民(人民)などいない」のが当たり前で、政治とは権力をめぐる武力と陰謀の闘争しか意味しない。庶民とは「弱者」であり、軽蔑と収奪の対象でしかないのである。言い換えれば、上級国民の目には下級国民すべてが「奴隷」だったのである。(今でも内心ではそうかもしれないwww)



宦官を写した写真はいくつか残されています。例えば、次の写真は皇帝溥儀の寝所であり生活空間である養心殿の管理を任された太監たちです。


左から楊子真(養心殿禦前太監)、王鳳池(養心殿東夾道二帶班)、劉興橋(養心殿禦前太監)。王鳳池は宣統帝溥儀の同性愛のパートナーとして知られています。

宦官は、清朝が倒れた後も廃帝溥儀の暮らす紫禁城で彼に仕え、偽満州国建国とともに新京(長春)にも移り、中華人民共和国の時代になっても生き続けました。宦官の写真の中で、恐らく世界で一番有名なのは、「決定的瞬間」で知られるアンリ・カルティエ=ブレッソンによって、1948年、中華人民共和国建国前夜に北京で撮られた次の写真でしょう。


アンリ・カルティエ=ブレッソン「中国宮廷の宦官、北京、1948年」

確か大阪芸大だったかがブレッソンのコレクションを持っていて、まとめて展覧会をしたときこの写真を見ました。題名がないと「おばあさん」と間違えたでしょう。、


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