そもそもツルゲーネフの作品には物語性は少なく、抒情性が主だと思う。つまり、詩を小説形式で書いたように見える。その「物語性の乏しさ」を「キャラ先」と言っただけだろう。もちろん、そういう作品も大きな価値があるのであり、現代の小説には逆に詩情がまったく欠如しているから、その中で比較的詩情のある村上春樹などが世界的に好感を得ているのだと思う。
私がリメイクするなら、最後の活劇部分は劇伴も含め、完全にオリジナルを踏襲するだろう。つまり、この部分は代替物の存在しない、活劇の金字塔だ。
(以下引用)
雄呂血
雄呂血 | |
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Orochi | |
タイトル、キネマ文字。
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監督 | 二川文太郎 |
脚本 | 寿々喜多呂九平 |
原作 | 寿々喜多呂九平 |
製作総指揮 | 牧野省三 |
出演者 | 阪東妻三郎 環歌子 |
撮影 | 石野誠三 |
製作会社 | 阪東妻三郎プロダクション |
配給 | マキノ・プロダクション |
公開 | 1925年11月20日 |
上映時間 | 74分 |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
『雄呂血』(おろち)は、1925年(大正14年)製作・公開、二川文太郎監督による日本のサイレント映画、剣戟映画である。阪東妻三郎プロダクション設立第1作であり、日本に「剣戟ブーム」を起こした記念碑的作品である[1]。
ストーリー[編集]
漢学者松澄永山の娘・奈美江と、その弟子で正義感の強い若侍・久利富平三郎はひそかに愛し合っていた。平三郎は師の誕生祝いの夜、同門の家老の息子の浪岡の無礼を怒り、腕力沙汰に及んだことから破門を命じられる。また奈美江を中傷誹謗していた家中の若侍を懲らしめたことが逆に永山の誤解を招き、師からも破門され、石もて追われるように故郷を捨て、旅に出る平三郎。
平三郎は自分が正しいと信じてやったことが事毎に周りから曲解され、そのこころは次第に荒んでいき、無頼の浪人となり下がり、虚無の深淵に沈んでいく。
たまたまある町の料亭で働く千代を知り、女の情を求めて牢を破って訪ねたもののすでに千代は人の妻となっていた。捕吏に追われた平三郎は侠客・次郎三のもとへ飛び込むが、この侠客が喰わせ者。病に難渋する旅の夫婦を助けたは良いがその妻に言い寄り手篭めにしようとする。しかもその妻女こそ、かつての恩師の娘、初恋の人の奈美江であった。
平三郎の白刃一閃、見事次郎三を斬り捨てるがもはや脱出かなわず、十重二十重の重囲のなかに堕ち、乱闘又乱闘の大立ち回りの末、ついに力尽き捕えられ、群衆の悪罵を浴び引かれていく。その中に涙に濡れ、平三郎を伏し拝む奈美江夫婦の姿があったことを、群衆の誰一人知る者はいなかった。
概略[編集]
1925年(大正14年)6月、23歳の若きスター、剣戟俳優の阪東妻三郎が東亜キネマから独立し、「阪東妻三郎プロダクション」を設立、記念すべき第1作として製作されたのが本作、『雄呂血』である。
同時期に東亜キネマから独立した牧野省三が総指揮を執り、鬼才と呼ばれた寿々喜多呂九平がオリジナル脚本を書き、『快傑鷹』(1924年)の二川文太郎が監督した[2]。寿々喜多も二川も、マキノ映画時代からバンツマ映画を支えてきたバンツマの盟友だった。
初め『無頼漢』というタイトルであったが、検閲からのクレームがつき、おびただしいシーンのカットの末、『雄呂血』に改称された[3]。
本作は、マキノ・プロダクションが配給し、マキノ東京派の高松豊次郎が経営する浅草の映画館・大東京をフラッグシップに、同年11月20日、全国公開された[2]。ただし、公開順は東京の吾嬬撮影所で撮影した第2作『異人娘と武士』のほうが先であった。
阪東妻三郎は独立第一作ということもあって、本作のフィルムプリントを手元に保管していた。妻三郎の没後、コレクターが所有していたプリントを弁士の松田春翠が譲り受けて、戦後サウンド版で公開され、ホームビデオやDVDで販売されるようになった[4]。今日、戦前期の剣劇映画の大半が紛失した中で奇跡的に全編残されており、その意味でも貴重な作品である[要出典]。著作権の保護期間が満了し、現在パブリックドメインにある作品である。
エピソード[編集]
米国ロサンゼルスの日本映画専門館で本作が上映されたときには、ジョセフ・フォン・スタンバーグは毎日のように通い、何百人が斬られるかを数えたという[5]。
本作のストーリーは社会的メッセージが強く、当時の大正デモクラシーの風潮に呼応して多くの観客の共感を呼んだ。寿々喜多呂九平は「世に無頼漢と称する者、そは天地に愧じぬ正義を理想とする若者にその汚名を着せ、明日を知れぬ流転の人生へと突き落とす、支配勢力・制度の悪ならずや」と字幕を挿入したが、当局の検閲で丸々カットとなっている。
ラスト三巻の大立ち回りは、二十七分間の長丁場を、同じテを二度と使わずに展開するという鬼気迫るもので、「悲壮美の極致」とまで言われた。 この立ち回りは脚本では「半鐘乱打、大立ち回り」と一行あるだけだが、十手、捕縄、六尺棒、熊手、さすまた、袖からみと、ありとあらゆる捕り物道具が動員され、瓦投げ、眼つぶしと、キャメラの長移動やパンを重ね、それまでの悠長な歌舞伎調の型を徹底的に破壊しつくした。眼つぶしで平三郎の眼がくらむ場面では幻覚感を出すためフラッシュ・バック風に黒コマを間に繋ぎ、テクニックに工夫が凝らされた。
観客の熱い共感を得た、この革命的な殺陣をつけたのは、「まぼろしの殺陣師」といわれた市川桃栗で、バンツマが「妻三郎プロ」を立ち上げて「御大」と呼ばれるようになってからも「おい、妻ちゃん!」と気安くバンツマを呼んでいたという人物だが、出身経歴などは一切不明という[6]。
スタッフ・作品データ[編集]
- 総指揮 : 牧野省三
- 監督 : 二川文太郎
- 原作・脚本 : 寿々喜多呂九平
- 撮影 : 石野誠三
- 電機照明 : 奥貫一
- 舞台装置 : 川村甚平
- 字幕 : 坂本美根夫
- 助監督 : 村田正雄、宇沢芳幽貴
- 撮影補助 : 稲葉蛟児、岡本勝人
- 殺陣:市川桃栗
- 製作 : 阪東妻三郎プロダクション
- 上映時間 (巻数 / メートル数) : 74分 (11巻 / 2,537メートル)
- フォーマット : 白黒映画 - スタンダードサイズ(1.37:1) - サイレント映画
- 初回興行 : 浅草・大東京
キャスト[編集]
これはなぜなのか、よく分からない。
「自分ひとりでウケている」という作品は、ギャグ作品だけとは限らず、三流作品の多くに見られる特徴だと思う。一般的な言葉で言えば、夜郎自大だろうか。しかし、ほとんどの作品は自分が作るものの内容に自信があるから作るわけで、創作において夜郎自大が本質的に悪いというわけではなく、単なる実力不足(特に、人間性や笑いへの理解不足)から来るのだろうと思う。「大学生ノリ」というのは、未熟な内容を勢いで誤魔化すという不誠実さのことだ、と言っていい。もちろん、一部の層には「大学生ノリ」が受けているからこそ厄介なのである。
「大学生ノリ」はあるが、「高校生ノリ」は無い、ということは、高校生に比べて大学生は基本的に軽薄である、という事実から来ると思う。そして大学生ノリのままの人間が広告会社やアニメ制作会社などに入るわけだ。
(以下引用)
「このアニメ無理なやつだ」って思う瞬間・・・
テンプレの行き過ぎた狂気系とか観る気しないよな
胸糞悪いだけの展開のなろう系とかも無理
分かるわ
「主人公一筋」みたいなのを強調したいんだろうけど普通にドン引きする
何考えてるかわからんってレベルまでいくと無理
たまに女が悪役の時はかわいそうな過去付き
この滅びの美は主人公が優れた存在であるほど強烈になる。
こんなことを考えたのは、最初、三船敏郎も若山富三郎も自分が作って主人公を演じたかった作品が「西遊記」の孫悟空だということについて考えるうちに、この二人とも「レ・ミゼラブル」のジャン・ヴァルジャンをやらせても似合いそうだな、と思い、では、ジャヴェール刑事は誰が適役か、と考え、三船の相手ならやはり仲代達矢か、と考え、いや、三国連太郎でもいいな、と思い、いや、三国連太郎ならむしろ一番ジャン・ヴァルジャンに適役ではないか、と考えて、そこから「飢餓海峡」の犬飼太吉を連想し、そこから運命悲劇の主人公としての「砂の器」の和賀英良を連想し、そこで「運命悲劇」というものを意識したわけである。
ついでに言えば、昔の人気テレビ番組で「逃亡者」というのがあったが、あの作品が、逃げるジャン・ヴァルジャンと、追うジャヴェール刑事の姿を下敷きにしていたという説があり、それは信頼できると思う。つまり、古典的作品を映画化なりテレビドラマ化なりする方法は、「原作そのまま」だけではなく、「プロット」だけ借りて、時代も状況も変えてもいいということだ。黒澤明の「乱」はシェークスピアの「リア王」を日本の時代劇に翻案したものだということは誰でも知っているだろう。