私は、なぜか大学生ノリというのが大嫌いで、「シュタインズゲート」の最初のあたり、主人公らしき男のクサい演説を延々と聞かされるのに辟易して初回の途中で視聴放棄したような記憶がある。登場人物の大学生ノリだけではなく、作り手の大学生ノリというのもあって、面白くもないギャグや奇矯なキャラクターや見かけだけ意味深な小物(たとえば「あの花」で主人公が着ているTシャツの「地底人」という文字)を出して、「これはウケるだろう」と自己満足している、あの雰囲気が嫌いである。小説で言えば森見登美彦の小説がまさにそれで、ほとんど読む気がしない。森見登美彦の小説を映画化したりアニメ化したりしたのも全部ダメである。
これはなぜなのか、よく分からない。
「自分ひとりでウケている」という作品は、ギャグ作品だけとは限らず、三流作品の多くに見られる特徴だと思う。一般的な言葉で言えば、夜郎自大だろうか。しかし、ほとんどの作品は自分が作るものの内容に自信があるから作るわけで、創作において夜郎自大が本質的に悪いというわけではなく、単なる実力不足(特に、人間性や笑いへの理解不足)から来るのだろうと思う。「大学生ノリ」というのは、未熟な内容を勢いで誤魔化すという不誠実さのことだ、と言っていい。もちろん、一部の層には「大学生ノリ」が受けているからこそ厄介なのである。
「大学生ノリ」はあるが、「高校生ノリ」は無い、ということは、高校生に比べて大学生は基本的に軽薄である、という事実から来ると思う。そして大学生ノリのままの人間が広告会社やアニメ制作会社などに入るわけだ。
(以下引用)
これはなぜなのか、よく分からない。
「自分ひとりでウケている」という作品は、ギャグ作品だけとは限らず、三流作品の多くに見られる特徴だと思う。一般的な言葉で言えば、夜郎自大だろうか。しかし、ほとんどの作品は自分が作るものの内容に自信があるから作るわけで、創作において夜郎自大が本質的に悪いというわけではなく、単なる実力不足(特に、人間性や笑いへの理解不足)から来るのだろうと思う。「大学生ノリ」というのは、未熟な内容を勢いで誤魔化すという不誠実さのことだ、と言っていい。もちろん、一部の層には「大学生ノリ」が受けているからこそ厄介なのである。
「大学生ノリ」はあるが、「高校生ノリ」は無い、ということは、高校生に比べて大学生は基本的に軽薄である、という事実から来ると思う。そして大学生ノリのままの人間が広告会社やアニメ制作会社などに入るわけだ。
(以下引用)
「このアニメ無理なやつだ」って思う瞬間・・・
15コメント
続々と出てくるのが女の子だけ
ステータスをオープンする
主役級が棒読み
題名が3行以上に分けられてるやつ
皆真面目な顔して真面目なストーリーして真面目に死ぬ奴
女向け
テンプレラノベ系は無理になった…
非合理的なまでに性格が悪いキャラが出てくる
>>9
テンプレの行き過ぎた狂気系とか観る気しないよな
胸糞悪いだけの展開のなろう系とかも無理
テンプレの行き過ぎた狂気系とか観る気しないよな
胸糞悪いだけの展開のなろう系とかも無理
シャフトの演出
急に歌う
やりすぎな俺つえー
>>1
分かるわ
分かるわ
分かりやすい復讐もの
男が出てくる
イキリトが出てくる
大学生が出てくる
色々知ってそうな謎のキャラが意味深なことを言う描写が多い
やたら豊富なパロネタ
まじめなやつ
ヒロインの主人公の友達に対する態度が酷い
「主人公一筋」みたいなのを強調したいんだろうけど普通にドン引きする
「主人公一筋」みたいなのを強調したいんだろうけど普通にドン引きする
タイトルに「異世界」がついている
モンスターのデザインがきもい
主人公に共感できんのは全然良いけど
何考えてるかわからんってレベルまでいくと無理
何考えてるかわからんってレベルまでいくと無理
キャラ把握する前にオタク向けパロされるとキチい
悪役が全員男
たまに女が悪役の時はかわいそうな過去付き
たまに女が悪役の時はかわいそうな過去付き
パクリが多く既視感あるやつ
会話が一人語りが延々と続く
主人公がやれやれ系、恋愛偏重系、難聴系
ツッコミが説明口調の上に臭い
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映画(あるいは小説の)「飢餓海峡」と「砂の器」そして小説の「レ・ミゼラブル」に共通するのは何かと言えば、この三つとも「運命悲劇」と言えることだろうか。つまり、個人の努力ではどうしようもなく悲劇に巻き込まれていく人間(主人公)の姿に観客や読者は「他人事」ではない戦慄を感じ、それが劇のドラマチックさを増幅するわけだ。単なる人間対人間の闘争だと、闘いはむしろ爽快感さえ抱かせるだろう。しかし、運命との闘いは最初から敗北が決まっており、だからこそその戦う主人公の姿は「破滅の美」があるわけだ。
この滅びの美は主人公が優れた存在であるほど強烈になる。
こんなことを考えたのは、最初、三船敏郎も若山富三郎も自分が作って主人公を演じたかった作品が「西遊記」の孫悟空だということについて考えるうちに、この二人とも「レ・ミゼラブル」のジャン・ヴァルジャンをやらせても似合いそうだな、と思い、では、ジャヴェール刑事は誰が適役か、と考え、三船の相手ならやはり仲代達矢か、と考え、いや、三国連太郎でもいいな、と思い、いや、三国連太郎ならむしろ一番ジャン・ヴァルジャンに適役ではないか、と考えて、そこから「飢餓海峡」の犬飼太吉を連想し、そこから運命悲劇の主人公としての「砂の器」の和賀英良を連想し、そこで「運命悲劇」というものを意識したわけである。
ついでに言えば、昔の人気テレビ番組で「逃亡者」というのがあったが、あの作品が、逃げるジャン・ヴァルジャンと、追うジャヴェール刑事の姿を下敷きにしていたという説があり、それは信頼できると思う。つまり、古典的作品を映画化なりテレビドラマ化なりする方法は、「原作そのまま」だけではなく、「プロット」だけ借りて、時代も状況も変えてもいいということだ。黒澤明の「乱」はシェークスピアの「リア王」を日本の時代劇に翻案したものだということは誰でも知っているだろう。
この滅びの美は主人公が優れた存在であるほど強烈になる。
こんなことを考えたのは、最初、三船敏郎も若山富三郎も自分が作って主人公を演じたかった作品が「西遊記」の孫悟空だということについて考えるうちに、この二人とも「レ・ミゼラブル」のジャン・ヴァルジャンをやらせても似合いそうだな、と思い、では、ジャヴェール刑事は誰が適役か、と考え、三船の相手ならやはり仲代達矢か、と考え、いや、三国連太郎でもいいな、と思い、いや、三国連太郎ならむしろ一番ジャン・ヴァルジャンに適役ではないか、と考えて、そこから「飢餓海峡」の犬飼太吉を連想し、そこから運命悲劇の主人公としての「砂の器」の和賀英良を連想し、そこで「運命悲劇」というものを意識したわけである。
ついでに言えば、昔の人気テレビ番組で「逃亡者」というのがあったが、あの作品が、逃げるジャン・ヴァルジャンと、追うジャヴェール刑事の姿を下敷きにしていたという説があり、それは信頼できると思う。つまり、古典的作品を映画化なりテレビドラマ化なりする方法は、「原作そのまま」だけではなく、「プロット」だけ借りて、時代も状況も変えてもいいということだ。黒澤明の「乱」はシェークスピアの「リア王」を日本の時代劇に翻案したものだということは誰でも知っているだろう。
寝ている時に思いついたアイデアだが、小説で、タイトルを「セクハラ先生」というものだ。
そのタイトル自体が引っ掛けで、主人公は非モテで内気な若い教師である。学校の新校長が、学内のセクハラ問題が多いことからセクハラ問題担当教師を任命し、それに適当に指名された主人公が周囲から「セクハラ先生」と呼ばれることになるという悲喜劇である。自分はセクハラをしてもいないのにセクハラ先生と呼ばれるのは不運だが、実はそれがきっかけでいろいろな女性教師や女生徒から相談を受けることになり、馬鹿にされながらも案外好感を持たれ、女性と無縁だった人生の転機となる、という話である。漫画原作として面白いのではないか。
そのタイトル自体が引っ掛けで、主人公は非モテで内気な若い教師である。学校の新校長が、学内のセクハラ問題が多いことからセクハラ問題担当教師を任命し、それに適当に指名された主人公が周囲から「セクハラ先生」と呼ばれることになるという悲喜劇である。自分はセクハラをしてもいないのにセクハラ先生と呼ばれるのは不運だが、実はそれがきっかけでいろいろな女性教師や女生徒から相談を受けることになり、馬鹿にされながらも案外好感を持たれ、女性と無縁だった人生の転機となる、という話である。漫画原作として面白いのではないか。
先ほど思いついただけの思想なのだが、ヒロイズムというのはヒロインが存在して初めて成立するものではないだろうか。
たとえば、「未来少年コナン」で、コナンがラナに出会うことが無かったなら、彼は南の孤島で抜群の身体能力を持って生き抜き、生涯を終えるだろうが、それはヒーローだろうか。単に、面白い野蛮人で終わるのではないか。コナンがラナのためにすべてを捧げ、行動するからこそ彼はヒーローなのではないか、というわけだ。
これはべつにフェミニストに媚びているわけではない。ラナのようなヒロインは何億人にひとりしか存在しないからだ。
まあ、要するに、ゲーテの「永遠に女性なるもの、我らを牽きて往かしむ」というのは、物事を斜めに見たがる猪口才な人間が思うより深淵な真理を道破しているのではないかということだ。
たとえば、「未来少年コナン」で、コナンがラナに出会うことが無かったなら、彼は南の孤島で抜群の身体能力を持って生き抜き、生涯を終えるだろうが、それはヒーローだろうか。単に、面白い野蛮人で終わるのではないか。コナンがラナのためにすべてを捧げ、行動するからこそ彼はヒーローなのではないか、というわけだ。
これはべつにフェミニストに媚びているわけではない。ラナのようなヒロインは何億人にひとりしか存在しないからだ。
まあ、要するに、ゲーテの「永遠に女性なるもの、我らを牽きて往かしむ」というのは、物事を斜めに見たがる猪口才な人間が思うより深淵な真理を道破しているのではないかということだ。
これは、案外的を射ているかもしれない。
なんでコナンのような設定ガバガバのお子様探偵物が女性に受けるのか、と不思議だったのだが、案外、人が死んだ殺されたという話自体が女性は好きなのかもしれない。推理小説を書く女性作家が多い理由も案外それだろうか。男はどうせ戦争で殺し合いをするが、女性が人を殺すのはだいたい犯罪の場合で、わりとリアル感を伴った身近な気持ちでスリルを味わえるのだろう。つまり、遊園地で絶叫乗り物に乗るのと同じで、性的に興奮するのではないか。犯罪は金銭問題や恋愛問題など、生活におけるスッタモンダが反映されるが、戦争だと無造作に大量の死が頭上から落ちてくるだけだから、味気ないわけだ。
なお、戦場において日常の恨みを晴らす、という話がチェスタトンにあるが、そういう、「戦争の中の日常と犯罪」という話は案外少ない。そういう主題で書いてみたい気持ちはあるが、面倒な作業になりそうである。
戦場での上官による犯罪を主人公の犯罪だと誤解され、終戦後にその被害者の近親によって復讐されるという「不条理劇」のサスペンス小説を中学生向けの学習雑誌付録で昔読んで、それが強い印象に残っているが、作者の名前は憶えていない。
(以下引用)
なんでコナンのような設定ガバガバのお子様探偵物が女性に受けるのか、と不思議だったのだが、案外、人が死んだ殺されたという話自体が女性は好きなのかもしれない。推理小説を書く女性作家が多い理由も案外それだろうか。男はどうせ戦争で殺し合いをするが、女性が人を殺すのはだいたい犯罪の場合で、わりとリアル感を伴った身近な気持ちでスリルを味わえるのだろう。つまり、遊園地で絶叫乗り物に乗るのと同じで、性的に興奮するのではないか。犯罪は金銭問題や恋愛問題など、生活におけるスッタモンダが反映されるが、戦争だと無造作に大量の死が頭上から落ちてくるだけだから、味気ないわけだ。
なお、戦場において日常の恨みを晴らす、という話がチェスタトンにあるが、そういう、「戦争の中の日常と犯罪」という話は案外少ない。そういう主題で書いてみたい気持ちはあるが、面倒な作業になりそうである。
戦場での上官による犯罪を主人公の犯罪だと誤解され、終戦後にその被害者の近親によって復讐されるという「不条理劇」のサスペンス小説を中学生向けの学習雑誌付録で昔読んで、それが強い印象に残っているが、作者の名前は憶えていない。
(以下引用)
コナンは子供じゃなく女受け
ホモとか関係なく、女は人が殺されて動機がドロドロなの好きだからな
相棒とか科捜研の女とかが好きなのも主婦だし
ホモとか関係なく、女は人が殺されて動機がドロドロなの好きだからな
相棒とか科捜研の女とかが好きなのも主婦だし
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冬山想南
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