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「紙屋研究所」の記事の一部だが、「思想の道具としての小説」というのは案としては面白いし、今の時代に合っているかもしれない。
もちろん、古くは中江兆民の「三酔人経綸問答」などの例があり、啓蒙性はあるが芸術性はゼロというのが定評だろう。しかし、逆に言えば、「啓蒙性があっても、お堅い評論など誰も読まない」のに対して、今の時代は「政治や経済について自分は無知だが、無知な自分でも理解でき、読んで面白い作品を読みたい」という層はかなり大きいのではないか。まあ、漫画でその類の啓蒙書はたくさんある。漫画が描けない人は小説で書いてもいいわけだ。

今思いついた名前だが

根東洋(こん・とうよう)一見「ネトウヨ」の「アジア主義者」
黄米小夜(きごめ・さよ)「サヨク」
夢告積(むこく・せき)または世改浩(せかい・ひろし)「コスモポリタン」
国定一郎(くにさだ・いちろう)「国家主義者」

(以下引用)

 左翼組織の今後のあり方、もっと言えば「ビジネスモデル」「マネタイズ」とか考えていたら、キャラクーが出てきてなんか考えたり、つぶやいたりした方がやりやすいな、と思ったのでそうなったまでなんです。

 まさに「思想の道具としての小説」です。

 カテゴリーが、ヒトの着ぐるみ着ているような、そういうやつです。

 

 日刊紙って紙でなく完全電子にして大幅値下げしたらどうか。

 とか。

 地区組織を大幅に縮小してリモート活用したらどうか。

 とか。

 地区の人員・不動産を全部都道府県に集めたらどうか。

 とか。

 

 そんなことを実験的に考えたものです。

 あるレベルの収入を維持するためにヒトやモノの資源を莫大に投入しているわけですが、コストそのものを縮小して、もっと小さな財政規模で回すことも、「プランB」として考えてみてはどうか。

 あるレベルの収入維持が活動の中心になってしまうと、活動の魅力や面白さが失われてしまうと思うのです。

 その面白さを「ドリン・ドリン!」という言葉に託しました。

 そして、昔の活動家の記録(遺稿)をたまたま読む機会があって、そこにある全体性や、生き生きとした様子などに思いをいたして、この一文を書いたのです。

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藤本タツキの「さよなら絵里」を読んだ。傑作であるが、或る危険性を持っている作品だと思う。この種のメタ視点の作品が流行ることの危険性だ。つまり、読者は常に「これは『作品内現実』か。『作品内フィクション』か」と疑いながら漫画を読む姿勢を持つようになり、それは作品への全的没入を妨げ、その結果、漫画を読んでも心から楽しめないという人が増えて、漫画全体の衰退につながる可能性があるからだ。
「何を大袈裟な」と思う人は、この「さよなら絵里」を見て、心から満足したか。漫画を読む快感、楽しさを得たか反芻してみると良い。作者の才能の凄さは分かるし、細部まで計算しつくされた作品のレベルの高さは誰でも感じるだろう。漫画界のベテランたちも彼の才能に讃嘆の声を上げている。ただ、問題はその作風の中心である「メタ視点」なのである。これは「ルックバック」でも見られた特徴だと思う。たとえば時間の再構成などもメタ視点が強調される技法だ。これには細心の工夫と注意が要るし、下手な漫画家には不可能な力技だ。だから評論的には必ず高評価を受けるだろう。「ルックバック」が主にプロ漫画家から絶賛されたのは、そのためだと思われる。
だが、漫画でも小説でもそうだが、我々は「作品内現実」を「批判を一時的に棚上げにして」受け入れて読むのであり、そうでなければすべて「ただの作り事じゃん」ということになる。実際、漫画や小説を読まないという人の中でそういう発言をする人は多い。
しかし、「作品内現実」が本物の現実と同等かそれ以上の意味を持つという漫画愛好家・小説愛好家は多いのであり、そういう人々が漫画や小説の愛読者として漫画や小説を支えているわけだ。
そういう人々に「これはただのお話だよ」と作者が面と向かって言うのが「メタ視点」作品なのである。
「さよなら絵里」のラストシーンの「爆発」が意味しているのは、そういうことだ。果たして爆破されたのは何か。それは作品に没入していた読者の心でないと言えるだろうか。

考察サイトからコメントをふたつ転載する。おそらく読んだ人の8割くらいはこのどれかになる
のではないか。そして残りが「エヴァンゲリオン」のように、勝手に妄想的考察をするわけだ。

あっという間に読み終わった。
面白かった。でもなんだろう、心のどこかに小さなしこりが残ってるんだけどそれが何なのかわからない。

いやいや、いやいやいや、まてまて。最初の数ページでタツキ先生にしては平凡な漫画描いたんだなと思ったけど、いやいや、とんでもねえな。ルックバック割とまともだったじゃん?? あまりにもまともな漫画描いた自分が嫌になっちゃったのかな??? ねえ、感想とかねえよ、何を見せられたのか解らん

「大摩邇」から転載。
小説や脚本を書こうと思っている人間には非常に参考になる話である。ついでに言うと、私はアニメの「ブラック・ラグーン」が好きなのだが、あの中での銃撃戦の描写は(まあ、もともとリアリティを無視した話なのだろうが)あまりにリアリティが無さすぎると思っている。特に、先に拳銃を突き付けた者が簡単に反撃を許す描写にリアリティが無さすぎる。なぜ引き金を引かない?

(以下引用)


ナカムラクリニックさんのサイトより
https://note.com/nakamuraclinic/n/n24f1807fbf2f
<転載開始>
きのう保江邦夫先生の講演会に行ってきた。そこで、こんな話を聞いた。
「娘が二人いるんだけど、僕は長女にも次女にも、我が身の守り方を教えた。たとえば銃の打ち方。次女が高校2年生のとき、アメリカに連れて行った。拳銃と自動小銃の扱い方、射撃を一通り全部教えた。万が一のとき、たとえばこの国が滅びて、中国やロシアが攻めてきたときに、日本人女性は自分の身を自分で守らないといけない。仮に自衛官の残した小銃などの火器が手に入ったとしても、素人はどうしていいか分からない。拳銃がある。弾が入ってる。じゃあ打てるのか。絶対打てないです。安全装置の外し方、弾の装填の仕方、そういうのが分かって初めて身を守れる。そういうのを娘に教える。それが僕の主義なんです。
どこの射撃場でもいいわけじゃない。下手な射撃場に連れて行くと危ない。変な奴がいっぱいいるからね。サンディエゴにアメリカ海軍基地があって、そのすぐ近くに警察署がある。その隣に射撃場が併設されている。そこで射撃練習してるのは警官ばかり。そこで娘と僕がトレーニングを受けた。
トレーニング申し込みをすると、本当にきっちり教えてくれる。それもトレーナーは実戦経験のあるプロ。たとえば元グリーンベレー(米軍特殊部隊)とか。打ち方のレベルが違う。娘が習うのはもちろんだけど、僕も横で一緒に習う。

画像1

まず弾の込め方から。弾も9㎜弾とか45口径とかいろいろある。コップキラーといって、防弾チョッキを貫通する弾も打たせてくれた。
そういう訓練を娘と一緒に受けていると、トレーナーが「お前はこの娘の父親か?」
そうです、と答えると、「父親なら父親用の特別なコースがある。どうだ、受けてみないか?」一瞬、余分に金をとる営業じゃないかと思ったけど、そうじゃなかった。普通の射撃訓練では到底教えてもらえないことを教わった。
娘を人質にとられて、犯人が娘の頭に拳銃を突きつけている。「銃を捨てろ!」と言われたときにどうするか?そういう状況での対処法を教えてくれた。

「お前の手には銃が握られている。しかし犯人は、娘の命が惜しければ銃を捨てろ、と言う。さあ、ドック(先生)、お前ならどうする?」
どうするも何も、そんな状況では拳銃を捨てるしかありません。
「それは最悪のチョイスだ。お前は撃ち殺され、人質の娘も殺されるだろう。殺されるだけならまだいい。殺される以上にひどいことをされるかもしれない。お前はこの子の父親だ。父親には父親の責任があるだろう。だから、絶対に拳銃を捨てるな
いや、しかし拳銃を捨てなかったとしても、娘は殺されてしまう。。
「そう、だから、そうなる前に犯人を殺せ」

スクリーンショット (5466)

犯人は、こうやって拳銃を突きつけつつ娘を盾にしている。これで「銃を捨てろ」と言われている。この状況をどうやって打開できるのか。
「いいか、ドック。決して銃を捨ててはいけない。「捨てろ」と言われて、「はい分かりました」と言いなりになる人間は、そもそも銃を持つ資格がない。
打つんだよ。銃はそのためにある。問題はどこを打つかだ。
娘を人質にとられたこの状況、ドック、お前ならどこを打つ?」
犯人の腕ですか?
「やめておけ。それは俺でも難しい。お前も銃を打ったことがあるなら分かるだろうが、拳銃は反動が強く、着弾率が低い。下手すれば娘さんの顔に当たるだろう。だから、どうしようもない。
そう、そもそも状況的にどうしようもないんだ。どうしようもないのだから、俺はこうアドバイスしている。最初から娘を狙って打て、と。
意味が分からない、という顔をしているな。オーケー、どういうことか説明しよう。
ドックよ、お前の娘は美人か?それなら、娘の足を狙え。足を打たれた娘は、膝から崩れ落ちるだろう。そのとき娘の体重を支えきれなくなった犯人は、胸元が開く。そこですぐさま2発目、今度は犯人の胸を撃ち抜け。
娘がかわいくないならば、万が一顔に傷がついても仕方ないと考える(笑)すると、狙うべきは娘の左肩だ。左肩にうまく着弾すれば、娘は左後方に倒れる。このとき、やはり犯人の胸元が開くから、ここに2発目を撃ち込め。

父親のお前が拳銃を捨てたら、その瞬間、まず最初にお前が撃ち殺される。娘はどうにかされる。死以上の辱めを受けるかもしれない。これがあり得る限り最悪のシナリオだ。こうなるぐらいなら、お前の手で娘を撃ち殺してやれ。それから、犯人に10発でも20発でも撃ち込め
銃を持つというのは、そういうことなんだ。甘い世界じゃない」

恐ろしい指導だった。しかし深く納得した。「そりゃそうだ」と。自分の娘を打つなんて想像することさえ恐ろしいが、それでも、起こり得る最悪の事態よりは、確かにマシだろう。銃社会を生きていくには、こういう事態をも覚悟しておく必要がある。

その翌日、外の射撃場で実戦練習をした。ハワイもそうだったが、サンディエゴの射撃場も山の中にあった。そこでは世界各国のありとあらゆる自動小銃や拳銃を打つことができた。アメリカのM16はもちろん、ロシアのAK47など、世界中の軍隊で使われている小銃が一式そろっていた。
たとえばM16。照準を装着し、照準のぺけ印のところを標的に合わせて撃鉄を引くが、照準通り着弾することはまずない。どうしても反動でぶれてしまう。
しかしAK47には驚いた。唯一、このペケにきちんと着弾するのはAK47だけ。ロシア製の安い自動小銃なのにね。だからテロリストはみんなあの銃を使ってる。というか、本当は米軍兵士もあれを使いたい。
M16はぶれて、着弾精度が低い。精度の低い銃を打つのは、兵士にとって最悪のリスクなんです。被弾を免れた敵側の反撃を呼び込むわけだから。だから、米軍兵士の本音としては、M16ではなくてロシア製AK47を使いたい。でも、それよりもっとすごいのは、スイス製のSIG SG550です。
拳銃でも似たような話がある。最高の拳銃はオーストリア製のグロッグです。
米軍は、総合的な火力では世界最強の軍隊です。しかし拳銃や小銃といった個々の兵士の火器については、全然最強ではない。米軍としては、純粋に戦力のことだけを考えるなら、自動小銃はSG550を、拳銃はグロッグを採用したいところなんです。しかしそうならない背景には、全米ライフル協会の反対がある。「外国製品を採用されては収入が減ってしまう」。そういう懸念からロビー活動を繰り返し、政治を動かした。
だから米軍は、全員コルトとかレミントンのような米国製の銃を持たされている。「米軍だから米国製の銃なんだね」とかそういう話じゃないんです。これは完全に政治です。実際、米軍兵士を取り締まる立場にあるMP(警察)は、イタリア製のベレッタを持っている。コルトよりもレミントンよりもはるかに着弾率がいい。兵士もそのことを知っています。「自分たちのコルトでは応戦できない」と。だからMPから銃を向けられれば、降伏するしかないわけです」





まあ、人間の真実とはウンコとチンコとマンコだ、と考えているような元文学青年の化石ではないか、と思うのだが、彼の映画は「みんな、エスパーだよ!」を最初の5分か10分くらいしか見たことがない。娯楽映画だろうと思っていたら、少年ジャンプの最低レベルの漫画という印象だった。作り手の人間性が下品そのものであることだけは分かった。その下品さが彼には誇りなのだろう。
しかし、下の記事もリベラルを「反日リベラル」と書いているあたり、ネトウヨだろう。私も最近のリベラルは嫌いだが、彼らを「反日」とレッテル貼りするネトウヨの頭の悪さも大概である。自民党の長年の「お仲間利益だけが目当ての」売国政治を支持するほうがよほど反日である。

(以下引用)

映画監督wikipediaから

ファンであり友人である著名な者として、水道橋博士や『映画秘宝』を創刊した映画評論家コラムニスト町山智浩が知られる。

町山は2009年ベスト10を選んだ際に、園の『愛のむきだし』を一位に選んだ。

同年に日本で公開されたクリント・イーストウッド監督・主演『グラン・トリノ』を二位にして「『グラン・トリノ』は『愛のむき出し』を見るまで一位の作品」「どちらも(『グラン・トリノ』と『愛のむきだし』)「不在の聖母」を描いた作品。」と評した。

水道橋博士とは親交が深く、お笑いライブを二人で開催したりしている。水道橋博士園子温を「映画監督として圧倒的に天才」と絶賛している。

他に園と親交が深い友人として、茂木健一郎会田誠津田大介宮台真司がいる。宮台真司あいちトリエンナーレの「表現不自由展」に対する批判意見への反論に友人・園子温作品を例にあげ、

そもそもアートは心に傷を付ける。心を回復させる娯楽とは違う」「こうした基本的なことでさえ、行政政治家、そして市民までもが分かっていないことに驚きました」と開催を擁護している。

ジャパニーズアニメ嫌い

2016年は「近年稀に見る邦画の当たり年と言われた本年」と呼ばれたが、そのなかでも話題を一手に集めたのは、

新海誠の「君の名は」と庵野秀明の「シン・ゴジラ」であり、『君の名は。』は興行収入200億円突破というダントツの1位、「シン・ゴジラ」は3位であるが例年なら邦画興行収入1位とされる81億円を記録した。

しかし、園子温はどちらも2016年12月9日に突如、「糞ジャパアニメ、すべて死ね。」という暴言ツイッターに書き込んで罵倒している。

ネット上ではシン・ゴジラ」と同じ長谷川博己を主演で前年に撮られた自身怪獣映画「ラブ&ピース」が興収5300万円だったこから

「園が嫉妬のあまり中2病発症させた」と批判するツイート殺到した。ただし、リテラは園による批判について、「まさに正論だと思うが、しかし、こうした意見はしょせん異端に過ぎない。」との報道をした。

護憲SEALDS支持・日本批判

自民党2016年参院選改憲現実のモノにしようとしているとして、2015年9月11日安倍晋三内閣における特定秘密保護法集団的自衛権行使容認への反対や護憲

「従来の政治的枠組みを越えたリベラル勢力結集」を訴える『TAKE BACK DEMOCRACY(民主主義を取り戻せ)#本当に止める SEALDs 5時間SPECIAL!!!!!』に、磯部涼(司会)、SEALDs中野晃一上智大学教授日本学術会議の廣渡清吾前会長らと共に出演した。

2016年12月に「評論家のための評論やす映画ばかり。狙ってんのかお互い癒着して。革命家も産めない肉体のない言葉、、乾いた言葉を。」

「去年見たSEALDSの何倍も何倍も薄めた小さなセカイ系とやら。セカイ系の正体は地球上の規模じゃねえ。このセカイの小さな島国辺境の、空想されたせ・・か・・い・・やめろ。」

日本批判SEALDs支持のツイートをしている。

思っていた以上に日本反日リベラルキモフェミが大好きそうな香ばしい野郎で笑った。

そりゃーフェミとか反差別界隈がだんまりな訳だw

メモだが、あまり長期にわたってブログを書かないと勝手に宣伝が入るので、その予防でもあるwww
今、松本清張の「点と線」を読んでいるが、私が清張の現代小説に関して持っていたイメージとは異なり、さほど陰鬱さは無く、純粋に推理の問題を扱っていて読み応えがある。
ただ、根本に「作家の騙し」があると思う。
推理小説自体が「騙し」のジャンルなのだが、この作品では「作品の鍵となる謎」よりも、「書かれていない部分の謎」がはるかに重要性を持っているように思われる。
つまり、「犯人のアリバイ崩し」が「メインの謎」なのだが、それよりも「殺人自体の謎」の方がはるかに不自然なのである。それは「アリバイ崩し」は「アリバイの不自然なところを追求していくことで達成できる」という事実(あるいは法則)から少し視点を変えて、「作品自体の比重の不自然さ」を感じたからである。先に言えば、アリバイ工作というのは必ず人工的なのだから「不自然」なのが当然で、問題はその不自然さに捜索者が気づくかどうかである。だが、作品全体として「ほとんど無視されている」謎には読者は気づきにくい。
「点と線」の場合は、「心中遺体」の「自殺」手段が不自然だ。青酸カリを飲んだ遺体が二つ並んでいて、その傍らに青酸カリの入ったジュースの瓶があったなら、それは「心中」と見ていい。しかし、それが「他殺」だとしたら、これは不可能なのではないか。つまり、一方がジュースを飲んで苦しんだり即死したりしたら、もう一方にそのジュースを飲ませることは不可能だろうからだ。とすると、この「心中事件」は他殺ではなく本当に心中だったということになる。そうすると、本書の土台となっている「アリバイ崩し」自体がまったく無意味な行為となるのではないか。
まあ、まだ全体の8割くらいしか読んでいないので、作者がどういう結末をつけるか楽しみである。
なお、私は松本清張を「日本のバルザック」だと思っており、彼が推理小説作家として出発したため正当な評価を受けていないのは悲劇だと思っている。
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