忍者ブログ
[1543]  [1542]  [1541]  [1540]  [1539]  [1538]  [1537]  [1536]  [1535]  [1534]  [1533
村上春樹の「レキシントンの幽霊」という本を図書館から借りて、冒頭の表題作を読んだのだが、何というか、絵画テクニック抜群の画家が描いた石ころの絵みたいな印象である。つまり、文章は上手いのだが、どこをどう味わえばいいのかが分からない作品で、もちろん、娯楽要素がゼロである。正直言って、読むのに使った時間が無駄だった、という感じだ。作者は、なぜこの作品を書いたのだろうか。どこが面白いと思ったのだろうか。作者自身が面白いとも思っていなかったなら、小説を書く意味はどこにあったのだろうか。
そこで、小説の娯楽要素は何か、と言えば、やはり「ストーリー」、物語性だろう。二束三文の大衆小説でも、たいていは物語性を最低限の要素として持っているわけで、それは、「この話はこれから先どうなるのだろうか」と読者を引き込み、連れていく要素だ。それを私は「物語エンジン」あるいは「小説エンジン」と言っている。
そのエンジンが、「レキシントンの幽霊」にはほぼゼロであったというか、無いわけではないが、非常に薄弱で、問題の「幽霊」の謎は解明されず、主人公の友人が何やら何かで衰弱した、という話で終わる。「だから何?」である。小説中のキャラが死のうが衰弱しようが、読者に何の関係があって、興味を持たねばならないのか。そんな義理はない。
まあ、強いて言えば、映画「シャイニング」の「場所そのものが幽霊である」というのが描きたかったのではないか、と思うが、話が尻切れトンボすぎて、読者が引き込まれないうちに終わっている。作者は自分の「ムード描写」能力に自信を持ちすぎていたのではないか。「踊る小人」の見事さとは天と地の違いである。
PR
この記事にコメントする
color
name
subject
mail
url
comment
pass   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
<<< 拳銃論 HOME ペドとフィリア >>>
プロフィール
HN:
冬山想南
性別:
非公開
P R
忍者ブログ [PR]

photo byAnghel. 
◎ Template by hanamaru.