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幼い子供が怖がって、観るのから逃げたがることで有名な(と言うか、私の娘と某漫画家の二例しか知らないがwww)アバンタイトルだが、こういう肯定的な考えは初めて見た。
私は、大衆娯楽の快感の基本は高揚感と上昇感にある、と考える者だが、最初から高い位置にいると後は下降するしかないわけで、上昇感覚のほうがより重要だと考えている。
「未来少年コナン」のアバンタイトルは、物語全体の構造の一部として見事に組み込まれているわけだ。実作者ならではの北原氏のコメントだと思う。

(以下引用)
北崎 拓@月に溺れるかぐや姫、ますらお 連載中!
@takukitazaki
始まった!
毎回このギガントのアバンから入るのって、物語の根底がただ事じゃなく不穏でイイよね。後はアガるしかないって逆に希望を感じるというか(*´д`*)
#未来少年コナン




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漫画家山本貴嗣のツィートだが、「バカなので」は卑下慢(一見卑下しているが、実は高慢さの表れ)である。一日に何度もツィートする人間が自分を馬鹿と思っているわけがない。
要は、「創作に影響が出るほと楽にカネを稼いだ」経験が無いだけの話で、それを自分から認めると自尊心が傷つくのだろう。
真面目に言って、下の問題の実例はたとえばあずまきよひこである。「ダンボー」でカネが流れ込んだために、創作意欲が激減し、おそらく再起不能に近い状態になっている。



山本貴嗣
@atsuji_yamamoto
パッションに影響が出て創作ができなくなるほど楽に金を稼げるってどういう才覚なのかバカなのでよくわからない>RT


思想というより、考察のヒントとして面白い。
確かに、遊牧民族はリーダーシップというものを非常に重んじる。その最大の例証が、部族の長を決めるのに、血統主義を用いないことだ。部族の中で最も優秀な人間が長になる。それでなければ、野獣との闘争や他部族との闘争に勝ち抜き、部族を存続させられないからだろう。のちに元が当時の文明世界のほとんど制覇したのは、まさにその「闘争能力」の卓越によると思う。だが、いったん築いた帝国を維持する能力には乏しかった。そもそも、制覇した土地の住民は定住民族であり、その支配システムが遊牧民族には無かったのだ。その反省が清朝にはあったのだろう。
民族的精神としてのリーダーへの強い信任というのが、ソ連におけるスターリン(共産党)の独裁政治を招いたというのは興味深い考えだと思う。つまり、ソ連人は、遊牧民族の末裔でもある(あった)、ということか。


(以下引用)

世に倦む日日 @yoniumuhibi

私の個人的な見解だけれど、一党独裁の共産党支配のシステムには、(マルクス以上に)レーニンの思想の影響が色濃くて、ロシア人の本来的な社会的感性が強く反映されている。その歴史的な起源と由来はモンゴル人の遊牧集団のリーダーシップと社会システムだ。司馬遼太郎がヒントになる話をしていたが。
 

佐藤さとるのファンタジー論だが、私もこれに近い考えだ。だが、これはファンタジーに限定せず、普通の小説にも童話にも漫画にも言えることだろう。つまり、読み手の脳内に「もうひとつの現実」を作るのが、フィクションの本質だ。
私と同じ考えだ、というのは、たとえばSFなどでも、描写のリアリティが無いと読者にはその「世界像」は伝わらないし、興味や感動を生むこともない、ということだ。ただし、そのリアリティは「疑似リアリティ」である。細部の描写ひとつでフィクションの「観客(受容者)」は、その世界と一体化する。
たとえば、アラン・ドロンの「お嬢さんお手やわらかに」の中で、主人公のハンサムなプレイボーイ(男の敵! www)が、部屋でひとりで勉強をするシーンひとつで、観客の男性の多くは「自分と同じだ」と彼に感情移入をする。そうした細部の描写が作品に生命を吹き込むのである。

(以下「竹熊健太郎」のツィッターから転載)

見えないもうひとつの現実(じつは非現実)をも、やすやすと創りあげる能力を備えているのである。」 そして佐藤は、「ファンタジーとは本来あり得ないことを、あり得るかのように書いてみせる芸だ」と言います。そのために必要なものは「リアリズム」なのだと。
ニーチェの「深淵を見つめる者は深淵からも見つめ返されるのだ」という言葉は有名だが、その言葉を言ったニーチェ自身が発狂したことは、その言葉の正しさを見事に証明している。もちろん、その直接の原因が梅毒だったにしても、梅毒患者がみなニーチェのように深淵を見つめていたわけではない。逆は必ずしも真ならず、である。
で、ここで論じるのは、「笑い」というのは、人が思っている以上に危険な「深淵」なのではないか、ということだ。
漫画家の中で、ギャグ漫画家の作家生命が非常に短いことを知っている人は多いと思うが、それがなぜかを論じた人はいないだろう。
そこで、私があっさり言えば、笑いとは深淵だから、ということだ。奥深く、得体の知れない存在を見つめ続けるうちに精神の変調を来すのである。
なぜ笑いが深淵かと言えば、人はなぜ笑うのか、と問うのが早いだろう。何かを見て笑うのはなぜか。それが異常だからである。その異常を見つめ続け、異常を自分で作り出すことが「笑いの創作家」の仕事なのだ。つまり、正視するに堪えないものを正視し続けること。これがどれほど精神的にきつい作業か、想像のつかない人が多いかと思う。しかし、古来のユーモリストの多くは日常生活では陰鬱な人間で、発狂した人間も多いのだ。
スイフトは別に笑いを見つめ続けた人間ではないが、そのユーモア感覚の鋭さは誰でも知っている。つまり、異常を見る目が鋭かったのである。だから彼は発狂したのではないだろうか。
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