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一連の話題と無関係な写真とコメントがひとつ入っているが、興味深い写真なので保存のため残した。つまりシュワルツェネッガーは大男だというイメージだが、あれは映画の中での撮り方(少し見上げるように撮る、同じ画面での相手役に背の低い俳優を使う、など)によるものだろう、と推定できる。確かにアンドレ・ザ・ジャイアントは巨人だったが、他のプロレスラーとの比較では、下の写真ほどの身長の差は無かった記憶がある。おそらく、向かって左側の男もプロレスラーだと思うが、背の高さではアンドレとほぼ等しい。芸能人は意外と背が低いのである。

さて、本題のほうだが、世の中の人間の半分はIQが50以下(笑)という事実が厳然としてあり、その下の部分の人間は、おそらく漫画すら真に理解する能力が無く、本を読む力はもちろん無い。テレビを見ていても、その「読解力(理解力)」は、送り手が意図したものとかなりかけ離れていると思われる。
つまり、山本氏が思う、「後で仲直りするための喧嘩」の類は、大方の非知的な視聴者にはそれほど先読みされていないわけだから、後で仲直りしたら喜んで、「イイ話ダナア」となるのであり、そういう話を書けないクリエイターは「マイナークリエイター」になるのだと思われる。
要するに、クリエイターは、同じクリエイターレベルの知能を消費者に期待してはいけない、ということだ。優れた創作物が同時代人に正当に批評されることはむしろ例外的だと思うのが正しいと私は思っている。優れた作品は、一部の「知的な消費者や批評者」が正当に批評し、それがやがて大きな力となって一般消費者にもその価値が知られるのがふつうだろう。
それは漫画の神様の手塚治虫ですら例外ではなく、一時期は、子供にあまり人気が無くて評価が下がっていたのだが、だんだんと大人層の評価が上がることで作家生命を維持したのである。つまり、手塚が出てきた時には彼に比肩する漫画家がいなかったが、手塚を模倣した漫画が世にあふれ出すと、子供の目には手塚とそのエピゴーネンの違いが分からず、手塚を特に評価しなくなったわけだ。これは手塚のせいではなく、「批評家としての子供」の側の問題だ。子供には「ウンコだシッコだパンツだ」という漫画のほうが「面白かった」だけにすぎない。


  1. 山本貴嗣‏ @atsuji_yamamoto 9時間9時間前
  1. 自分はもうスレてるというか「あとで仲直りするための喧嘩とかよせよ」とか思うんですが(そんなこと言ってるからマイナーなのかもですが)、最後に和解するためにいがみあう親子とか、映画でもドラマでも見てると茶番みたいで辛いんですよね。いいから最初から仲良くしててくれw
  1. 昨日TVで『キング・オブ・デストロイヤー/コナンPART2』やってたのをチラッと観た。怪物がシュワを投げ飛ばした後の身のこなし方がどうもプロレスラーっぽい動きで、調べてみたら中の人はアンドレ・ザ・ジャイアントだった。なるほど。
  1. 続き)そういうこと全然わかんなくて「なんてひどいやつだ許せん!」とか「この作者はこんなことを思ってるのか許せん」とか誤解し怒り始める人いますけど、ふつうの人ってそういうベタな演出見た瞬間にわかる、とかいう感覚ないんですかね。それとも創作を生業にしてる人間の特殊技能なんでしょうか;
    1. ドラマとかであからさまにひどいことを言うひどいキャラとか出てくるじゃないですか。創作者としては「あーわかったわかった、ここから始めといて後でひどい目に遭うとか、自分の愚かさに気づいて大改心するとかのタメのひどさね。またこの手かよ、見飽きたよその演出」とかいうポジションなのに(続く


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