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「隣のサインフェルド」というシットコムと言うか、ドラマ仕立てのお笑い番組があったのだが、それを見ていた記憶から、「ユダヤ的ユーモア」の本質は徹底的な客観性にあるのではないか、と考えた。もちろん、事物の客観視から、通常は座視されている物事の異常性を発見し、指摘することがユーモアの基本であるが、そこに「弱者」とか「自分自身」「偉い人」「善良な人」「悪の被害者」などの例外を作らないのがユダヤ的だと私は思う。これはユダヤ人が科学的偉人を輩出しているのと同根だろう。そうすると、その笑いはしばしば非倫理的なものになる。ユダヤ人は本質的には神をも信じていないはずである。ユダヤ的ユーモアが、神という非論理的。あるいは論理超越的存在を許容するはずがない。つまり、社会秩序維持、組織維持、民族維持のために神という存在を利用しているのではないか。





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