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単なるメモだが、どうも戦の陣形というのはピンと来ない。まあ、鶴翼くらいなら、両側から相手を押し包んで攻めるのだろうくらいは想像できるが、それ以外の陣形の意味が分からない。なぜ一列横隊の陣形が無いのかも分からない。鶴翼がそれに近いか。


勝つための基本陣形「八陣」大研究

短期連載「戦国合戦の作法と舞台裏」(2)

小和田哲男dot.#歴史
図版左から「鶴翼」「魚麟」

図版左から「鶴翼」「魚麟」

 週刊朝日ムック「歴史道Vol.5」では、戦国合戦を大特集。源平がしのぎを削ったその勃興期、一対一で相まみえることが原則だった武士の戦い。しかし蒙古襲来、鉄砲伝来などの新しい風を受けて、合戦は集団対集団の形態に移行。雑兵・足軽を重用する戦術や陣形が練り上げられていった。ここでは「三国志」の時代に生まれた兵法を日本流の軍学が昇華させた「八陣」を紹介する。

※「長篠・設楽原の戦い」が首位! 戦国大合戦ランキング

【山中などの狭い地形の突破に適した「長蛇」と、広い場所での接近戦に向く「雁行」】

*  *  *
■諸葛亮の策を伝えた「八陣」の虚実とは?

 合戦をするとき、数千あるいは数万の軍勢が勝手に思い思いに戦っても勝ち目はないわけで、やはり、規則正しく、組織だって戦う方が有利である。陣形を整え、鎗隊・鉄砲隊というように隊列を組んで攻めかかった方がいいし、また、守る場合も守りやすい。

 では、そもそも基本的な陣形とされる「八陣」というものは、いつ、どのように生まれたものなのだろうか。文献的には、『続(※1)日本紀』の天平宝字4年(760)の条に、日本人軍師第一号などといわれる吉備真備が唐から「諸葛亮(しょかつりょう)八陣」をわが国にはじめて伝えたとみえる。諸葛亮は諸(※2)葛孔明のことである。
 
 「八陣」とは、魚麟(ぎょりん)・鶴翼(かくよく)・雁行(がんこう)・長蛇(ちょうだ)・偃月(えんげつ)・鋒矢(ほうし)・衡軛(こうやく)・方円(ほうえん)の八つの陣形のことをいう。

 魚麟は、全体が魚の形になり、一隊一隊をそれぞれ鱗うろこにみたてたものである。鶴翼は、ちょうど鶴が翼を広げたような形になり、鶴の頭の部分に大将が位置するようになっている。この魚鱗と鶴翼は最もオーソドックスな陣形といってよい。
図版左から「長蛇」「雁行」

図版左から「長蛇」「雁行」

  雁行は、雁が飛んでいく形に陣形を整えたもので、偃月は、彎月(わんげつ)ともいい、三日月形をした陣形で、鋒矢は、矢印の形、長蛇は字の通り、まっすぐ一列の陣形で、衡軛は互いちがいになる形で、方円は全体が円を描くような形である。



図版左から「鋒矢」「偃月」

図版左から「鋒矢」「偃月」

 こうした「八陣」が、実際の戦国時代の合戦でどのように用いられたかはわからない面もある。江戸時代になって、軍学の流行とともに人びとの注目を集めたという側面もある。そこで、江戸時代に書かれた軍記物に、「八陣」がどのように描かれていたかを知るために、具体例を二つほどあげておきたい。
 
 一つは豊後の戦国大名大友氏の『大友興廃記』で、そこに、「此度(このたび)の敵魚麟の陣をとらば、味方は彎月の陣をはるべし。方円をとらば、此方よりは雁行をとるべし。鶴翼をとらば、長蛇をとるべし。鋒箭をとらば衡軛を取べし。軍法の義は、兼々ならしをかるゝといへども、今弥(いよいよ)念を入、今日は軍の議定を成され、明日早天に御入数を出されん事御尤もっともに存候」と記されている。

 もう一つは播磨三木城の別所長治の軍記『別所長治記』で、別所氏の陣形と方角の関係について次のようにみえる。
図版左から「方円」「衡軛」

図版左から「方円」「衡軛」

  味方南に陣取る時、敵北に陣を張る時は、北より南を水剋火と剋す。此の時、味方衡軛に陣を張る。衡軛は四方。西方は土也。土剋水と剋す。味方北に陣をはる時、敵南に陣取る。水剋火論ずるに及ばず。敵若し衡軛を張らば、味方方円・団形・魚鱗の陣を張るなり。
団形は木、衡軛は土なれば木剋土と剋す(以下略)。
 
 五行思想の五方、すなわち、東が木、南が火、中央が土、西が金、北が水で、五行相剋がベースになっていたとする。(監修・文/小和田哲男)

(※1)しょくにほんぎ/文武天皇から桓武天皇まで(697~791年)の95年間を編年体で記した国史。六国史の一つ。

(※2)しょかつこうめい/三国時代の蜀漢の政治家、戦略家。劉備からの三顧の礼を受けて仕えたと伝えられる。

※図版作成/アトリエ・プラン

※週刊朝日ムック「歴史道Vol.5」より



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下のツィートのような経験は誰にもあると思うが、これが明白に示していることは「殺気」というものは現実に存在するということであり、またそれを感じ取ることも可能だ、ということだ。
蚊や小蠅は、こちらが手で追い払っても逃げないが、殺虫剤や蠅叩きを手にしようとすると、即座にいなくなるのがその証拠である。人間でも、誰かが背後から自分を見ている気がして振り向くと、本当に見られていた、という経験のある人は多いだろう。それが「気を感じる」ということだ。


机の周りを小バエが1匹飛び回っていて鬱陶しいので、撃墜してやれと思って手の届く範囲に殺虫剤を持ってきたら、それだけで姿を見せなくなった。分かってくれればいいんだ(笑)






坂口安吾の短編「心霊殺人事件」は、淡白なミステリーだが、ミステリーの素材として面白い要素が多い。第一に、終戦直後を舞台としているために、戦争時の混乱がまだ尾を引いていて、戦時の犯罪を戦後の犯罪の動機とすることができる。第二に、殺人事件が起こった「心霊実験」よりも、その前に発生している「荷物の移動」が実は殺人事件の動機だったこと(重要性の錯覚)。第三に、戦時の犯罪の事情や人物を膨らませることで、物語を重厚にできる。これは、戦犯のほとんどは実際には(米軍捕虜虐待など欧米関係以外には)実際には逮捕も処罰もされず、戦後の日本でのうのうと生きていたということなどの「哲学的問題」にもなる。また、話の脇役として出てくるサイコパス的人物が、キャラクターとして面白い。私は悪役を描くのが苦手なのだが、このキャラは活かせそうな気がする。中国で殺人強姦を繰り返した日本人将校が、戦後の日本社会で一見平凡なサラリーマンとして生きているのが面白い。なお、大金持ちのボディガード兼秘書という仕事も、悪役らしくていい。表向きは秘書、裏ではボディガードという二面性がいい。
「ファウスト」の最後の完全な満足(「時よ止まれ、お前はあまりに美しい」)が、実はメフィストフェレスの仕組んだヴァーチャルリアリティ内の出来事だったというオチによる「新ファウスト」。実際、VRとはそういうものであり、虚構世界で生きるということだ。言い換えれば、現実の中の満足と、虚構だと知らない状態の虚構世界の中での満足に違いは無い、ということである。
泉鏡花の「照葉狂言」の中に、リウマチで体が利かなくなった女芸人が「磔」の見せ物用に売られる話があるが、そのリウマチとはどんな病気か調べ、さらに自己免疫疾患について調べたら、こう書いてある。
「自己免疫疾患」というのは、ある種の比喩に使えそうな概念である。つまり、「自分が自分を攻撃して破滅させる」というのは、自殺などに至る「精神の誤作動」であるわけだ。その反対の自己保存本能と自己愛こそが、人間を生に繋ぐ。
なお、「照葉狂言」は、まだ8歳くらいの主人公が周囲のあらゆる女性に好かれるという、「なろうヒーロー」の「オネショタ」文学で、アニメ化したら面白そうだが、脚本を書くのは難しそうである。






自己免疫疾患

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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自己免疫疾患(じこめんえきしっかん、:Autoimmune disease)とは、異物を認識し排除するための役割を持つ免疫系が、自分自身の正常な細胞組織に対してまで過剰に反応し攻撃を加えてしまうことで症状を起こす、免疫寛容の破綻による疾患の総称。

自己免疫疾患は、全身にわたり影響が及ぶ全身性自己免疫疾患と、特定の臓器だけが影響を受ける臓器特異的疾患の2種類に分けることができる。関節リウマチ全身性エリテマトーデス(SLE)に代表される膠原病は、全身性自己免疫疾患である。

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