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狂歌師の名前で、「文反古継剥(ふみほうごつぎはぎ)」を、別の漢字表記で表す。「つぎはぎ」は「月萩」など。「ふみほうご」は考慮中。





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この指摘は、アニメや漫画の脚本を書く時の重要なポイントだと思う。かえって、説明が無いことによって、見ているうちに謎が解けていく(世界が分かっていく)快感も加わるわけだ。
つまり、観客の知性を信頼することが大事だ、ということだろう。観客を幼稚園児扱いした「親切な説明」は観客への侮辱だとすら言える。
ただし、クリエイターご自慢の「作品の世界観」が、愚劣な、平凡なものだったら、説明があろうが無かろうが問題外だ。
小説にしても、「説明するより描写しろ」というのは鉄則だろう。説明するくらいなら小説より論文を書け、ということだ。





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ナウシカやラピュタをみてるとあらためて、(また、人気のアニメやコミック全般にも言えるけど)
物語に出てくるキャラクタや国家等々の細かい設定なんて、冒頭にこまごま語られたりしなくても、作品観てたら全部体感できる、こうでなくてはいけないのだなあ、とおもう




「江戸川乱歩の迷宮世界」というムック(雑誌みたいな作りの本)を読んで、乱歩世界のパロディというか、エロ本版を思い付いたのだが、大まかな内容は、こんなもの。

1:明智小五郎と怪人二十面相は同一人物。両者が同時に他人の前にいる時には、どちらかが両者の手下の扮装。
2:女盗黒蜥蜴(緑川夫人)の正体は、明智小五郎夫人の文子。明智小五郎がナルシストのホモなので、その欲求不満の解消としての行動。
3:文子夫人は、明智小五郎への復讐のために、同居中の小林少年を誘惑する。心ならずも、小林少年は文子夫人との性愛に溺れる。つまり、オネショタ。


といったところ。エロ小説としてどうか。語り手は、二十面相(小五郎)の助手で、しばしば二人の代役をし、そして文子夫人に懸想している青年とする。
その青年が、一種の「第三の男」(影に隠れた、事件の主役)であるような小説だ。その「影の主役」が、ヒロインに惚れながら、中学生に恋愛で負けるという皮肉を描きたい。
名前は、倉田一三とでもしておく。(暗闇の存在であることと、一、つまり語り手でありながら第三の男であることを暗示。作中で、三島公武や平岡幸生という変名も使う。)
ラストシーンは、死んだ小林少年の墓参をした文子夫人を墓地の出口近くで待っていた一三に一瞥もせずに文子夫人がその前を歩み去る、という、映画「第三の男」のラストそのままとする。
久生十蘭の「鈴木主水」を最初に読んだのは何年前か、とにかく若いころだったが、面白さがまったく分からない作品だった。時代小説プロパーでもないはずだのに見事にその時代の言葉を駆使して破綻なく書いているな、とは思ったが、話の内容そのものに面白さを感じられなかったのだ。
つまり、「直木賞受賞作品」ということは、「面白い大衆小説」と同義語、というのが私の考えだったので、柴田錬三郎的な面白さを期待してたのに、まったく主人公が活躍しない、功名も挙げないのでは、ワクワクドキドキも無かったわけである。
で、昨夜、久しぶりに「鈴木主水」を読み返して、その良さが理解できたのだが、「これは若い人間には理解できんわ」とも思った。つまり、話の中心点は、鈴木主水という「主人公」ではなく、話の中では最初敵側の人間で「悪女」と思われていたお糸の主水への悲恋にあるのだが、話が主水の側から描かれているために、この真の主題がそそっかしい読者には読めない描き方だったわけだ。で、主水だけを見ていたら、面白くも何ともない話になるのだが、読み巧者が読めば、実に美しい悲恋物語であることがわかるという、そういう作品なのだった。
プロの作家というのは凄いな、とも思うし、昔の直木賞選定委員たちの鑑識眼は凄いな、と思う。
で、この作品を、「恋の殉教者」である主水とお糸の側ではなく、話の中では主水たちに置いてけぼりにされている主水の妻、お安の側から描いたら、それも面白いだろうな、と思う。
つまり、いつも冷静で冷たい女だと思われているお安が、実はお糸同様に主水に恋していて、表面を慎んでいただけだった、という話である。昔の男女の作法としては珍しくないだろう。
その主水がお糸と心中をした後、二人の幼い子供と残されたお安の気持ちはどんなだったか。
心中者たちは、実は恋の勝利者であり、残された者は恋の敗北者である。その敗北者の視点からこの話全体を見てみたいものだ。いや、書けたら私が書くが、当然、そんな技量は無い。
単なるメモだが、どうも戦の陣形というのはピンと来ない。まあ、鶴翼くらいなら、両側から相手を押し包んで攻めるのだろうくらいは想像できるが、それ以外の陣形の意味が分からない。なぜ一列横隊の陣形が無いのかも分からない。鶴翼がそれに近いか。


勝つための基本陣形「八陣」大研究

短期連載「戦国合戦の作法と舞台裏」(2)

小和田哲男dot.#歴史
図版左から「鶴翼」「魚麟」

図版左から「鶴翼」「魚麟」

 週刊朝日ムック「歴史道Vol.5」では、戦国合戦を大特集。源平がしのぎを削ったその勃興期、一対一で相まみえることが原則だった武士の戦い。しかし蒙古襲来、鉄砲伝来などの新しい風を受けて、合戦は集団対集団の形態に移行。雑兵・足軽を重用する戦術や陣形が練り上げられていった。ここでは「三国志」の時代に生まれた兵法を日本流の軍学が昇華させた「八陣」を紹介する。

※「長篠・設楽原の戦い」が首位! 戦国大合戦ランキング

【山中などの狭い地形の突破に適した「長蛇」と、広い場所での接近戦に向く「雁行」】

*  *  *
■諸葛亮の策を伝えた「八陣」の虚実とは?

 合戦をするとき、数千あるいは数万の軍勢が勝手に思い思いに戦っても勝ち目はないわけで、やはり、規則正しく、組織だって戦う方が有利である。陣形を整え、鎗隊・鉄砲隊というように隊列を組んで攻めかかった方がいいし、また、守る場合も守りやすい。

 では、そもそも基本的な陣形とされる「八陣」というものは、いつ、どのように生まれたものなのだろうか。文献的には、『続(※1)日本紀』の天平宝字4年(760)の条に、日本人軍師第一号などといわれる吉備真備が唐から「諸葛亮(しょかつりょう)八陣」をわが国にはじめて伝えたとみえる。諸葛亮は諸(※2)葛孔明のことである。
 
 「八陣」とは、魚麟(ぎょりん)・鶴翼(かくよく)・雁行(がんこう)・長蛇(ちょうだ)・偃月(えんげつ)・鋒矢(ほうし)・衡軛(こうやく)・方円(ほうえん)の八つの陣形のことをいう。

 魚麟は、全体が魚の形になり、一隊一隊をそれぞれ鱗うろこにみたてたものである。鶴翼は、ちょうど鶴が翼を広げたような形になり、鶴の頭の部分に大将が位置するようになっている。この魚鱗と鶴翼は最もオーソドックスな陣形といってよい。
図版左から「長蛇」「雁行」

図版左から「長蛇」「雁行」

  雁行は、雁が飛んでいく形に陣形を整えたもので、偃月は、彎月(わんげつ)ともいい、三日月形をした陣形で、鋒矢は、矢印の形、長蛇は字の通り、まっすぐ一列の陣形で、衡軛は互いちがいになる形で、方円は全体が円を描くような形である。



図版左から「鋒矢」「偃月」

図版左から「鋒矢」「偃月」

 こうした「八陣」が、実際の戦国時代の合戦でどのように用いられたかはわからない面もある。江戸時代になって、軍学の流行とともに人びとの注目を集めたという側面もある。そこで、江戸時代に書かれた軍記物に、「八陣」がどのように描かれていたかを知るために、具体例を二つほどあげておきたい。
 
 一つは豊後の戦国大名大友氏の『大友興廃記』で、そこに、「此度(このたび)の敵魚麟の陣をとらば、味方は彎月の陣をはるべし。方円をとらば、此方よりは雁行をとるべし。鶴翼をとらば、長蛇をとるべし。鋒箭をとらば衡軛を取べし。軍法の義は、兼々ならしをかるゝといへども、今弥(いよいよ)念を入、今日は軍の議定を成され、明日早天に御入数を出されん事御尤もっともに存候」と記されている。

 もう一つは播磨三木城の別所長治の軍記『別所長治記』で、別所氏の陣形と方角の関係について次のようにみえる。
図版左から「方円」「衡軛」

図版左から「方円」「衡軛」

  味方南に陣取る時、敵北に陣を張る時は、北より南を水剋火と剋す。此の時、味方衡軛に陣を張る。衡軛は四方。西方は土也。土剋水と剋す。味方北に陣をはる時、敵南に陣取る。水剋火論ずるに及ばず。敵若し衡軛を張らば、味方方円・団形・魚鱗の陣を張るなり。
団形は木、衡軛は土なれば木剋土と剋す(以下略)。
 
 五行思想の五方、すなわち、東が木、南が火、中央が土、西が金、北が水で、五行相剋がベースになっていたとする。(監修・文/小和田哲男)

(※1)しょくにほんぎ/文武天皇から桓武天皇まで(697~791年)の95年間を編年体で記した国史。六国史の一つ。

(※2)しょかつこうめい/三国時代の蜀漢の政治家、戦略家。劉備からの三顧の礼を受けて仕えたと伝えられる。

※図版作成/アトリエ・プラン

※週刊朝日ムック「歴史道Vol.5」より



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