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映画(あるいは小説の)「飢餓海峡」と「砂の器」そして小説の「レ・ミゼラブル」に共通するのは何かと言えば、この三つとも「運命悲劇」と言えることだろうか。つまり、個人の努力ではどうしようもなく悲劇に巻き込まれていく人間(主人公)の姿に観客や読者は「他人事」ではない戦慄を感じ、それが劇のドラマチックさを増幅するわけだ。単なる人間対人間の闘争だと、闘いはむしろ爽快感さえ抱かせるだろう。しかし、運命との闘いは最初から敗北が決まっており、だからこそその戦う主人公の姿は「破滅の美」があるわけだ。
この滅びの美は主人公が優れた存在であるほど強烈になる。

こんなことを考えたのは、最初、三船敏郎も若山富三郎も自分が作って主人公を演じたかった作品が「西遊記」の孫悟空だということについて考えるうちに、この二人とも「レ・ミゼラブル」のジャン・ヴァルジャンをやらせても似合いそうだな、と思い、では、ジャヴェール刑事は誰が適役か、と考え、三船の相手ならやはり仲代達矢か、と考え、いや、三国連太郎でもいいな、と思い、いや、三国連太郎ならむしろ一番ジャン・ヴァルジャンに適役ではないか、と考えて、そこから「飢餓海峡」の犬飼太吉を連想し、そこから運命悲劇の主人公としての「砂の器」の和賀英良を連想し、そこで「運命悲劇」というものを意識したわけである。

ついでに言えば、昔の人気テレビ番組で「逃亡者」というのがあったが、あの作品が、逃げるジャン・ヴァルジャンと、追うジャヴェール刑事の姿を下敷きにしていたという説があり、それは信頼できると思う。つまり、古典的作品を映画化なりテレビドラマ化なりする方法は、「原作そのまま」だけではなく、「プロット」だけ借りて、時代も状況も変えてもいいということだ。黒澤明の「乱」はシェークスピアの「リア王」を日本の時代劇に翻案したものだということは誰でも知っているだろう。
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