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人類が移住できる可能性が唯一あるのは(月を除けば)火星くらいだろうと私は思っている。というのは、火星には水もあるのではないかと思われるからだ。確か、火星の極地方には氷があるのではないか。「火星の運河」と呼ばれているのも、本当に大昔には河だったというのが私の想像だ。まあ、火星に火星人がいたか、あるいは人類の祖先がいて地球に移住したかどうかは分からないが、この地球の環境があまりに悪化したら、人類の火星移住も本気で考えていい。ただし、それはあと数百年先の話だろう。今の時代に核戦争を起こす馬鹿な国は存在しないと思いたい。核戦争は人間の手ではコントロールできないだろう。つまり、地球全体を破壊する行為である。核戦争以外の環境汚染なら、あと数世紀は地球は持続するだろう。



隔離環境での生活研究が可能な米アリゾナ州の巨大施設「バイオスフィア2」(山敷庸亮・京大総合生存学館教授提供) © KYODONEWS 隔離環境での生活研究が可能な米アリゾナ州の巨大施設「バイオスフィア2」(山敷庸亮・京大総合生存学館教授提供)

 人工の海など地球の生態系が再現され、隔離環境での生活研究が可能な米アリゾナ州の巨大施設「バイオスフィア2」で8月上旬、火星移住を想定し、日米の宇宙飛行士や学生による共同実習が実施される。

 参加する京都大の学生らが30日、学内で記者会見し、理学部2年平井颯さん(19)は「有人宇宙探査の仕事に携わるのが夢。いつか、火星でフィールドワークできるようになれば」と話した。

 現地で指導に当たる山敷庸亮・京大総合生存学館教授(地球惑星科学)によると、バイオスフィア2は第2の生物圏の意味で、1991年に建設。鉄とガラスなどで造られ、砂漠や熱帯雨林などを再現してある。

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「稲生物怪録」を「愛の物語」と言ったのは谷川健一(民俗学者)のオリジナルではなく、稲垣足穂の「稲生物怪録」を下敷きにした作品の最後に、「愛の経験というものは、一度経験すると、それなしではいられなくなる欠点がある」という趣旨のことを書いて、妖怪との数日を過ごした少年が、もはや去った妖怪に「もう一度出ておいで」と呼びかけることで、少年と妖怪との戦いの日々が愛の経験であったという、意想外の指摘をしているところから来たものだろう。この言葉で、単なる面白い妖怪譚であった作品全体がまったく違った色に染め替えられるという、魔術的な終わり方である。
そして、愛についてのこの箴言は、世界中の愛に関する名言の中でもひときわ特異な、思いがけない言葉で、人を愛の本質についての物思いに耽らせる。




さんがリツイート

『稲生物怪録』のことを谷川健一氏が「愛の物語」と表現していた記憶が、ぼんやりと。小学館の雑誌に談話として掲載されていた気がして、手元の分を探しましたが見つからず。私の思い違いの可能性も濃厚ですが。



大阪芸大の教授なら、創作の動機の大きなひとつが、「自分自身の満たされない人生への代償」であるのは熟知していて良さそうなものだが、こうしてアニメ(あるいは一部のアニメ)だけを批判するのは、あまりに頭が悪いのではないか。
推測になるが、この教授は「ファインアート」(純粋美術と言うか、本来の美術や音楽など、古典的芸術)を、ポップアート(漫画やアニメやポップスなど、「俗」とされてきた民間芸術)より上だという、恐ろしく時代遅れの思想を固く信じている人物のような気がする。その割には、「終わりなき日常」が「ビューティフルドリーマー」の中心テーマだということは知っているから、アニメなどに無知なわけではないようだ。
言っていることの一部は分からないでもないが、なぜ「人々が望むものを作る」ことが「精神的搾取」なのか、理解できない。元の文章では、こういう部分は明確に説明しているのだろうか。

なお、これも推測になるが、書かれた内容から見ると、この教授は「人生の敗者や弱者」に対して、恐ろしく冷酷な「自己責任論者」であるような気がする。


(以下引用)


京アニを「麻薬の売人以下」と表現 放火事件めぐる大学教授のコラムが非公開に 「不適切な発言があった」

「INSIGHT NOW!」のスクリーンショット(現在は非公開となっている)

写真を拡大

放火事件に見舞われた京都アニメーションを「麻薬の売人以下」などと表現したコラム「終わりなき日常の終わり:京アニ放火事件の土壌」に批判の声が相次いでいる。ビジネスメディア「INSIGHT NOW!」に掲載されたこのコラムは24日、非公開にされた。取材に対して運営会社は、内容に「一部不適切な発言があった」とコメントした。


このコラムは、大阪芸術大学の純丘曜彰教授が「INSIGHT NOW!」に寄稿し、21日に掲載されたもの。1970年代からのアニメ業界の歩みやトレンドを解説し、京都アニメーションの前身が「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」に携わったことが、同社の後の方向性を決定づけたとしている。その後の京都アニメーションの作品については、「一貫して主力作品は学園物」で、「らき☆すた」や「涼宮ハルヒの憂鬱」など、「似たり寄ったりの繰り返し」とのこと。また、学園物は「中高の共通体験以上の自分の個人の人生が空っぽな者、いや、イジメや引きこもりで中高の一般的な共通体験さえも持つことができなかった者が、精神的に中高時代に留まり続けるよすが」だと考察している。


そして、こうした人たちをファンにすると、「いつか一線を越えて、作り手の領域に踏み込んでくる。それが拒否されれば、連中がどう出るか、わかりそうなもの」とのこと。最後には、京都アニメーションを「偽の夢を売って弱者や敗者を精神的に搾取し続け、自分たち自身も中毒に染まるというのは、麻薬の売人以下だ」と断じた。


このコラムは24日に非公開になった。運営会社は取材に対し、問い合わせが複数寄せられたことから利用規約に照らし合わせて内容を確認したところ、「一部不適切な発言があった」とコメント。また、純丘教授へ危害が加わることも懸念されたことも非公開にした理由の一つとした。「INSIGHT NOW!」では、寄稿された記事の確認は掲載後に行っているという。







まあ、私も「表現無罪」「現実とフィクションの区別のつかない奴が悪い」派だが、フィクションから間違った知識を得て、それを本当だと思ったことは誰でもある可能性はある。まあ、それも含めて、フィクションは現実世界の教科書のひとつだろう。その中に間違いがあるのは学校教科書と同じことだ。
私は学校教科書の中にはかなりな割合で間違いや意図的な洗脳があると思っている。「物事にはすべて嘘が含まれる可能性がある。そう考えて物事に接すること」を教育で教えるのはどうかと思うが、「私の言っていることは嘘である可能性もあるけど、信じなさい」と教える教師を子供は信じないだろうな。つまり、教育効果がゼロになるわけである。




体にガソリン被って火の着いたライター持っている絵があるドラマや映画も見たことあります(その時点で爆発炎上するって)そういうのって大体爆破シーンがあるので、知識のあるスタッフがいるでしょうが、多分無知な脚本に動かされているような気がします。




この事件(京アニ放火大量殺人事件)は、無差別殺人という理不尽さと、貴重な文化資産の破壊という、二重の凶悪さを持つ犯罪である。
たつき氏の下のツィートは、娯楽産業の意味や価値というものを端的に指摘した言葉でもある。
私自身はべつに京アニのファンでも何でもないが、アニメというジャンルによって「豊かな時間」を送り、「人生の幸せの総量」を増やしてきた人間だ。



亡くなられた方がどれだけの、膨大で地道な時間を人知れずアニメに使ってきたか、のべ何万人何億人のひとの時間を豊かにしたか、ヒトの幸せの総量を増やしたか。そんな方々がなぜこんな苦しいつらい終わり方をしないといけないのか。









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